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架け橋

この世には佇まいだけで圧倒的な気品を感じさせる人間が存在する。バーカウンターの内側に立っていると、初めていらしたお客様については扉を開けてからお席に座られるまでの短時間の間に何かを感じ取ろうとする癖がつくが、この日いらした沙友里さんはまさにエレガンスの塊のような方だとの印象を瞬時に持った。

連れてきてくださったのは宇宙飛行士の最終選考6名に残られた経験を持つ吉田さん。沙友里さんとは今お勤めの会社で同僚だったことがあるそうで、以前から「連れてきたい人がいる。ここに来たらきっと何か化学反応が起きるはずだから」とおっしゃっていたのは覚えていた。バーボンのブラントンをロックで頼まれた吉田さんは、いつになく誇らしげな様子であった。まるで連れてきただけで大役を果たしたと満足するかのように。
 
たまたま沙友里さんのお隣に座ったのは、フィリピンと日本のハーフだという川岸さんと、そのお友達の"ヤマカツ"さん。お二人が幼少期をタイで過ごしたことに話が及ぶと、沙友里さんもタイに留学していたことがあるという話に花が咲いた。それから東南アジア全域にまつわるそれぞれのご経験が語られる中で、沙友里さんがバングラデッシュにゆかりがあることがわかった。青年海外協力隊員としての2年と会社のプロジェクトの一員としての2年の計4年もの間バングラデッシュで過ごされたことがあるのだそうだ。もちろんベンガル語も問題なく操れると言う。この辺りから、とめどない好奇心や野性味とでも言うべきエネルギーをも気品という装いの中に隠し持っている方だという認識が芽生え始めた。

実は私も1996年に友人と二人でバックパッカーのような形でバングラデッシュを訪れたことがある。そのことを話すと、驚きながら大いに共感してくれた。当時は「地球の歩き方」すらなかったので現地の空港に着いて途方に暮れていたところ偶然同じ飛行に乗り合わせた日本人女性の画家さんに助けられた話や、国立博物館でバブーという青年に英語で話しかけられ、館内の案内を請け負ってくれたのは勿論、昼食を共にした後にご自宅にまで招待していただき、挙句の果てに人生最高の味わいのパイナップルまでお土産として持たせてくれたお話をしたら、目に涙まで浮かべつつうんうんと頷きながら「バングラデッシュ人は本当にそうやって見返りを求めないやさしい人ばかりなのよ」と重ねておっしゃった。

私にとってもあの夏の出来事は特別で、バブーとはその後手紙のやりとりも続けたし、いただいたパイナップルの味を刻み込むかのように、知り合いのバーテンダーに頼んで「バブーのパイナップル」というオリジナルカクテルまで創ってもらったことがある。


「バブーさんを探し出しましょうよ!」
 
話を聴いていた沙友里さんは不意にそう切り出した。いまだに毎年バングラデッシュには行かれるそうで、首都ダッカの地理にもお詳しいらしい。また会えたらどんなに素晴らしい再会になるだろう。私は唯一手がかりとなる可能性のあるバブーの手紙がどこかに残っていれば、その住所を頼りに探し出していただけるかもしれないと思いそう伝えると、「探し出せた際には会いに行ってくれると言うなら是非協力しますよ」と力強く約束してくださった。
 
沙友里さんは海外経験が豊富なわりに、なぜか日本的な凛とした空気感をお持ち。その印象が強かったため、吉田さんに「彼女のイメージでカクテルを創ってみてください」と言われたときには和のイメージを大切にしようと思った。そこで抹茶リキュールを選択し、ウォッカとパイナップルジュースを合わせて透き通った緑色のカクテルを即興でお作りしたらとても喜んでくださった。そのときはカクテル名をつけ忘れてしまったのだが、今つけるとしたら「架け橋」とでもするだろうか。バングラデッシュと日本を結ぶ華麗な架け橋、まさに沙友里さんご本人のことである。
 
意気投合した勢いでfacebookでお友達になってみたところ、ノルウェー人のマルキュスが共通の友人にいて驚いた。マルキュスとはおそらく一度か二度しか会ったことがないが、もう何年も前に仲間うちの幾人かで飲みに行った中にいた男で、人物に好感を持ったのを覚えていた。
 
「沙友里さん、マルキュス・ヨハンセンって・・・」
 
と言いかけたところ、信じられない一言が返ってきた。
 





「マルキュスは・・・私の夫です」






吉田さん。起きましたよ、化学反応が。想像すらできなかった珠玉のケミストリーが。思惑通りでしたね。天晴でございます。
 
(了)

*これは事実に基づいたフィクションです。登場人物のモデルになった人物の実名は出していません。

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