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書きたいことがありすぎても。

一昨日は夏至だったらしい。1年の中で1番日が長い日。

その夏至を境目に、沖縄では暴力かのような暑さが襲い始めた。例年より雨量が多かった梅雨も嘘かのようにすっかり明け、ギンギラギンの太陽が大活躍の季節にバトンが渡った。

ここ数日はそんな私自身の梅雨だったかのように、noteが全く書けていなかった。なんだか思うことがありすぎたのだ。

私のシンプルな毎日では、自分の心の動きが結構如実にわかる。シンプルが故に、その日その日の「今日のハイライト」とやらを自分で認識しやすい。今日という1日はいわゆるこんな1日だった、と。つまり、こうして日記らしいものを書く上ではそのシンプルな暮らしは書きやすさに直結している。

ただ、ここ数日は自分の頭の中になんだかぼや〜っとモヤがかかっていた。というのも、感じること、書きたいこと、残しておきたいことが次々と浮かぶ。次々と起こる。なのにも関わらずひとつ浮かんでは次の何かに覆われ、またその次の何かに消される、という忙しない日々がしばらく続いていた。

浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返しているうちに、なんだか何も書けなくなってくる。消えないうちに書き残したらいいのにとわかってはいても、そういうときに限って身も心もわちゃわちゃしているので、もちろん書く余裕なんてものもなかなか見つけられない。

書きたいことは尽きないので本当はとても書きたいし、書くことで整理されることもわかっているからこそ、日々の書く習慣をもっと大切にしたい。と思いながらも、次から次へと何かが起きすぎる毎日では、私は目が回ってしまう。不器用な故にちょこっと隙間時間でサクッと、みたいな書き方もできないし、1人で静かに時間を取らないと書けないのもネックになる。そして「昨日書きたかった何か」も綺麗さっぱり消えて無くなるわけではないので、その曖昧に残った心のざわつきが、次の日に感じる「何か」も聞こえづらくさせる。悪循環だ。

そして悔しいことに、それに対しての解決策も、ほぼ「書くこと」しかないということも私の頭をさらに悩ませる。

書けば書くだけ楽になることは知っている。書けば書くだけ私の中で渦巻くモヤつきはひとつひとつ整理され、意味を持つ。私の中に蓄積する重荷がなくなり、そこに生まれた隙間は次に書きたいことへのアンテナへと形を変える。

その工程がとても心地が良いこともわかっているのだけれど、絡まり合った糸屑のほどき目が見つからないように、どこから書き始めて良いのかがわからない。書きたいことは山ほどあるのに書き始められない、という現象に陥るのだ。

きっと、この現象を解決するためには、なんでも良いからまず無理にでも書き出してみることをひとまずの目標にしてみることが大事なのだろう。または反対に、書きたくてどうしようもない気持ちをぐっと抑えて、すでに蓄積しているのに書けていないことたちを一旦思い切ってゼロにリセット。そしてまた再スタートを切る勇気を持つことが、そういう時の私にできる唯一のことなのだと思う。

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