いじめ

「思い出の何か」ではなくても、見るもの全てに思いを馳せることはよくあることで、例えば、よく作った家庭的なカレーを見ても、2人では一緒に見たこともない富士山の景色を見ても、思い出すのは昔好きだった人の首筋の匂いだったりする。
とにかく、見えるもの全て、聞こえる音楽、映画、この胸に流れてくる感情全てが、勝手に思い出に紐づいて記憶を掘り返してしまう。
そんな記憶がないのに、だ。
失恋した後なんてずっとその繰り返しで、しかもそれが1人に対してではなくて、今まで関係を持った人それぞれ、全部繋がって蘇ったりする。下手したら全員揃って夢になんか出てきたりして、そんな夜はもう、頭を抱えてベランダで頭を冷やす夜中を迎えたりするもので。

失恋の話を始めたのに、今私が思うのは、失恋のことではなくて、人間本来の気持ちとか、記憶とかってどうなのよ、という素朴な疑問について。

おそらく、私の職場では、「いじめ」ないし、それに近いものが、始まった。
私の会社は社員数は全員女性である。
数ヶ月前、40歳前後の女性が中途採用で入社してきた。少し大人しそうで、会話の雰囲気が独特で、自分の好きなことに対しての熱量は他を圧倒するレベル。語弊を恐れず、一言でその人を表すのであれば、「変わっている」人だった。
前述した通り、私の職場は女性のみ。女性ならではのパワーバランスや、カーストが今も根強く残っているような環境で、私は元々あんまり好きな環境ではないのだけれど、新しく入ってきた彼女は、この環境の格好のターゲットに、すぐになった。

具体的に何かが起こるとかではなく、湿度の高い6月みたいな雰囲気がずっと、彼女の周りを取り巻いている。加害者側も、人並みに長くは生きているため、「自分が悪者にならないギリギリのライン」をわかっているのであからさまないじめはしない。もしかしたら、本人たちもいじめていることに気がついていないレベルのいじめなのかもしれない。
私自身も、彼女に思うことはあるけれど、極力いじめに加担しないように気をつけてはいるものの、わからない。周りから見たら、当事者からしたら、もしかしたらいじめに加担している加害者になっているかも、しれない。
だけど、そんなの、当事者からしたらどうでもいいことで、とにかく時が過ぎることを祈って、自分の気持ちを抑えて定時になるのを毎日、静かに待っているのだと思う。

具体的な内容は伏せるけど、誰しも「空気」でそれがいじめなのかそうじゃないのか、わかると思うのだけど、これは確実にそれだと私は感じ取っている。

ここで、初めの失恋の話に戻る。人間の感情や記は、実際の記憶とは別に、「紐づいてしまうもの」だと私は思っている。
失恋して、全く違う景色を見ても思い出す人が同じであるように、いじめられた本人は、今後生きていく上で、綺麗な景色を見ても、いじめられたことを思い出す瞬間がきっとくる。
加害者は、意識も感覚もなく行なっていることだとしても、被害者にとっては、一生続く地獄なのだ。
地続きの人生を歩んでいくしかない人間にとっては、一つ一つの経験が、死ぬまでずっと「記憶」として残るのだ。
無責任に人を傷つけていけない理由はそこにあって、加害者の中では終わった「それ」だとしても、1人の人生を一生殺すことになる行為であることを、忘れてはいけないのだと思った。

失恋の話から、無理矢理こぎつけてみたのだけれど、人間の記憶に関して話せば、とてつもなく当たり前のことをずっと言っているだけだけれど、心のもやもやをここに書き留めておこうと、そう思ったので、本日は手が、このように動くのでした。

ただの呟き。

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