ひつじワールド

自分への好奇心でいっぱい。 ひつじはわたしの中のわたし=わたし。ひつじの世界をここに表…

ひつじワールド

自分への好奇心でいっぱい。 ひつじはわたしの中のわたし=わたし。ひつじの世界をここに表現。2014年の鎖骨骨折から人生の闇期に入り、心の学びをスタート。奇跡のコース、インナーチャイルド(HEセンター)13の月の暦の学びを柱に、体験、実感からハートの智慧を伝え、それを生きる

最近の記事

自分の可能性に魅了されて生きる

こんなことを書くと恥ずかしいけれど、ふと「あたしがあたしを見てみたい」そんな言葉が湧いた どこまで行けるんだろう どこまでやれるんだろう あたしがあたしを見てみたいよ あたしが自分に喜びたいよ そう感じたら涙が溢れて なにかが自分の中で一致した もはやそれが生きる動機と言える位。 神に見守られながら 伸びやかに動き 心を尽くす自分が浮かんだ 楽しみだ 楽しみになってきた なんでもいい なにをやっていてもいい どこまで行けるんだろう あたしがあたしを見てみたい。 今

    • 信頼について

      わたしは自分が迷惑な存在というビリーフ(信念)を持っていたので、 常に「自分が居ない方がいい」 と思い 「自分から居なくなる」 ということを繰り返してきました。 自分が迷惑な存在なわけは、 迷惑をかけるからなわけですが、 迷惑の奥に 「罪をおかしそうな気がする」という感覚があるのでした。 だから自分を信頼できないのです。 罪のようなことをしたことがあるのはたしかにありますが、 小さい頃に父から言われた言葉を思い出しました。 それはおそらく  父が恐れ

      • 現れにサレンダー。

        数学の美しさを垣間見た先日。 ヒロト(甲本)が歌ってくれた「デタラメだったら面白い」の中に浸かって過ごした 「ひつじshow店」の準備から終わりまで。 それは何かを解体するような時間で、わからなかったことがわかったり、摩訶不思議な感覚だった。 あたしは色々カタブツで 「言葉にならない」とか 「あいまい」とかが苦手だった。 意味がわからないって感じが苦手で、芸術とかさっぱりわからなかった。 今はっきりわかるのは、 自分の人生が辛く大変過ぎて、答えを教えてもらえ

        • 今日までの最高到達点

          昨日、一昨日と、 わたしが開いている「ひつじshow店」に遊びに来て下さりありがとうございました。 頂いたお庭の花を眺めながら、 頂いたおやつでコーヒータイム。 遠方から来てくれた方や いつも楽しみにしてくれる方、ふらっと寄ってくれた方など、 嬉しかったです。 (下記長いけど情熱の記) ホワイトボードライブでは 小学生の時に 「正しいことを習っているけど、所詮こんなものか」と感じたことや 中学生の時に 「マイナス✕マイナスはプラス」ということに躓きながら50歳まで疑

        自分の可能性に魅了されて生きる

          しょくざい。

          罪は無いと言われて心底安堵した2015年。あれからわたしは癒しの道に入りました。 それまでも同じようなことはしていましたが、「自分を癒やしたい」と感じたのは始めてでした。 罪は無いと聞いて安堵したのに、わたしはそれから楯突きはじめました。 罪が無いっていうならあれはどうなの?これはどういうこと?わたしが今までやってきたことは間違いだったの? そんな問いから今度は自我の世界を探求し始めました。 自我の世界の本を読んだり、ワークに参加して健全な自我を育て直しました。 その

          ナイから始まる物語

          あたしの物語は皮肉にもナイから始まる。 ナイナイナイから始まって アッタと気づく初期から始まり、 物語の通過儀礼の中で 最高にナイを恨む時期もあった。 恨む時期は本当に苦しかった。 あたしにアレがあったら 今はコンナじゃなかった アレがあったら コンナ思いはしなかった アレがなかったから コンナになっちゃった 癒してきて1つずつ昇華し アッタことに気づくこともあれば そのおかげで育った力に気づいたり そもそもここまで生きてきた力は最初からアッタ ギフト由来だ

          ナイから始まる物語

          エンペラーモード

          春休み企画 「子どもと過ごす、わたしの内側~子どもを通して自分を癒す」 参加費無料 場所 いまの場所 時間 違和感    イライラやムカつき    ザワザワした時 春休みに限らず夏休み、冬休みと、子どもと過ごす時間が増えると沸き起こる感情イライラしたりムカついたりザワザワ怒り爆発とかとか。自分の反応から内側を見て行くとそこには癒されないままの小さなわたしがいる場合があります。わたしは母親が厳しくて、色んな縛りがありました。許可を得てもダメと言われるわたしは、親が居ない場所

          エンペラーモード

          感情と神性

          こわいから 自分にある感情に触れたくない 何かあっても 平常心でいたいと思ってたし 感情を取り乱すことはカッコ悪いし、嫌悪する。 癒やされて行く過程で感じたのは、そもそも取り乱してしまう状態の中に 感じることを許されてこなかった自分がいた。 だから取り乱しちゃうけど、 感情の健全な扱いを知らなかったんだ。 泣いちゃいけない 怒っちゃダメ 怖がったら怒られて 喜ぶと調子にのるなと言われる 喜ぶことは少し恥ずかしくなり、 泣いたり、怖がったり怒ったりす

