ひつじワールド

自分への好奇心でいっぱい。 ひつじはわたしの中のわたし=わたし。ひつじの世界をここに表…

ひつじワールド

自分への好奇心でいっぱい。 ひつじはわたしの中のわたし=わたし。ひつじの世界をここに表現。2014年の鎖骨骨折から人生の闇期に入り、心の学びをスタート。奇跡のコース、インナーチャイルド(HEセンター)13の月の暦の学びを柱に、体験、実感からハートの智慧を伝え、それを生きる

最近の記事

この感情を説明してほしかった

自分だけしらけてたり 自分だけ感情移入していたり どこか深いところで その場の多くの人の感じに抵抗するかのように違うところを感じたい自分がいた。 実は乗り切れないから何かの理由に居続けたかったという面と、 感覚的な違和感だけれど大事なことが自分にやってきている感じに一人在るしかないような。 そこには大きな失望や絶望も孤独もあるんだけど、安堵ややすらぎも大丈夫な感覚もあって、同時に全部あるから昔は抱え切れずに防衛した。 今はあっ、今そこに居るってわかるだけ楽になった。

    • 多重で幾重で全部あたし。

      どうしても自分ではどうにもできない感情がある。  羨ましいとか憧れなのに、ケチをつけたくなる。 羨ましいと言ったら負けなの。 憧れって言ったら負けなわけよ。 だけど、もう一人の自分は素直で、 「羨ましー」「憧れるわぁ」って言ってる。 それだけですごく解放されてる。 今までこういった件は直視し、感情を感じ、解放されるまで泣いた。 今はなんか違う雰囲気があって、 「自分がソレを選んでる」って感じるの。 羨ましいって言ったら負け 憧れるって言ったら負け というストーリー

      • 人生自作自演

        お盆期間の花仕事を終え汗だくで帰宅し、洗濯機を回してから冷凍餃子を焼いて山盛り飯を食べる。 ガテン系みたいな自分がイケてる(笑) 冷房の家は、火照る体にはひゃっこくて冷房が届かない場所で一休みし、洗濯物を干したら水着に着替えて海までひとこぎ!海ドボン! サイコーサイコーサイコー  乾いた喉にビールみたいな潤い(笑) 海ドボンで潤い、すべてを流す。 帰宅し、水着のままでホースで虹をつくりながら植物にお水を撒く。 水着を洗うついでに生ゴミ箱を洗い、シャワーして昼寝。

        • なんでもいい

          夕涼み。 ベランダから夕焼け。 どんなドラマを遊んでも良くて それは例外なくみんなそうで、 他者がどう生きても良い。 それにきっと それあたしがやったやつだ。 って思うからなんでもいい ゆるされているとも言える。 たまにそれはダメでしょ、 ってやつにあう。 あたしの罪悪感の現れだ。 今あたしはどこでも自分の本当の言葉を話している。 理由その一 目的があってつながった色んなグループの目的が終わってきた。そしたら 目的の奥で繋がりだしたから。 面白い 目的は単なる目

        この感情を説明してほしかった

          祈りことがある世界が終わりますように

          祈れる人になってきて嬉しい。 その時感じた。 祈れる人になれてきた自分は 祈りを必要とすることがあるというのを終わりにしたいと思いはじめた。 わたしの祈りは 祈ることがある世界を終わらせたいということを感じ、胸にせまるものがあった。

          祈りことがある世界が終わりますように

          自分の可能性に魅了されて生きる

          こんなことを書くと恥ずかしいけれど、ふと「あたしがあたしを見てみたい」そんな言葉が湧いた どこまで行けるんだろう どこまでやれるんだろう あたしがあたしを見てみたいよ あたしが自分に喜びたいよ そう感じたら涙が溢れて なにかが自分の中で一致した もはやそれが生きる動機と言える位。 神に見守られながら 伸びやかに動き 心を尽くす自分が浮かんだ 楽しみだ 楽しみになってきた なんでもいい なにをやっていてもいい どこまで行けるんだろう あたしがあたしを見てみたい。 今

          自分の可能性に魅了されて生きる

          信頼について

          わたしは自分が迷惑な存在というビリーフ(信念)を持っていたので、 常に「自分が居ない方がいい」 と思い 「自分から居なくなる」 ということを繰り返してきました。 自分が迷惑な存在なわけは、 迷惑をかけるからなわけですが、 迷惑の奥に 「罪をおかしそうな気がする」という感覚があるのでした。 だから自分を信頼できないのです。 罪のようなことをしたことがあるのはたしかにありますが、 小さい頃に父から言われた言葉を思い出しました。 それはおそらく  父が恐れ

          現れにサレンダー。

          数学の美しさを垣間見た先日。 ヒロト(甲本)が歌ってくれた「デタラメだったら面白い」の中に浸かって過ごした 「ひつじshow店」の準備から終わりまで。 それは何かを解体するような時間で、わからなかったことがわかったり、摩訶不思議な感覚だった。 あたしは色々カタブツで 「言葉にならない」とか 「あいまい」とかが苦手だった。 意味がわからないって感じが苦手で、芸術とかさっぱりわからなかった。 今はっきりわかるのは、 自分の人生が辛く大変過ぎて、答えを教えてもらえ

