ウルトラマンは右翼で仮面ライダーは左翼
何かを表現するとき、その裏には作り手の思想が混じり込んでいると思っています。今回は日本の二大ヒーローであるウルトラマンと仮面ライダーの思想性の違いについて説明したいと思います。
私はどちらも大好きで小さい頃からよく観ていました。昭和ウルトラマンと仮面ライダーはほぼ全話観ていると思います。繰り返しますがどっちも大好きです!
大好きゆえにいろいろ深読みしてしまうところがあります。
あるとき私はウルトラマンは保守で仮面ライダーはリベラル的な思想のもとに誕生したヒーローではないかと思い始めました。
今回は私がその考えに至った思考の流れを紹介したいと思います。
以下注意事項です。
※何人か著名人が登場しますが敬称略でいきます。
※ちなみに情報ソースはウィキペディアを多用しております。
※昭和のウルトラマンと仮面ライダーを前提をしております。
※こんなものの見方もあるのか程度にご笑覧頂けますと幸いです。
※4629字です(スペース除く)。
円谷英二がウルトラマンを作るまで
ウルトラマンを語る上で外せない人物がいます。それは円谷英二です。
以下に簡単な説明と年表を記載します。
1966年よりウルトラマンが放送開始されるのですが、ポイントは★がついている1942年と1954年です。この年に円谷英二は映画制作に携わっていますが、これが後々のウルトラマン誕生に関わってきます。
1942年の戦争映画、1954年の特撮怪獣映画
まず1942年ですが、1939年に第二次世界大戦が始まり、前年の1941年には太平洋戦争が勃発しています。当時日本では軍部より映像制作の依頼が増え、当時東宝の社員だった円谷英二は国策映画の演出や撮影として携わったそうです。
国策映画とはなんでしょうか。プロパガンダ(政治的宣伝)映画であり、観客に対して政治的思想を植え付けることが目的の映画です。1942年、旧海軍省の至上命令により東宝は真珠湾攻撃とマレー沖海戦の大勝利を描いた『ハワイ・マレー沖海戦』という映画を制作しました。その特撮担当が円谷英二でした。
次に1954年です。1945年の終戦に伴い、GHQの公職追放が始まりました。円谷英二は「戦時中に教材映画や戦意高揚映画の制作に加担した」として、東宝から追放されてしまいます。当時47歳にして無職となってしまいますが、1952年に公職追放から解除され、東宝に復帰しました。その2年後に東宝で円谷英二が作った映画が『ゴジラ』なのです。
1954年には特撮怪獣映画のゴジラが公開されました。ゴジラはとても有名な怪獣ですが、どのような話かはご存知でしょうか。超簡単にまとめます。
私はここで戦時中に制作した戦意高揚映画と類似性があるのではないかと思いました。
日本に外敵が現れたので、国が総力をあげて倒す。
外敵をゴジラにするかアメリカにするかの違いだけで、構造は同じではないでしょうか。
結果として映画『ゴジラ』は大ヒットして、円谷英二は次の制作に入りますが、映画だと観る人は限定されてしまうのでテレビ番組作りを始めます。ゴジラの次に作った番組は『ウルトラQ』です。
ウルトラマンは武力行使による平和維持の代弁者?
1966年1月からテレビ放送が始まったウルトラQは「日本に出現する怪獣を人間の手によって倒す」という内容の番組です。そしていよいよ、同年7月から放送開始されたのが『ウルトラマン』なのです。
辿り着くまで長くかったですが、これが『ウルトラマン』が誕生した経緯です。
では『ウルトラマン』はどのような話なのでしょうか。
ウルトラマンもゴジラや戦意高揚映画の流れを汲んでいないでしょうか。つまり、こういうことが言えると私は思います。
日本を守るためなら、武力行使による外敵排除は正当な行為である
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