見出し画像

桂小五郎青雲伝 ―炊煙と楠―    第十章 大次郎、壁にぶつかる

                            火山 竜一 

第十章   大次郎、壁にぶつかる

 昼八つ(午後二時頃)。
 小五郎が額に怪我をした頃、明倫館の教場に、吉田大次郎がたった一人で座っていた。小五郎より三歳年上の十五歳である。
 生徒は誰も来ない。
 教場の外で、遠くから生徒の笑い声が聞こえてくる。
 漢学の講義でも終わったのであろうか。楽しそうな元気のよい声であった。
 大次郎自身は、そのような声を出した思い出はない。
 今、大次郎は端座したまま、教場の光の中で、生徒をじっと待っている。
 どうやら、大次郎の不安は当たってしまったようだ。

――初めての一人講義なんて自分には早すぎる。まだ明倫館で家学後見人がいる身ではないか。

 朝のことだ。
 早朝、大次郎が明倫館に出仕したところ、若手の山田右衛門が底抜けの笑顔で近づいてきた。

「そろそろ、われらがいない教場で、講義をしてみるか」

 まわりの先生方も「一人講義は、良い時期なり」と賛同した。
 お陰で大次郎は教場で、こんな寂しい思いをすることになってしまった。
 明倫館では、生徒は各先生の講義を自分で選び出席すればよい。講義は強制ではない。どうしても、生徒は人気のある先生の講義に集まってしまう。
 大次郎にとっては嫌な制度だった。
 生徒が講義を自由に選べるのであれば、どうしたって年下の未熟な大次郎の講義に、出席する気にはなれないであろう。

  大次郎は六歳で、兵学師範の吉田家を継いだ。
 叔父である吉田大助が、重い病にかかったためである。
 大助が亡くなって、大助の弟の玉木文之進が大次郎に兵学を教えることになった。
 玉木の教え方は厳格で、大次郎を時には殴り蹴り竹鞭で叩き、庭に放り出して、兵学を体に焼き付けるように仕込んだ。
 大次郎は寺子屋にもいかず、ただひたすらに玉木の指導に耐え忍び学び続けた。玉木と大次郎だけの、一対一の指導であった。息抜きなどは一切ない。
 大次郎は九歳になると、家学教授見習いとして明倫館に出仕した。大次郎は先生方の横に座って、各先生方の講義を聞くだけであった。
 生徒達にしてみれば、小学の子供が紛れ込んでいるようなものであった。 講義の最中、大次郎は生徒の好奇の視線にさらされ続けた。 

 十歳になると、各先生は大次郎の代理教授から、家学後見人に変わった。
 大次郎の師範としての、お披露目の講義が、各先生も全員臨席して開催された。
 生徒たちは半ば強制されて、教場いっぱいに集まった。
 大次郎は講義の直前に、不覚にも左手を怪我してしまった。
 大次郎は左手の激痛に耐えながら、各先生と玉木に仕込まれた内容の講義を、なんとか終えることができた。大次郎は、つくづく治療してくれた昌景先生のお陰だと思った。
 以後も大次郎がお試しで講義をするときは、必ず兵学の先生方が同席して大次郎を見守ってくれた。
 実績も権威もある諸先生方である。
 大次郎は兵学書を棒読みして、ただ学んだことを語ればよかった。
 このお試しの講義を繰り返しているうちに、大次郎は気が付いた。生徒たちは大次郎を見ていない。心は周辺に座る先生方に向いている。大次郎など子供だと思っていることを。
 大次郎は講義しているうちに、みじめな思いを募らせるようになった。 

 大次郎が十一歳になると「親試」といって、殿様(毛利慶親、後の敬親)の御前講義をした。
 「親試」とは、明倫館から選ばれた教授や生徒が、殿様の御前で講義をしたり即興の詩を吟じたりして、日ごろの精進を披露する場である。
 学問に励み自分を磨くよう、殿様自ら声をかけてくれる場であった。
 大次郎の講義が終わっとき、殿様は大いに感心してくれた。

「余はそちの弟子になろう」

 大次郎は驚いた。
 殿様から、あまりに過分なお褒めの言葉であった。
 ただ大次郎の喜びは、明倫館の教場にもどった時に消えた。
 生徒たちの冷たい態度は、変わらなかった。 