          ほんま人生ゲームなんだ。

          他人の人生をジャッジメントしそうになった自分にハッとした。 それはその人の人生なんだわよ!! ジャッジメントは羨ましさからだった。 「人生ゲーム」って言葉が湧いた時、笑ってしまった。 良く聞くけど、この世に人生のゲームをしに来たみたいな言い方はどこか好きじゃなかった。 だけど他人の人生をとやかく言いそうになって気づいた。 その人はその人の人生を わたしはわたしの人生をやっていて、 そのゲームのシナリオに意識的でも無意識でも、既にずっと前から主人公だ。 あーあたしは自分

          ほんま人生ゲームなんだ。

          罪悪感を真ん中にしたドラマ

          罪悪感を持っていると 自分の非を認められない。 ごめんなさいも ありがとうも言えない。 認められなくて 罪悪感を相手に押し付ける。 責任転嫁。 わたしのところにそれがなくなるように。相手へ。 誰も悪くないのにね、 本当は誰も悪くなかったんだ。 最初に罪悪感ボールを投げつけられて受け取ってから、 そのボールを持った。 そのボールは世界中をぐるぐるしていて、コミュニケーションにも使われる。 あなたのボールですよね? いえいえ わたしのではありません。  あーわたしで

          罪悪感を真ん中にしたドラマ

          ここに賛美

          一階に朝陽差し込む時が巡ってきた! ラッパがなるよ 奇跡の歓喜! 陽の光 ここに賛美。 使命なんて無いと言われると安堵する。 探し続け、求め続けたから。 だけど一方で えーっ、無かったの? じゃぁあれは? これは何だったの? とあがいてみて それでもやってることがある。 それが使命でもそうでなくても 喜びからやってしまう それでいい 使命っていう エンタメかもしれない。 とかとか 思うとあたしはおもしろい。

          あたしのdesire、情熱の薔薇Since1985

          すべてのものは今のままで完全で完璧な愛なんだとわかった。 そう思えなかったから癒やしたし そう思えないから その思えなさの中身を癒すんだ。 癒やされてきた自分の世界が良くなっているから、みんなに教えなきゃっていうときは、他人を癒されるべく人と見ているし、そう見ているのはあたしだ。 結局あたしが、癒やされる時なだけだ。 どんなに悪で間違ってるように見える人がいて、自分の考えで正したくなったとして、そう見えてるのはあたしだし、 あたしを思い出す為にあたしをあたしに出合わせ

          あたしのdesire、情熱の薔薇Since1985

          あたしたちには力がある。

          あたしたちには力がある。 それを伝えたくて それを一緒に思い出したくて 心の活動を 色んな形でやってる。 それを思い出してきたここ数日。 震災の時もそうだった。 自分が大きな声でずっと言ってるのは  あたしたちには力がある。 ってこと。 忘れちゃうんだよ つい力があることを忘れて この世的な世界観の中で 自分を小さくしてしまう。 だけど小さくいたり 無力でいる方が なんてゆうか いい感じでもある。 自己卑下  自己憐憫 は自分の得意技だ

          あたしたちには力がある。

          思いがけず涙が溢れて。

          子どもへの罪悪感を感じていた。 自分の思春期を投影した。  それからの心配が絶えない人生と、その傍らでいつもの死への憧れを抱きながら生きてた日々が湧いてきて鬱蒼としていた。 それでも癒えてきて言えるのはそこに翻弄されてはいない。  未消化な感情、押し込めていた感情が意識に上がりたがっているようにも感じられて、日常を過ごす傍らで繊細に感じてはそこに手を伸ばしていた数日だった。 友人が年末に届けてくれた Mrs Greenappelの「soraniji」という曲を聞きたいと思

          思いがけず涙が溢れて。

          あたしのせいじゃない!と、言っていた。

          おそれのじんぞうと申します。 昨日、腎臓からアクセスして恐怖心と向き合った。 そこから取りこぼしたアダルトチャイルドを見つけ、緊張を保つことで守り続けてくれたことに労いの思いをたくさん伝えた。 癒しが起きたけれど あと一歩何かがあった。 「迷惑かけた」 ~迷惑な存在と感じると死にたくなる位に感じるチャイルドがまだあたしの中を叩いていた。 ちょっと何かに橋がかかったまま 聖霊にお掃除を頼みながら寝た。 「迷惑かけてしまった」と感じるや否や、瞬時にその恥の中に入って胸がキ

          あたしのせいじゃない!と、言っていた。

          腎臓からアクセス

          おそれのじんぞう と申します。 恐れの腎臓。 8年前に骨折した時に 「マワリテメクル」を開いた。 腎臓は恐れに関係していて、骨や歯、耳に症状がでたりするそうで、その時、骨折という形でやりすぎたことが終わった自分を振り返っていた。 恐怖心を捨てましょうと言われて捨てられればラクだけど、 あたしはますます恐怖のトンネルに入り、それから自分を癒す道に入った。 あれから8年。 たくさんのインナーチャイルドを見つけて癒してきて、 愛が流れ込む人生へと変化してきたし、今も日々自

          腎臓からアクセス