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お付き合い延長は正解だったか。

昨日、ひと月ぶりに彼氏と会って話をした。
当たり前だけど、会話は弾まなかった。

相変わらず子供のような『無垢』な瞳だった。
そんな彼を前にして、私は別れると言えなかった。
まだ、どこかで彼のチグハグな日本語を(日本人なんだけどね)面白いと笑ってしまう自分がいたから。
子供すぎるけど…ナチュラルなボケを見ているのは、ちょっとしたお笑い番組より面白かった。


別れ話は、お互い一先ず保留という形で私達は解散した。




私は今日は午前3時ころに寝付いた。
起きたのは午前7時ちょうど。


起きがけに夢を見た。
昨日の彼の発言が繰り返されていた。

「俺は大人にならなくていいと思ってる。
時と場合によって、子供の自分と大人の自分を使い分ければいい」
「うた(私)があのマンションの部屋から引っ越したがらないように、俺は実家を出たくない。
居心地いいんだよ。
ぬるま湯に浸かっていたいんだ」
「俺は転職やひとり暮らしに向けて努力はするけど、実際に出来る自信はない」


うん。
わかってた。
あなたはそういう人だって。

はぁ…、成長を好むひとではなかった。
私とは考えが違うんだ。

私から注意されるのも「鬱陶しい」と言っていた。
そりゃあそうだよね。
今までの暮らしには存在しない「(私の)一般常識」を押し付けられていたのだから。


ベッドから身体を起こして、別れておけばよかったと思ってしまった。

お互いに『合わないことばかりだったよね』『無理していたよね』って話をしたのだから、その流れで別れ話にも行けたのに。

子供の瞳を見ていたら『見捨てたら可哀想』という気持ちが湧いてしまった。
これは自分が『親から捨てられた子』だからおこる一種の『過去との遭遇』だ。
緩やかな、綿で首を絞めるようなフラッシュバックだ。
クッと胸が苦しくなってしまうのだ。
『捨てられるのは辛いことだった…』
『だからこの子を見捨ててはいけない…』

『見捨てたら可哀想』
それは幻なのに。
私のように彼も愛着障害を持っている向きがある(過干渉家庭の子供だから)。
いわゆる回避型混合タイプのひとだ。
だから…「幻ではない」かもしれないが。


ただ、どのみち長くは続かない。

私は昨日、彼に宣言されたようなものなのだから。
『俺は変わらねぇぞ!』
って。


うん。
私は多分これからどんどん変わってゆくよ。

自分のやりたいことと、できることと、仕事と、美容と、お洒落と、節約と…
自分の経験を活かして、私は自分もアップデートしていきたい。
自分が穏やかにいられるようにアップデートしていきたい。
それはきっと周りにも穏やかな雰囲気をおすそ分けできることに繋がると信じている。

ふんわりしたひとは、ふんわりを拡める。
トゲトゲしたひとは、トゲトゲを拡める。


私と彼は向いている方向が全然違ったのだ。

自立しないのも、向上心がないのも『悪いこと』ではない。
現状に満足しているのだから、『欲がない』とか『控えめ』とも言い換えられる。


ただ、私とは向いている方向が全然違ったのだ。



人混みを行くように。







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