 大次郎は、明倫館に出仕してからも玉木の指導を受け続けた。
 十三歳になった時、玉木も一年間だけであるが、家学後見人になった。
   このころ、玉木は自宅で私塾を開いた。
 玉木は塾の名を「松下村塾」とした。
「松本村塾でもいいのだか、松本村の下にあるから『松下村塾』にした」
 と、玉木は大次郎に語った。
   松下村塾での玉木の教え方は、まったく大次郎に対するものとは違っていた。村の幼い子供たちには、優しく素読などの稽古をした。
 大次郎は、玉木が明倫館で講義をしたときのことを思い出す。
 玉木の講義は、生徒に対しても、それはそれは厳しいものだった。
 大次郎の前で、いつもの厳しい玉木の講義をした。
 とはいえ、大次郎に対するほどではない。年頃の生徒に、学問への姿勢を叩き込むものであった。
 生徒が少しでも不真面目な態度をとれば、玉木は生徒たちの間に割って入った。
 生徒の胸ぐらを掴むと、生徒を引きずって教場の外に放り出した。
 玉木の講義に、生徒たちは緊張し恐れおののいた。
 生徒は欠席すれば、次の講義で玉木に「なぜ休んだのか」と追及される。

「そんなことで、兵学が身に着くか」

 玉木は激しい声で叱責した。
 こんな玉木だから、大次郎がお試しの講義する日に、後見人として玉木一人だけが付き添って睨みをきかしてくれれば、何も心配することはなかった。
 生徒たちは、上辺だけは真剣に大次郎の講義を聞いてくれた。 

 生徒がいない静かな教場で、大次郎は書見台の本を閉じた。
 大次郎はため息をついた。

「玉木叔父の真似はできないな」

 あと小半時(約三十分)もすれば、大次郎は兵学の講義もできずに、実家である松本村の杉家の家に帰る。
 途中、松本川を渡った先にある玉木の家に、本日の講義の報告に寄らねばなるまい。
 どうせ玉木から問い詰められることになるだろう。

「今日はどうだった。生徒は来たのか、来ないのか」

 大次郎は目を閉じた。

――明倫館の教授など、自分の器ではない。大人になったところで、貫禄がつくとも思えない。生徒になったこともないのに大学で講義するのは、いくらなんでも無理だ。

 大次郎は唇をかみしめた。
 教場の戸が少し開いた。
 山田右衛門がのぞいている。今日の一人講義の仕掛け人、山田右衛門である。

「どうだ。大次郎。あれま、誰も来ぬか」

 右衛門は教場を見回した。
 大次郎にかまわず、右衛門が教場に入って来た。まだ三十歳にもなっていない少壮の教授だ。
 大次郎は右衛門を睨んだ。
 右衛門は大刀(だいとう・打刀)を抜くと右手に持ち、どっかと大次郎の前に腰を下ろした。

「閑古鳥が鳴いておるの」

 右衛門の口調は軽い。
 大次郎は右衛門の学問の深さは尊敬している。でも、調子のよい早口を聞いていると苛立ってくる。

「大次郎、早く大人になれ」

 大次郎は頬を膨らませて横を向いた。

「無理ですよ」
「元服したくらいじゃ貫禄が付かぬか。そりゃ、そうだな。生徒もみんな同じような年だからな」

 右衛門は自分の言葉に、つい噴き出した。

「さてと、どうせ暇なら、大次郎、これを進ぜよう」

 右衛門は懐から紙片を取り出した。大次郎の前に広げた。

「これは万国全図というものだ。わが神州(日本)の外の世界を描いておる。ときどきこんなものが長崎から手に入る。暇つぶしに眺めておれば、気が紛れるであろう」

 右衛門は妙な地図を大次郎に押し付けると、勢いよく立ち上がった。右衛門は大刀を差すと、さっさと教場を出て行った。
 教場の外から右衛門の声が聞こえた。

「おい、お前たち。どこへ行く。待て。逃げるな。ちょっとこっちに来い。ここに入れ。いいから入れ。吉田先生がな、わざわざお前たちのために待っておられる」

 右衛門が、また教場の引き戸から顔を出した。

「おーい、大次郎。二人捕まえたぞ。あとは好きにしろ。それからな、また面白い地図でも手に入ったら、お前にやるからな。楽しみにしておれ」

 二人の生徒が、きまり悪そうな顔をして、教場に押し込まれた。
 生徒の後ろで、引き戸が勢いよく閉まり、右衛門の鼻歌が遠ざかっていく。 

 鞭声粛々 夜河を渡る
 暁に見る千兵の…… 

 『川中島』を吟じている。
 右衛門は、大次郎を除けば師範の中で最も若い。大次郎にとっては、兄貴分的な存在である。

「何が上杉謙信か。調子が外れておる。おっと」

 大次郎は慌てて、万国全図を懐にしまった。兵学書を開いた。山鹿素行の『武教全書』である。

「そこへ」

 大次郎は生徒に書見台の真ん前に座るよう指示した。
 生徒は二人して顔を見合わせた。大刀を抜いて右膝の脇に置いて、袴をさばいて腰を下ろした。
 大次郎は武教全書を読み上げ始めた。
 生徒の一人は天井を見上げ、一人は窓の外を見ている。
 大次郎の声は甲高くなった。 

