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「鎌倉に住んだら」新居を決めた日のエトセトラ


先日、鎌倉に新居を契約した。
由比ヶ浜1丁目、2DK、親友と二人で暮らすささやかな部屋。

今年に入ってから頻繁に鎌倉に通っている私は、お友達も増えてきたところだったので、前々からの夢だった湘南ライフについに踏み切ったというわけである。
とは言っても勢い半分なところもあるから、部屋を契約するときには少し緊張した。相変わらず一ヶ月先の未来さえもわからない生き方だけど、まぁいいか、前を向いているうちに足を踏み出そう!

その部屋は、仲良くなったバーのおじさんが教えてくれた立地最強の格安物件で、他にも何件か内見に行ったけれど「もうあっこでええと思う!」と相方が言ったのでその場でサインした。私もここがいいと思う。

「鎌倉に住んだら、和室の部屋で小さなサボテンを育てよう」


その夜はそのおじさんのバーでいろんな人たちと「鹿猪馬のジビエ鍋パーティー」をした。なんというセンス…私の大好きなクセのある肉たち…おいしいワインと心が冴え渡る冷えたビール…ありがとう鎌倉!私たち、ここでうまくやっていけそうだ。

鎌倉で出会った人たちは、みんな素敵なオトナだ。
あぁ、大人って楽しいな、こんな大人になりたいなって思わせてくれる。
地元の人も移住してきた人もいろいろいるけれど、この街を選んで住んでいるという点においてみんな共通した「力の抜き方」みたいなものを心得ていて、私はそこに惚れ込んでいる。
ゆるりと力を抜きながらも生きることに情熱的なオトナたち。年齢性別関係なく人を思いっきり大切にするとか、見栄をはらないとか、ちょっとずつぶっ飛んでるところとか、、
あぁ人生は人だ。つくづく。新しい街に暮らすというのは、どんな人たちに囲まれて生きたいかを選ぶことなんだ。
そして私たちは今日、最良の選択をしたんだ!おめでとう!

「野良猫のおともだちをたくさん作って名前をつけよう」

翌朝、武士(という超DOPEな友達、834歳)が作ってくれた朝食が、二日酔いの身体を労る。白米・味噌汁・焼き魚の朝食はいつだって無敵だ。追いTKGまですれば完全にキマる。

「ひいきにするお米屋さんを見つけて、おいしいごはんを炊こう」


相方はバイトがあるというので東京に帰った(えらい!がんばれ!)。
私は一人で温泉に入りたい気分だった。
平日の午前中はガラガラで、湘南の海と江ノ島を眺めながら露天風呂を独り占めにした。

「サーフボードとビーチサンダル、原付だって買おう、新しくなくていいけどかわいいやつ」


最近、ちょっとずつ、いろんなことが思い出せなくなった。
多動症のようにあちこち車を走らせていたようなこの冬は、毎日が濃すぎて、ほんと、なんだか全部嘘みたいだ。心も身体もずっと旅をしていた。
「本当にあんなことやこんなことしたんだよなぁ、全部本当なんだよなぁ」とたまに思い出してやらないと記憶が自分のものじゃなくなってしまいそうで怖い。

思い出すと痛いことだってたくさんある。
たくさんの出会いがあったけれど、もう一生会えなくなった人や、同じ気持ちで会えなくなってしまった人だっている。死ぬほど戻りたい愛おしい日々もあるけれど、その中には顔を覆いたくなるような失敗や醜い感情だってある。

全部、本当なんだよなぁ。

「感傷的になるのは暇だからだ」とよしもとばななはいつか書いた。
私は、温泉の黒く濁ったお湯で顔を叩いた。
なんだか、暇になりたいから感傷的になっているような気さえする。
私は夢見ることが上手な代わりに、愛を伝えるのが下手すぎたのかもしれない。

お風呂上がりには牛乳を飲んだ。
海沿いを走る車の数を数えながら、グビグビと飲んだ。

「この間作った湯呑みでお手製甘酒を飲もう」


近くにいた年配の女性二人組が「神様って、それぞれの都合でみんな勝手に変えちゃってると思うのよ」と話していた。
月曜日の朝に話す話題として適切かはわからないけれど、二人の飾る気も目的もない会話の間のようなものに少し救われた気がした。

「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」と伊坂幸太郎はいつか書いた。
その言葉をお守りのようにしていた10代の私は生きることに必死すぎて、そもそも人は深刻なときほど笑ってしまえる陽気な生き物なのだということをまだ知らなかった。


二人で、立っていられないくらい爆笑したことを思い出した。
なにがそんなに面白かったんだっけ。もうあんなふうに笑うことはないのかな。
苦しそうに笑い続けるあの人のくしゃくしゃの顔、息も吸えず喋れもしない私たちは、間違いなく幸せすぎる沈黙の中にいた。
あ〜涙が出るくらい笑う二人がいつか本当に存在したなんて、涙が出そうだ。

「古本とギターを持って、飽きるまで砂浜でゴロゴロしよう」


窓に切り取られた雲の速さを調べていると、観たい映画があったことを思い出したので、そのまま車を走らせた。
せっかくだからプレミアムシートでポップコーンとドリンクのセットまで抱えてみたけれど、案の定全然食べきらなかった。

半分以上残ったポップコーンを助手席に乗せてまたハンドルを握った。
そうだ、昨日の朝、相方から手紙をもらってたんだった。
最近始めたというワックスシーリング(名前知らなかったけど映画とかで観る封筒綴じる赤いハンコみたいなやつ)で留められた封筒を開けると、見慣れた字で思いっきりの愛が綴られていた。最後には「今日もぶっ飛んでいこうね!!」と書いてあった。
言われなくてもぶっ飛んだから大丈夫だ!と心で返した。

手紙を読む時に頭の中に流れてる声って、いったい誰のものなんだろう。100%彼女のでも、私のでもない気がするな。
私の相方は丸いけど勢いのある、大きな字を書く。

「友達をたくさん呼んで、年中鍋を囲もう」
「江ノ島まで海沿いをランニングしよう」
「おっきな樽で梅酒をつくって、新しい料理も覚えよう」


東京に帰る下道は少し混んでいたけれど、全然気にならなかった。そういえば今日、珍しくAppleWatch付けてなかったな。

「たまにわざと遠回りして帰ろう、和服なんか着てみよう」
「極楽寺駅をダッシュして海街diaryごっこをしよう、衣張山のてっぺんで叫ぶのもいい」
「近所においしいパン屋を見つけて焼きたての時刻を覚えよう」
「夏にはちょっといいうちわを買おう」
「アジカンのサーフブンガクカマクラを聴くためだけに江ノ電に乗ろう」
「相方とささいなことで大笑いしよう、喧嘩だってしよう」


忘れたいと忘れたくないの間でゆらぎ続ける私の毎日は、それでも新たな記憶を作り続けてゆく。
過去も未来も全部が今だ。
そして、そういう生き方は荷が重いけれど、その分いくらか豊からしい。
全部、連れて歩こう。それくらい大きな人間になりたい。

「鎌倉に住んでも、あの日々ことを忘れないまま、もっともっといろんな人たちを好きになろう。何度だって、泣くまで笑おう」



みんな遊びに来てねん。

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