殺人できないデスノートを作ろうと思う
たまにやってくる激ストレスのまま朝を迎える日。
原因も対処法も既に分かっているので、後は淡々と行動するだけで良いのだが、ストレスはストレスだ。
原因と対処法が分かったらスッキリするのか思いきや、そうでもないのが人間らしい。
「起こったこと」から頭を切り離すことは難しい。
自分の性格上、1カ月もすれば覚えてすらないだろうが、
「今ストレスである」ことは揺るがない。
「チルする?」なんて言葉を考えた人は天才だ。
人間というのは体や心がダメージを受けているときに「何かしら」を施せば、少し楽になった気がする生き物。
それこそベッドに横になるだけでも「少し楽になった」と感じる。
割高なドリンクや根拠のない自己啓発を施しても、「少し楽になった」と感じるだけで、問題自体は解決していない。
「少し楽になった」と感じるのも、本当にそれによる効果だったのかすら怪しい。
サラリーマンのときに仕事で大きいトラブルを抱えて、先輩に相談して色々話を聞いてもらったが、翌日も引きずっている僕の姿に先輩は、
「なんだよ昨日あんなに話したのに、まだ引きずってんのかよ。安い栄養ドリンクより効き目が悪いじゃねーか」
と言っていた。
まあそんな感じ。
こうして文字を書いていると「少し楽になった」と一緒に、思考の整理がされていく。
うだうだ書いているように見えるかもしれないが、頭の中は整理されているから十分だ。
個人差があるかもしれないが、スマホやパソコンだと効果が半減する。
おそらく予測変換が原因だと思う。
面倒だし疲れるけど、1文字ずつ書き起こすことで、
「わざと頭をゆっくり動かす」ことにつながる。
早口で説明されるより、ゆっくり説明された方が正確に把握しやすいのと同じだ。
「聞き逃し」が減るのだ。
動画学習で2倍速で見るのは「おおまかな概要を知る」にはコスパが良いが、「しっかり理解する」ことには向かない。
早口で話がちな人や、せっかちな人にこそ試してみてほしい。
紙とペンってやつは天才的な発明だ。
安いコストで持ち運びできて用途は無限大。
さらに見られたくないものは燃やすことで根絶できる。
最近では「デジタルタトゥー」という言葉があるように、ネット社会の怖い一面も浮き彫りになっている。
Youtuberのヒカキンが、「LINEはスクショされる前提で使っている」と言ったいたのが印象的だ。
ネットに接続している時点で「プライベート用」と言っている端末や環境は全然プライベートではない。
双方向でデータを交信する以上、自分がどんなに隠密に行動していても、交信先の人間やプログラムは想定外の動きをする可能性があるからだ。
さらに削除機能が付いているサービスを使っていたとしても、
「本当に削除されるか」は僕らに保証されていない。
「厳重に管理します」と言っているだけで、「完全に消します」とは言っていないサービスがほとんど。
画面上からは消えていたとしてもデータベースにには残っている場合だと、
「いつでも再表示できる」からだ。
僕らの身近にあるもので一番マシなのはiPhoneくらいだろう。
iPhoneは所有者が亡くなった場合、「第三者が中身を見る」ことが基本的に出来ないようになっている。
何かの事件に関わっているとしてFBIが情報開示を求めたにも関わらず、Apple社が断固として拒否したという事例もある。
プライベートに神経質な人は今すぐiPhoneに乗り換えると良いだろう。
話を戻して、紙とペンというのは良い道具だ。
ここまで1,500文字くらい書いただろうか。
書けば書くほど思考が整理されるのを感じる。
先ほど「チルする」の話をしたときに思ったのだが、ドリンク系はあるのに紙とペンで「チルする」などメンタル系を対処する商品が見当たらない。
古臭いからかな?
リラックスできる食事の場では使いづらいから?
斜陽産業だから?