          現れにサレンダー。

          今日までの最高到達点

          昨日、一昨日と、 わたしが開いている「ひつじshow店」に遊びに来て下さりありがとうございました。 頂いたお庭の花を眺めながら、 頂いたおやつでコーヒータイム。 遠方から来てくれた方や いつも楽しみにしてくれる方、ふらっと寄ってくれた方など、 嬉しかったです。 (下記長いけど情熱の記) ホワイトボードライブでは 小学生の時に 「正しいことを習っているけど、所詮こんなものか」と感じたことや 中学生の時に 「マイナス✕マイナスはプラス」ということに躓きながら50歳まで疑

          今日までの最高到達点

          しょくざい。

          罪は無いと言われて心底安堵した2015年。あれからわたしは癒しの道に入りました。 それまでも同じようなことはしていましたが、「自分を癒やしたい」と感じたのは始めてでした。 罪は無いと聞いて安堵したのに、わたしはそれから楯突きはじめました。 罪が無いっていうならあれはどうなの?これはどういうこと?わたしが今までやってきたことは間違いだったの? そんな問いから今度は自我の世界を探求し始めました。 自我の世界の本を読んだり、ワークに参加して健全な自我を育て直しました。 その

          ナイから始まる物語

          あたしの物語は皮肉にもナイから始まる。 ナイナイナイから始まって アッタと気づく初期から始まり、 物語の通過儀礼の中で 最高にナイを恨む時期もあった。 恨む時期は本当に苦しかった。 あたしにアレがあったら 今はコンナじゃなかった アレがあったら コンナ思いはしなかった アレがなかったから コンナになっちゃった 癒してきて1つずつ昇華し アッタことに気づくこともあれば そのおかげで育った力に気づいたり そもそもここまで生きてきた力は最初からアッタ ギフト由来だ

          ナイから始まる物語

          エンペラーモード

          春休み企画 「子どもと過ごす、わたしの内側~子どもを通して自分を癒す」 参加費無料 場所 いまの場所 時間 違和感    イライラやムカつき    ザワザワした時 春休みに限らず夏休み、冬休みと、子どもと過ごす時間が増えると沸き起こる感情イライラしたりムカついたりザワザワ怒り爆発とかとか。自分の反応から内側を見て行くとそこには癒されないままの小さなわたしがいる場合があります。わたしは母親が厳しくて、色んな縛りがありました。許可を得てもダメと言われるわたしは、親が居ない場所

          エンペラーモード

          感情と神性

          こわいから 自分にある感情に触れたくない 何かあっても 平常心でいたいと思ってたし 感情を取り乱すことはカッコ悪いし、嫌悪する。 癒やされて行く過程で感じたのは、そもそも取り乱してしまう状態の中に 感じることを許されてこなかった自分がいた。 だから取り乱しちゃうけど、 感情の健全な扱いを知らなかったんだ。 泣いちゃいけない 怒っちゃダメ 怖がったら怒られて 喜ぶと調子にのるなと言われる 喜ぶことは少し恥ずかしくなり、 泣いたり、怖がったり怒ったりす

          ほんま人生ゲームなんだ。

          他人の人生をジャッジメントしそうになった自分にハッとした。 それはその人の人生なんだわよ!! ジャッジメントは羨ましさからだった。 「人生ゲーム」って言葉が湧いた時、笑ってしまった。 良く聞くけど、この世に人生のゲームをしに来たみたいな言い方はどこか好きじゃなかった。 だけど他人の人生をとやかく言いそうになって気づいた。 その人はその人の人生を わたしはわたしの人生をやっていて、 そのゲームのシナリオに意識的でも無意識でも、既にずっと前から主人公だ。 あーあたしは自分

          ほんま人生ゲームなんだ。

          罪悪感を真ん中にしたドラマ

          罪悪感を持っていると 自分の非を認められない。 ごめんなさいも ありがとうも言えない。 認められなくて 罪悪感を相手に押し付ける。 責任転嫁。 わたしのところにそれがなくなるように。相手へ。 誰も悪くないのにね、 本当は誰も悪くなかったんだ。 最初に罪悪感ボールを投げつけられて受け取ってから、 そのボールを持った。 そのボールは世界中をぐるぐるしていて、コミュニケーションにも使われる。 あなたのボールですよね? いえいえ わたしのではありません。  あーわたしで

          罪悪感を真ん中にしたドラマ

          ここに賛美

          一階に朝陽差し込む時が巡ってきた! ラッパがなるよ 奇跡の歓喜! 陽の光 ここに賛美。 使命なんて無いと言われると安堵する。 探し続け、求め続けたから。 だけど一方で えーっ、無かったの? じゃぁあれは? これは何だったの? とあがいてみて それでもやってることがある。 それが使命でもそうでなくても 喜びからやってしまう それでいい 使命っていう エンタメかもしれない。 とかとか 思うとあたしはおもしろい。