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大事にすること、就寝後の花火と焼きそばパン


泥のような日々がしばらく続いた。
というか、泥になった。

イケイケドンドンぶっ飛びエブリデイ!みたいな楽しい半年間のつけが回ってきたような。

自分のエネルギーが急に底をついて、ただただ生きるのが下手としか言いようのない毎日。

そんな時は何をやってもダメで、頑張ろうとすればするほど気持ちいいくらいボロボロになっていく。ぶっ飛ばしてはへたこいて、ぶっ飛ばされてダウン。
すべて大事なのに何も大事にできない。何故この歳になって未だに生きる加減が分からない!救いようもないぜ。

終いには顔面から地面に突っ込んで血を流す始末。ウケる。(そういえば小さい頃、鼻に絆創膏を貼るのちょっとカッコいいなって時期があったこと思い出した。みんなあったよね?)

あぁ、これはもう神からの最終通告ですね。
一回ちゃんとします、ちゃんと精算します、、と一旦鎌倉を離れる決心をした。自粛!療養!

というのも、一人でへたこいてる分にはいいのだけれど、こんな自分では周りの人を大事にできないと痛感したから。
特に鎌倉で一緒に暮らしている相方に対して、ポジティブなエネルギーを発してない今の私本当つまんなくてごめんな〜以外の気持ちが出てこなくなってきた。まずい。
弱みは見せられないわ、でもだだ漏れしてるわ、どんどん一人で考え始めるわ、、、まずいまずい。
今の私のままでは、ここにいられない。

自分の問題は自分だけの問題じゃなくって、良くも悪くも分け合ってしまう。
一緒に暮らすということはそういうことだから。


東京での日々。
賑やかすぎた最近だったから、帰ってきた孤独は新鮮ですらある。

自分の中にある、人に見せたくない、でも隠れられない弱さ。
いつまで経っても変わらない甘さ。痛いくらい情けないこと。
言葉にすると身体がウズウズするくらい怖いこと。ずっと向き合えないこと。

ギリギリのところで逃げている。
本当は身勝手なだけなのも分かっている。
時間だけが長く、それでいて足りない。
考えることだけがやめられない。

東京から、鎌倉にいる相方に手紙を書いた。
ありがとうとごめんねでぐちゃぐちゃな心を、なるべく前向きに書いた。

どんなに自分に嫌気がさしても、会いたい人がいるというのは救いだな、と思えた。


内省の日々の後で、ようやく鎌倉に帰った。
帰ったら帰ったでなんだか普通みたいだ。
東京でのあれやこれやが不思議なくらい遠く感じる。

相方が手紙のお返事(しかも私のいなかった日々の日記風)をいつも通り声に出して読んでくれた。今どきこんなことしてくるヤツ、いない。毎回照れくさい。

一緒にいなくても彼女の日々の中にはちゃんと私か存在していて(もちろん私の日々にももっと)ずっと独りよがりになってた分、「もっと頼って」と言ってくれたことが苦しくて悔しくて涙が出た。それくらい嬉しかった。

あぁ、つくづく思う。
この人は私にとって大事すぎる人だ。

でもさぁ、さっきから大事大事、大事にしたいって言うけれど、大事にするってなんだよ、大事、大事、ダイジ、、、困っちゃうくらい大事だ。
でも大事に思うだけじゃ足りない、全然足りない。今の私に何ができる?何ならできる?

またぐるぐる…


むしゃくしゃしたので、少し走るつもりで出かけたら、気がつけば江島神社の前。

鎌倉から海沿いをず〜っと、8kmもぐんぐんと走ってしまった!えー帰れるかこれ?

部屋着と充電ギリギリのスマホひとつだけで。
もっかい言うけど、えー帰れるかこれ?

