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ギリシャ人軍団 vs ポケトーク

84ヵ国からお客様がいらしているバーが世界にどれぐらいあるかわからないが、少なくとも日本ではトップレベルに君臨する数字ではないかと勝手に思っている。「世界に一番近いバー」と評されたこともあるそんな我が変幻自在に、先日"ポケトーク"という最終兵器が加わった。明石家さんまのCMでお馴染みの次世代翻訳機だ。世界50カ国・74言語に対応したスマホより小型の機器で、しゃべりかけると音声を認識して文字に変換し、クラウドで翻訳した上で別の言語による発音までしてくれる言わば現代の"翻訳コンニャク"。その夜はこれが大活躍してくれた。

ふと訪れてくれたギリシャ人3人は英語があまり得意ではなく、意思疎通がままならなかったのでポケトークでのやりとりに切り替えてみたところ、「日本には観光で来たのですか?ビジネスで来たのですか?」や「いつまで日本にいるのですか?」といった質問をスイスイ訳して答えてくれるではないか。日本語⇔ギリシャ語に設定し、ボタンを押しながらしゃべりかけると自動的に逆の言葉で発音してくれる・・・というようにやりとりが簡単なこともあり、彼らも面白いと思ったのかどんどん使ってくれるようになった。

ギリシャ人のひとりのアントニオスに「なぜ店内でタバコが吸えないのか?」と聞かれたので、「私はタバコの煙にアレルギーがあるからです」と多少の嘘を交えてイタズラっぽくポケトークで返したところ、こんな答えが日本語の機械音で返ってきた。

「私は喫煙しない人にアレルギーがあります」

ヒネリの効いた面白い返しではないか(笑)。お店にいらした日本人のお客様もそれを聞いて感心しながら笑っていた。

そうこうしているうちに誰かが仲間に連絡したのか、次々とギリシャ人が店にやってきた。ひとり、またひとりと増えていき、ついには10人ぐらいになった。もう何年も通ってくれているダーツ好きの倉本さんなどは「店がギリシャ人に制圧されてる!」と愉快そうに嘆き、その倉本さんと顔が似ていて幾度もお客さんが間違えたことさえある常連さんの古田さんも「ホーム(の店)に来たのにアウェーってどういうこと?」と首をかしげながら笑っていた。

一団の中にたまたまスペイン語を話せるオレスティスがいたので、メキシコ駐在を経てスペイン語を身につけた私は彼とスペイン語で話し始めた。なんでもスペインのグラナダ出身の彼女がいた頃に本気で勉強して習得したのだそうだ。オレスティスに来日の経緯を詳らかに聞くと、日本の名門ホテルに所属するバーテンダーさんが開いた研修プログラムに招かれて参加したグループであることがわかった。研修の参加者の中にはキプロス共和国出身の人もいるそうだが、とにかく全員がバーのオーナーだと言うのだ。ほぼ全員髭を生やし、ガタイもよくて、あのストリートファイターのザンギエフの親戚軍団かと思う人たちが店を占拠しただけでも希なことなのに、ひとり残らずバーのオーナーだったとはまた驚きだ。研修の感想を聞いてみたところ、興味深い答えが返ってきた。

「いやぁ、素晴らしかった!日本人はお客さんに対するリスペクトを示すために一生懸命我慢するのだと学んだよ。そういう発想が俺たちにはなかったからね」
 
解釈があっているかどうかは別にして(笑)、日本人の接客に対する考え方が大きく異なっていることだけは肌で感じてくれたようだ。

そういえばザンギエフというよりはジャン・レノに近い風貌のセバスティアノスが、「これがこのまえ俺のバーでやったパーティーの様子さ」と言って見せてくれた動画が衝撃的だった。映像に映し出されていたその店はもはやバーではなかった。完全にディスコかクラブである。100人以上のお客様がフロアで自由に踊っていたのだから。もの凄い規模なのでビジネスとしてもうまくいっているに違いない。そのセバスティアノスが突然言い出した。
 
「ここにいる全員にテキーラのショットをおごらせてくれ。こんな楽しい夜はないからね」
  
お客さんとスタッフを合わせて13名分である(笑)。全員一気に飲み干して陽気な空気がさらに高まったところで、お手伝いに入ってくれていた東京藝術大学の声楽科に所属するシオリにお礼の歌を歌ってもらうことにした。オペラ歌手を本気で目指しているシオリの歌声は、誰もが度肝を抜かれる芸術品。体全体を楽器のように響かせながら放たれた美声にギリシャ人たちは大いに感嘆し、歌い終わると割れんばかりの拍手を送った。

「ブラヴォーーーーーー!!!!」

拍手は鳴りやまない。初めてお店を訪れてくれた爽やかイケメンの大塚さんも、店内で起きていることすべてに面食らっている様子を保ちつつ、
 
「鳴りやまないねー。鳴りやまない・・・」
 
と、芯から感動したようにゆっくりと拍手し続けながらその状況を見守ってくれていた。ギリシャ人のひとりはポケトークを介して「言葉に表せないほど素晴らしい瞬間がこの世の中にはあるが、それが今だよ」という主旨の言葉をシオリに伝えてくれた。
 
結局ギリシャ人たちはハイボールを計27杯飲み、テキーラも奢ってくれて満足そうに帰っていった。「来年もまたここに来たいと思ってるよ」と真顔で口々につぶやきながら。
 
世界平和なんて壮大すぎてピンと来ないと言う人が殆どだと思う。偽善的な響きでしか捉えられない人だっているだろう。でも、こうしたシーンの積み重ねこそがその遠い理想に向かう小さな一歩になること、理想という帆を掲げて舵を切ることがすべての始まりであることを、私は頑なに信じてこの店を続けている。
 


(了)

*これは事実に基づいたフィクションです。登場人物のモデルになった人物の実名は出していません。

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