トレンド的な話で言うと紙とペンが無くなるのには相当な時間がかかると思う。
デジタル化が進むのは間違いないが、会社、個人ともに「〇〇の作業は紙で記入する」というものが絶対ある。
それらもデジタル化するのだが「紙に記入する人」が自らの意思でデジタルに乗り換えることは相当困難だ。
未だにガラケーを使っている人がいるように心理的ハードルというのは、
ミュウツーやドルマゲスよりも強い敵だ。
さらに日本に限っては民主主義と同調圧力の文化だから「無理やり変える」という行動に出ようもんなら袋叩きに合う。
人間というのは恐ろしい生き物だ。
そういう意味で紙とペンは、僕が生きているくらいの年数は残り続けると思う。
先ほどデジタルタトゥーの話をしたが、何も悪い面ばかりではないのかもしれない。
最近はモラルだのコンプライアンスだのが厳しくなっていて、ネット上での言論の在り方について考えさせられる機会がある。
また残念ながら命を落としてしまう事例も出てきた。
以前の記事で「日本は嫉妬文化だ」と書いたように、いじめや誹謗中傷が無くなることはない。
「実名制にすべきだ」という議論もあるが、FaceBookでも誹謗中傷がある時点で残念ながら有効な施策ではない。
しかし言われる側だけがリスクを背負っている訳では無いんじゃないだろうか。
デジタルタトゥーの世界なので、言う側にもリスクがある。
例えばTwitterを見ていても「使い方分かってないな」と感じる人を見かける。
誰か攻撃したい人にリプやDMで悪口を言ったとして、まるでスナイパーのごとく遠くて安全な場所から攻撃しているつもりだろうが勘違いだ。
双方向のコミュニケーションである以上、「受け取った側」の動きまではコントロールできないからだ。
某経営者はリプで来た悪口を引用リツイートで、「こんなバカがいます」といったように晒して反撃している。
某お笑い芸人はDMで来た悪口をスクショして、「アホを見つけました」といったように晒してネタにしている。
大抵の人は器が大きいのでアカウントにモザイクをかけているが、もしそんな配慮をしてくれない人が相手だったらどうなるだろうか。
アカウント名とともに自らの愚行をフォロワーに晒され、未来に残り続けるのだ。
デジタルタトゥー恐るべし。
もし意味のない悪口を書き込んでいる人がいるならば、今すぐ辞めて過去まで遡って削除することを勧める。
ちなみにTwitter社のエンジニアに聞いた話では「リツイート機能をよく使うのは日本人だ」とのこと。
日本で流行った「デスノート」という漫画があったが、ああいうものが本当にあったら使いたくなるのだろうか。
さすがに死ぬ要素は再現できないが、「嫌いな人を書く」という行為自体はやりたいのだろうか。
突き詰めると「日記」になるのだろうが、なかなか言いにくいことを自分や特定の人しか分からない形でメモしたりストレス発散する術は良いかもしれない。
1つだけ問題なのが、「何をどんな風に書いたら良いか分からない」という点だ。
白紙のノートだけ渡されてもペンは進まない。
また書くことが決まっていても表現方法に困ることもあるかもしれない。
新卒研修で「今日学んだことを書いてみましょう」なんていうノートを貰った人がいたかもしれない。
「今日大事だと思ったことは?」
「今日初めて知った言葉は?」
「明日からどのように活用する?」
なんて質問が予め設定されたノートもある。
自己分析ツールとの掛け合わせになっていて良いと思う。
あれを応用するのが良いかもしれない。
ただ恐らく「質問」が相当大変になると思う。
自己分析ツールのような当たり障りのない質問だと作業感が強すぎるし、
禅問答のような質問だとペンが進まない。
絶妙なラインの「書きやすく芯食った質問」でなければならない。
もし実現できれば試しに自分で使ってみよう。
人の悪口ばかり書いている自分みたいな奴が実験台にふさわしい。
書き終わったら責任を持って処分しよう。
燃やすなりシュレッダーなりトイレに流すなり。
ちなみにトイレに流せる紙って何の素材で出来ているんだろう?
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