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信頼について

わたしは自分が迷惑な存在というビリーフ(信念)を持っていたので、

常に「自分が居ない方がいい」

と思い

「自分から居なくなる」

ということを繰り返してきました。


自分が迷惑な存在なわけは、

迷惑をかけるからなわけですが、

迷惑の奥に

「罪をおかしそうな気がする」という感覚があるのでした。


だから自分を信頼できないのです。


罪のようなことをしたことがあるのはたしかにありますが、

小さい頃に父から言われた言葉を思い出しました。


それはおそらく 

父が恐れている自分自身だったのだと思います。


その感覚が父から来ているから、色んな角度から父とのことを癒してきました。


が、昨日友達の投げかけにより、

その同じ感覚を

生物学的な母から受け取っていることを感じたのです。


それは鋭く

自分の中で一致しました。

母もだったか。

ビックリしました。


涙が湧き上がりました。


なんだか自分がかわいそうになりましたので静かに感じることにしました。


父と母から受け取ってきた感覚に、健気に罰し、償い、

そして常に暴走するかもしれないわたしを止めてほしいと懇願しているわたしを見つけたのです。


自由の手前で

わたしの行く手をはばむものは

わたしの信念でした。


罪悪感で繋がるという切り口で

母との繋がりを癒やしてきましたが、

自分が罪をおかしそうな気がするという父でやってきたビリーフがそこにも見えた時は驚きました。


安堵と解放が起こり、

また頭がさがる思いになりました。


わたしは自分に泣きましたが、 父と母がそれを抱えて生きてきたことにも泣きました。


それはわたしのエネルギーじゃなかったということがはっきりわかった時、

お別れの愛図がきたのです。


わたしはわたしのエネルギーを生きる。


父と母と

繋がるすべてのものに

信頼が湧いてきました。


わたしたちには力がある。


そして起こるべきことは起こり

それは完璧なのだ。


雨の音がわたしを落ち着かせる。

土が湿る。

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