日記 2022/11/20-11/26

11/20(日)

いい歳をして、まだどこかで言葉を生業にしたいと願っている。何か特別な感性を持っているわけではないし、労働なしに生きていくことはおろか、時間に余裕なんてまったくない。何より眠ることを優先にしなければ、僕の体力は他人とは比べ物にならない体たらくだ。
だから、おそらくこのまま、今のまま、こんなふうに短い日記を続けながら、書きたいことも書ききれないうちにどこかで死ぬのだろう。それでもいい。書こうとすることを諦めたくない。

11/21(月)

目指さなければいけないのは、間違いなく自分を生かす方向。
活かすのではなく。
現実に、死なないように、生きさらばえて、いまの自分を労わるように。
それはつまり、ひとり。
自分が心の底から安心していられるのは、ひとり。
決して後ろ向きな意味でなく、とても健全な心の、底から、表出する、願い。
叶うなら、もっと背景に溶け込むような、何かの一部を任されたい、誰かの背景になりたい。

11/22(火)

ひとは外から吸収した水分のなかから不要な分だけを外に放出する。汗やらおしっこやら、何から何まで全部に水分は含まれている。代謝するにはたくさんの細胞が何らかの反応をしているのだと思うが、どうやらそれらはみな水中でしか起こらないらしい。僕は会社にいるとき、通常のひとの5%くらいしか水分を摂っていない。これはまったく冗談ではなく、だからとても異常なことだ。そうして夕方にはいつも目をくらくらさせながら、ときには気絶しそうな状態で家路を急ぐ。判っている。誰にも信じてもらえないだろうことは。

11/23(水)

数ヶ月前に派遣社員として配属された年配の方が2度目の契約更新を果たせずに年内で契約満了になるとの連絡を受けた。成果物を誤って破棄してしまっただとか、手隙のタイミングで作業を求めるような能動性がなかっただとか。なんだかんだと理由を挙げたところで、要はマネージャーが望むように使えないという判断が下ったのだ。僕はどうしても諦められなかった。こっちのチームに配属を代えてはどうか、僕としては十分に戦力になる方だ、と訴えたが、僕は所詮ただの係長だった。こんなふうに労働者の生活を簡単に操作していいわけない。たまらなく苦しい。

11/24(木)

明日、僕はこの会社に入ってからずっと避けてきた業務にあたる。それは動物の生体を使い、製品開発にフィードバックするための評価だ。ひいては製品のクオリティに、そして顧客に、さらに売上に、つまりは雇い主に貢献するものとして割り切ろう。僕は雇われている身だから。いつかは臨床開発やその周辺の方々のように人間を相手にする日が来るのだろうか。僕はその前に逃げ出せるだろうか。

11/25(金)

いくつかの管が生体から生えて周辺の装置類にぶら下がっている。必死に掴まって命乞いをする無数の手のように一瞬見えたが、眼前で死に向かって浅い呼吸を繰り返す豚からつい目を逸らそうとするある種の現実逃避したい反応のようなものがそう感じさせたのかもしれない。とにかくはじめて動物がわざわざベッドの上にあおむけに寝かされているのを目の当たりにした。この豚は、家畜として育てられ、食肉にはならず、こうして実験検体となった。僕はしかし、すぐに気にならなくなったのだ。仕事が目の前にあった。仕事が・・・。

11/26(土)

呼吸は僕がここに意識を持って存在するための生命活動を保証してくれる、それを僕に認知させてくれるもっとも判りやすい行為だ。横隔膜と胸郭を広げて肺胞にたくさんの酸素が送られるように、血液が心臓の左右から酸素を大動脈へ、二酸化炭素を肺へ渡せるように、それを意識することで僕なんかでもちゃんと呼吸できていること、それにより生きていることを感じる。過呼吸になったり、息がつまって頭の血管が切れてしまうのではないかと恐れたりするとき、僕はもっと呼吸のメカニズムとプロセスに集中する必要がある。

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