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第31回飯田橋読書会(withコロナ・バージョン)の記録:『人間・この劇的なるもの』(福田恆存著)

今回は「読書会withコロナ・バージョン」と題し、初のZoomによるオンライン読書会を飯田橋読書会において開催した。

半年ぶりの生存確認も兼ねたチェックインでは、リモートワーク三昧のKMさんや、ゲームばかりやっていたMさん、普段から家にいるからあまり変わらなかったというHNさん、外食がなくなったというAさん、フルリモートワークのHさん、コロナ禍で消費と蓄財に明け暮れたKNさんのお声を聴き、画面越しに元気なお姿を見ることができてよかった。

チェックインを終え、今日のお題である『人間・この劇的なるもの』に話が及ぶ。

「福田恒存はすごい」
「一見、なにを言いたいのかわからない難しい本だ」
「福田恒存は完全な演劇人」

など、作品に対するさまざまな第一印象が各人からあがった。

演劇人としての福田恒存
話題は演劇人である福田恒存からはじまる。
本書の中ではシェイクスピア論がしばしば展開されている。
シェイクスピアは日本では江戸幕府が始まったころの演劇人。
少しあとの演劇人にフランスではモリエール、日本では近松門左衛門がいた。
シェイクスピアを出発点に世界の演劇を見渡した。
江戸時代といえば作家の井原西鶴がおり、「作品」が多数輩出された時代である。
なぜこの時代に作品が集中したのだろうかという疑問が出た。
それに対し、「都市に人口が集中し、商業が成立したことに関係するだろう」という、商人文化と作品の関連を指摘する声もあがった。

福田恆存が劇団四季のために書き上げた『解ってたまるか!』は金嬉老事件を扱った作品で、HNさんとKNさんが軽井沢で自主合宿を実施し、DVDで鑑賞していたという。そのうえで「福田恒存の演出は眠くなる」という発言もあった。

思想と保守論、現代の知識人とは?
会の中盤では、福田恒存の思想と保守論、現代の知識人について話題が移った。
保守思想家である福田恒存は、「自由・個性・平和」という単語を軽薄に扱うことを嫌い、多数の知識人を批判した。

そこで、「なぜいまは知識人がいないのか?」という本質的な疑問が呈された。
それに対する発言、「現代は知識がサブカル化した時代」は印象的だった。
知識とは本来、メインカルチャーであるはず。
しかしこれが、いつからかサブカルになってしまった。
一体どういうことだろうか。

「メインとサブの境がなくなった時代。」
「大知識人が求められなくなった現代。」
「大知識人のいない現代。」

さまざまな意見があがった。
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリや『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンドが現代の大知識人なのか、という問題提起もされた。

再び保守に戻る。
特別に変わったことを言っていない福田恒存は、よい意味の「保守」である。
彼のよって立つ場所は「常識」、すなわち保守である。
彼の保守思想は、戦後民主主義に流されてしまった人を痛烈に批判する。
その意味で鶴見俊介は常識人であり、彼の中に福田恒存との共通項を見たという声もあった。
『福田恒存対談・座談集』という作品があり、この中には三島由紀夫との対談も収録されている。非常に興味深い。

「いまでも読める昭和」という発言は興味深かった。
昭和といえば、「愛のコリーダ裁判」や「サド裁判」「チャタレイ裁判」など、作品を扱った裁判が目白押しで、「いまじゃないよな」という声が方々から聞こえてきた。
作品や表現のあり方が激変したのが、この、昭和という時代だったことを再確認した。

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