ラブゲーム
2035年、銀座のとあるバーにて。
「あそこに座っている女性に『107』(ワン・オー・セブン)を」
歳の頃35前後の男はバーテンダーに耳を貸すようジェスチャーで指示すると、重低音のきいた野太い声でこうささやいた。
スーツは黒のアルマーニ。青い光沢が眩しいネクタイを合わせている。髪の毛は勢いよく立てられていて、肌は浅黒い。いかにもやり手のビジネスマンといったオーラを放ち、若いのに新進気鋭の社長であるかのような威厳すら感じさせる。要するに自信満々ということだ。
バーテンダーはひとこと、
「かしこまりました」
と言ってわずかに頭を下げると、エレガントな手つきで順々にお酒をシェーカーに注いでいく。おもむろに鼻を寄せて香りを確かめてから、かすかな微笑みを浮かべていつもの動作に入る。
壁にかかったリスボンの風景画の方をみつめつつ、真剣な眼差しで癖のない美しいシェークで仕上げ、カウンターの対極に座っている女性にそのカクテルを差し出した。
「『107』です。あちらのお客様からです。ごゆっくり」
女性は赤いワンピースのドレスを着ていた。ハーフだろうか?整った顔立ちはどうみても日本人ばなれしている。瞳は黒というより深い茶色と表現したくなる。
髪は肩のあたりまで。「シャープ」という言葉で最もよく言い表せそうな、知性と色気を同時に感じさせる独特の雰囲気を醸し出している。彼女は男に一瞥をくれると、モナリザのような曖昧な微笑みを浮かべてからカクテルグラスを手にとり、意外にも大きく一口、その浪漫の液体をすすった。
そして甘くエロチックな味わいを確かめながら、中央に沈んだマラスキーノ・チェリーの赤と、カクテル自体の赤い色合いの対比を愉しむようにゆっくりとグラスを180度まわし、小さな溜め息をひとつついた。
それからバーテンダーを呼び、なにやら耳打ちをする。再び、
「かしこまりました」
と仰々しく反応したバーテンダーは、彼女の指示通りにカウンターの内側でカクテルをつくる。今度はシェーカーに注いでいるお酒の種類がわからないように、ちょっと気を遣っている風だ。
数分後に男の前に出てきたカクテルは、
『クール・ブリーズ』
と言った。
男はその涼しげな青いカクテルを目にすると、苦笑いを浮かべ、女性の方を振り返ることもないまま一気にそれをのみ干してお会計をお願いした。
一瞬の恋にやぶれた瞬間である。
男が出ていってほどなく、別の男が店に入ってきた。今度は先ほどの男より、少し大人っぽく見える。40歳前後というところであろうか。
今度は自信満々、という感じではない。人生において大きな挫折を味わい、
それを乗り越えたことで自分の弱さを自分自身で包み込む術を身につけたというような、大人の円熟味をまとった男だ。
背丈は平均的な日本人男性よりも少し高く、無駄のない筋肉がラフにまとった水色のシャツから透けてみえそうな体躯であった。
彼は前の男が座っていたのとまったく同じ席に座ると、奥の女性を見て息をのんだ。それほどその女性の魅力はあからさまだったということもできる。
彼はお通しのビシソワーズ・スープを手にしながら、瞳の焦点をやや遠目に合わせながら何やら考え込んだ。自分のためのお酒を敢えて頼まないまま、そうしてぼんやり過ごした後、バーテンダーを呼んで耳うちした。
バーテンダーはニヤリと、今度は一見してそれとわかるいたずらっぽい笑みを浮かべると、また滑らかな動作でカクテルをつくり始めた。
さすがに手つきは慣れている。なぜなら、前の男とまったく同じカクテルをつくっているのだから。
「『107』です。あちらのお客様からです」
女性は「ありがとう」とも言わず、男性の方を見やると、少し戸惑いの表情を浮かべたままカクテルをすすった。
少しずつ、何かを探るような目つきで味わっている。彼女はもう一度男性を一目見ると、揺れ動く自分の気持ちを整理しているのだろうか、うつむいて目を閉じた。
再び目を開いたとき、彼女はバーテンダーを呼び、静かに耳打ちした。
「かしこまりました」
表情を殺しながら、バーテンダーはそのカクテルの名前を頭の中で反芻すると、またカウンターの内側で、使っているお酒の種類がわからないように、
カクテルづくりを始める。
何度見てもこのバーテンのシェーク姿は美しい。小指を少しだけ立てた手で出されたカクテルは、ほんのりとオレンジ色がかっていた。
「『ホット・ブラッシュ』です。あちらの女性からですよ」
男は沈痛だった表情をパッと明るく紅潮させると、女性の方を向いて軽く会釈をし、「早く飲まないともったいない」という素振りで、勢いよくそのカクテルを飲んだ。
「夢見心地」といった様子で、三口ぐらいで飲み終えてしまうと、結んだ唇にぐっと力を入れて再び女性の方を見ると、今度は「店を出よう」と言うように首をグルンとまわして合図した。
女性も少し恥じらいの笑みを浮かべながら席を立ち、同じく席を立った男の腕に自分のそれを軽く絡ませた。嬉しさを堪えるような、諦めの態度である。
店を出るとき、誇らしげに胸を張った男の隣で、彼女はバーテンダーにうっとりするような色っぽいウィンクをした。
こうしてまた、
銀座のバーは、
一組の男女の心を、
つむぎあわせたのであった。
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『107』
テキーラ・ゴールド 20ml
カシス 5ml
チェリー・ブランデー 10ml
クランベリー・ジュース 25ml
レモン・ジュース 2Dash
(マラスキーノ・チェリーを沈める)
『Cool Breeze』
ジン 25ml
シャルトリューズ・ジョンヌ 15ml
ブルー・キュラソー 15ml
レモン・ジュース 5ml
(クラッシュ・アイスに注ぐ)
『Hot Blush』
コアントロー 20ml
ピーチ・リキュール 15ml
パイナップル・ジュース 15ml
オレンジ・ジュース 10ml
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