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私の不登校の話①

私の不登校は、幼稚園の頃から始まっていた。
朝、家を出ると近所に身を隠し、父が仕事に向かうの待った。電信柱の陰から観察し、父がいなくなったのを確認すると、家に戻った。かぎっ子だったからできたことかもしれない。母は亡くなっていたか入院中だったか覚えていないが、とにかく家には誰もいなかったので、子どもの私にとってはそこで成功だった。

幼稚園をさぼったのは、プールのお着替えが嫌だったからだ。男の子と一緒に着替えさせられるのが嫌だった。きっかけは多分それだった。何回くらいさぼったのか、本当にお着替えだけが理由だったのかは今となってはもう思い出せないけれど、ある日、仕事に向かったと思った父が突然帰ってきて、私の成功は終わった。

玄関がガラガラと開く音がして、「みき、みきいるのか」という父の声が聞こえた。私はとっさにこたつの中に隠れた(ということはプールの季節以外もさぼっていたな)。父の足音がして、こたつの毛布がめくられ、見つかった。

今思えば、子どもが連絡もなく登園してこなかったら親に連絡がいくのは当然だ。その後怒られたり、幼稚園で気まずかったりした記憶はない。私はおとなしい良い子として、幼稚園から小学校へ進んだ。


小学校をさぼったのは、たしか、3、4年生くらいの時だった。
私の小学校では朝のあいさつ運動として、高学年の生徒が10人くらいずつ当番で正門に並んで立っていた。その朝も、正門が見えてくると、「おはようございまーす」と声をかける高学年の生徒たちの声が聞こえてきた。この坂を下りきると正門に着く。正門が、あいさつ運動をしている高学年の列が、どんどん近づいてくる。そこで私の足は止まった。

そのまま回れ右で、今おりてきた坂を上り、家に帰るとまだ父がいた。「どうした?」と聞く父を前にすると突然涙が出てきた。あいさつ運動の子から足を引っかけられた。泣きながらそんな嘘が口から出てきた。父は学校に電話をかけた。「先生が今日のあいさつ運動の当番の子たちに聞いたら、そんなことはなかったって、言ってるらしいよ」。私はできる限り泣き続け、自分が嘘をついたとは言わなかった。

小学校をさぼったのはこの時だけで、私はやはり良い子で中学校へ進んだ。

中学校は、思い返せば、唯一私がさぼらなかった学校だ。部活動が大変過ぎて、学校に来ること自体が相対的に楽だったのかも知れない。部活動はさぼった。なんとかさぼるために、誰もいない放課後の階段を、何回か飛びおりた。なかなかうまくケガができなかったが、3回目くらいでちょっと腰に痛みを感じたので、そこで助けを呼んだ。通りかかった生徒が先生を呼び、駆け付けた数学の男の先生に背負われて病院へ行った。背負われて渡り廊下を通りながら、これで今日の練習はさぼれると思った。

部活動ではずっと補欠だったけれど、学校生活は楽しかった。時代的に学校は少し荒れていて、時々窓ガラスが割れたり、卒業生がバイクで校庭を走り回ったりしていたけれど、私は何の問題も起こさず、やはり良い子で高校へ進学した。


私が不登校だったと言えるのは、高校時代だけで、ここまでのことはほんの小さな衝動だったのかも知れない。それでも、学校に向かう足を止めるものが、幼いころから私の中には確かにあった。それが何かはいまだに分からない。

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