身体がこんなに軽く感じられたのは、心がとても重かったからかもしれない。
自分が大事にできないものや、思い出される遠い記憶たちや、堂々巡りする迷いや、どうにもできない弱さや、、そんな自分に対する怒りだけで、どこまでも走れる気がした。
叫びそうなまま、転びそうなまま、とにかく遠くへ走った。

走ったってどうにもならないし、そうやって自己憐憫の快感に浸ったところで何も問題は解決してないのも分かりきってるけれど、それでもこれは決意の問題だから。
自分の身体を使って痛めつけて、そうすることでやっと意味をなす種類の決意もあるから。少なくとも私はこれまでそうやり方で辛い時期を乗り越えてきたな、と思う。

誰もいない海も山も島も神社も、しんと霧がかっていて、ちょっと神秘的でさえある。ゾッとするくらいの独り占め。

月に照らされる夜道を走る、走る。
心に残る景色がたくさんあった。写真に撮っても伝わらない。ブレブレやんな。

五感で感じる空間と時間。
いつか忘れても身体が忘れない。


その日の夜更け。
クタクタの身体がプールのあとみたいな熱を帯びていて気持ちいい。

寝る準備も済んだ後、例のごとく相方と二人で布団を並べておしゃべりしていたら、なんとなく「花火しよう」となった。
なんとなく、今しかなかった。お互いそう思った。

布団を抜け出して二人でてくてく海辺へ行って、はしゃぎながら花火をした。誰もいない真っ暗な夜の中で、私たちだけが光っていた。

今日もお揃いの真っ赤なトレーナー。花火の燃える音、煙の懐かしい匂い。ビーサンの音。砂混じりの歩幅。夏の予感のするぬるくて湿った風。
間違いなく「いつか思い出す幸せな夜」だった。今この瞬間から、そのことが分かる。そういう類の夜だった。

久しぶりに二人で過ごす時間は、やはり愛しかない。
私たちは恋愛関係ではないし、もはや友達ともなんか違うし、家族みたいだけど家族ではないし、名前のつかない私たちだけの関係が確かにあって、だからもう名前なんていらない。
私とあなた、ずっとそれでいい。

共に人生を進めるパートナー、一番近くにいる人、いつも気にかける人、幸せでいて欲しい人、飽きない人、かわいい人、尊敬する人、笑わせたい人、頼れる人、頼って欲しい人。

今隣で同じ速度で歩いてる人、笑ってる人。

一緒に暮らしててもこうして二人で遊んだり、話が尽きないのとかって、いいよね。

一緒にいること、当たり前にしたくない。
これからももっと''ちゃんと''一緒にいたい。


いつまでもこの愛おしい生活が続くわけじゃないから。いつかのいつかは終わりが来るから。

でもだからこそ、嫌になるくらい毎日を生き抜こう。今目の前にあるものをちゃんと目見開いて見よう。愛そう。見ないふりすんなよ、もう。面倒くさがらず言葉にしよう。明日にすんな、弱さも全部今ぶちまけろ。迷惑なんてかけ合えばいい。そんでいて愉快でいよう。ヘラヘラしたり、真剣になったりしよう。泥臭くても人間しよう。

これは希望とかではない、前進ですらない。
いろんなことを蔑ろにしてしまった自分への復讐に近い。

自分のこと、嫌いなままでいいよ。格好つけてばっかで上等。
自分のためとかじゃなくて全然いいよ。人への愛だけで、何もなくてもこんなに走れるんだから。そのまま走り切ってみてもバチは当たらないだろう。



花火の後、相方が無性に焼きそばパンを食べたがっていたので、深夜のコンビニで買って帰った。
わかるわかる、よく分かんないものをどうしようもなく食べたくなる夜、たまにあるよね。

家へ帰ると、かつお節までかけてすんごい幸せそうに食べていた。
それを横で見ている私はたぶんもっと幸せだった。家に帰ってきたな、と思った。

大事にするって、何かをすることではなくって、人との間にあるささやかで愛おしい瞬間にちゃんと気づいて、ただこうして見つめていることなのかもしれない、な。

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