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自分の心に蓋をせず、自分の人生を歩むこと

こんばんは。さくらです。私の書いた記事「生きる事は綺麗事じゃない。自分の持って生まれた課題。」についてコメントをいただいて、やはり、義父、義母との同居で悩む人は多いんだなって思いました。大人になると実の親兄弟でも意見の違いやコミュニケーション不足で不仲になることはありますよね。それが結婚相手の両親となると遠慮したり、相手を立てたりして、自分の本音はなかなか伝えられないものです。

私は、私の物を整えられるのが嫌でした。お風呂のボディタオルをきちんと四つ折りにされたり、靴の向きをいちいち揃えられたり。義母は自分のものは適当なのに私のものだけ、整えるのです。嫌すぎて、自分の物をお風呂場に置かないなど、抵抗もしましたが、ストレスが溜まってある日、ブチ切れました。

私が義父母のトイレ掃除を善意でした時、「掃除はいつもしてるのに、嫌味か?」と義父母に憤慨されました。
私「子どもも使わせてもらってるから、気がついた時にやらせてもらっただけですよ。」
義父母「してるけどな、当てつけみたいにしてから。」
私「最近臭ってきてたし、便座の裏とかしてますか?今もすっごい汚れてましたよ。床や壁も拭いたりしないと。気になったから掃除しただけですよ、なんでそんな言い方するんですか?」
と、私もだんだんヒートアップ!

庭の草取りも私1人ですると、嫌味か!とまた怒られかねないので、子どもを連れて一緒に庭の草取りをしていました。孫がいると、機嫌がよくて義母も「助かるわ。」とニコニコ顔です。

生活の中のこんなバトルはたくさんありますけど、「どうやったら相手を怒らせずに自分の気持ちを伝えられるのか。」いつも悩んでいました。

干渉されたくない私と干渉したい義母。
挨拶だけで出かけたい私と挨拶プラス一言いたい義母。「仕事行くん?ええ天気じゃな。」とか、擦れ違って、もう2、3歩離れているのに相手を立ち止まらせてまで何か取り付けていう人でした。もう擦れ違ってだいぶ離れているのに呼び止められて、困惑しているご近所さんをみたこともあります。コミュニケーションというより、挨拶の押し付け、親切の押し売りが正直、わずらわしかったです。

相手をこのうちの社長、会長だと思って我慢しようとか、相手に合わせて笑顔で答えようとか、自分の感情を殺して15年生活しているうちに、私の脳や体はいつも無意識のうちに戦闘態勢で緊張し、かたくなってしまいました。

救いを求めて色々な自己啓発本や心理学の本も読みましたが、息苦しさは増すばかりです。自治体や精神科へ相談する気にはなれませんでした。私の心が求めていたのは、ズバリ、直談判(じかだんぱん)、直接対決。一対一のタイマン勝負でした。

なぜ、自分の思いを言えなかったのか、
相手を怒らせたくない。
傷つけたくない。
争いたくない。悲しませたくない。

私は怒ってはいけない。
わがままを言ってはいけない。
我慢しなければいけない。
という、私の勝手な思い込みだったと思います。

プライドも捨てて、カッコ悪くてもいい、情けなくてもいい。
自分をさらけ出して』よかったんだと思います。勇気がいるけど。

子どもの頃、悪いことをして、「これが親に知れたら、絶対怒られる。ぶっ飛ばされる。ボコボコにされる。」と絶望的な未来に嗚咽しそうなことがあっても、
いざそれが親に知れても、肩透かしを喰らうほど、あっけなく済まされた。ってことがありました。

娘もこの世の終わり。のような面持ちで私に事を打ち明けて来ることがありましたが、こちらからすると、「そんなことで?」「想定内です。」「ノープロブレム。」となることがほとんどです。天と地がひっくり返るようなことはそう、起こりません。

なので、自分が苦しい時は少しずつでも満杯になったストレスや思いを相手に伝える。ありのまま伝える。紙に書くのもいいですし、私は神仏に聞いてもらいました。「私は至らない嫁ですみません。でももう限界です。助けてください。どうすれば良いですか?教えてください。」と。

でもそれらは、効果があったと思います。言葉は波動を起こし、言霊となって相手へ届く。真っ直ぐな思いは相手へ届く。

そして、覚悟を決める事も大事だと思います。自分はどうしたいのか、決めることです。前に90歳くらいの女性のよんだ句で「この道しかない。〇〇子」というのを目にした時、私の心に刺さりました。

それは、「この人と一緒になって歩いてきた道、(あの道、この道もいいかも知れないけれど、)私の生きる道はこれしかないんだ。」という覚悟がズドンと私に入ってきました。様々な苦労を乗り越えてきた人生の先輩の言葉。

その句にあって私も腹をくくりました

言わなくてもわかるだろう。ではなくて言わなきゃわからないです。少しずつでも心と心で話あっていきましょう。そうでないと、死んでももやもやがお互いに残ります。お風呂場で義母に生前言えずにモヤモヤしていたことが溢れてきて、「あんなことが嫌だったよ。あれも、本当に辛かった。」と1人で思いをぶちまけました。すると、モヤモヤは浄化されて、今はもう、義母への負の感情はありません。

自分はどうしたいか、自分の心に素直に生きましょう。
自分の心に素直になることが、自分の人生を歩む事だと思います。



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