 夕方のこと。
 大次郎は玉木の家に寄った。
 茅葺(かやぶき)屋根(やね)の小さな家だった。
 坂道の前にある座敷で、大次郎は玉木と対坐した。
 大次郎は玉木に今日の明倫館のことを報告した。
 そのまま胸の内の悩みを、大次郎はさらけだした。

「もうどうしたらよいのか、わかりませぬ」

 悔しくして悔しくて、大次郎の声は震えた。
 拳を強く握りしめた。
 畳を叩きたいくらいだ。
 大次郎の講義の間、二人の生徒は、まったく落ち着がなかった。こそこそ小声で話をしたり、眠そうな顔をして欠伸をかみ殺していた。
 大次郎は一人講義の様子を、玉木にありのままに語った。
 玉木は目を閉じて、胸の前に腕を組んだ。玉木は大次郎の話を遮ることもなく、じっと聞きいっている。
 ようやく大次郎の話が一段落した。大次郎の息は、興奮のため乱れていた。
 玉木はゆっくりと目を開けた。

「山田右衛門が覗きに来たか。あ奴らしいな。一人講義といった手前、じっとしておれなかったのであろう」

 大次郎には、山田右衛門の飄々とした声が思い出される。
 山田右衛門は、けっして大次郎をからかっているのではない。

――山田先生は、こうなることをお見通しだったにちがいない。

 大次郎は自分の未熟を自覚しているつもりだ。とはいえ、目の前の現実を受け止めるのは辛かった。
 大次郎は玉木ににじり寄った。

「教えてください。学問に歳の差なんて、関係がないはずです。学んだことをせっかく伝えようとしているのに誰も来ないなんて、もう、たまりませぬ」

 玉木は軽くうなずいた。大次郎をじっと見つめた。

「お前には、もっとやることがあるだろう」

 大次郎は玉木を見返す。

「どういうことです。もっと、やることとは」

 玉木は胸の前に組んだ腕をゆっくりと膝に下ろした。

「わしは、お前に学問を教えた。師範として必要な知識はすでに伝授した。幼かったお前が、こんな短い期間でたいしたものぞ」

 大次郎には、いつもの玉木らしくないと思った。
 声が優しすぎる。

――いつもなら、『お前が不甲斐ないからだ』と怒鳴るのに。

 玉木は続けた。穏やかな声だった。

「だが、教え方そのものは、教えることはできぬ。それは、己自身で考えねばならぬ」

 大次郎は必死だ。
 壁にぶつかっているのは、まさにそこなのだ。

「お前が、各先生やわしに頼る限り、教授としては進歩せぬ。わかるか、大次郎」

 玉木の顔が厳しくなった。

「お前なりの教え方は、自分で見つけるしかないのだよ」

 あっと、大次郎は思った。
 玉木は、大次郎の後見人に頼る思いが、工夫のない講義の原因であるといっている。
 玉木はふと思い付いたことを口にした。

「ただ最後に一つだけ、わしの思っていることを伝えよう」

 大次郎は玉木を見つめた。全身で玉木の声を聞こうとした。
 玉木の目が微笑んだ。

「生徒に教えるにあたって……わしの逆をやれ。これが、わしの最後の教えだ。大次郎、今までよく耐えたな」

 玉木の寂しげな顔があった。
 大次郎は畳に両手をついた。
 大次郎の脳裏に、幼いころからの辛い思い出が溢れてきた。

――叔父上は、鬼ではない。心を鬼にしていたにすぎない。

 大次郎は深く頭を下げた。

「今のこと、けっして忘れませぬ」

 この日から、大次郎の試行錯誤の日々が始まった。


以下は、関連リンクです。ご利用ください。


次のリンクは、全体22章の目次に各章のリンクを貼ってあります。無料読み放題です。お楽しみください。


サポートしていただき、ありがとうございます。笑って泣いて元気になれるような作品を投稿していきたいと思います。よろしくお願いいたします。