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あと一歩が踏み出せない理由

こんにちは
どうしても一歩踏み出す勇気が出ない時、何度も読み返して欲しい。

1.自分を縛る”そーはゆーても”の鎖


「人を説得することはできない」
「自分が価値や魅力を感じるそれを叶えてあげられるのは、他の誰でもない自分自身だ!」
「自分が最初の一人になるんや!」

とノーベル賞受賞者のユヌス氏がゆーていた話をしました。(詳しくはこちら

ええ話やなと思ったかもしれませんが、同時に

「そーはゆーても」

ってなりませんでした?

この問題をどうにかしたい。
この社会をどうにかしたい。
もっとこんな自分になりたい。
もっとこんな人生を送りたい。

自分の中から湧いてくる想いって、たくさんあります。


でも、おんなじタイミングででてきませんか?


「そーはゆーても」


そーはゆーても
いきなりこんなことし始めたら周りになんて言われるだろう。。。

そーはゆーても
うまくいかなくてかっこ悪い姿を晒すのやだし。。。

そーはゆーても
親が家族が上司がパートナーが許してくれるわけない。。。


ジーニーが出てくる瞬間に自分の心がキラッと光ったはずなのに、
そんな「そーはゆーても」の鎖をたくさんたくさんたくさんたくさん過去の経験や価値観から、引っ張り出してきて、
むくむく湧いてきたそのジーニーという名の意欲を無理やりランプの中に押し戻し、「そーはゆーても」の鎖をジャラジャラと巻きつけ、鍵かけて、ほっとしてるわけです。

なんか、人生の大半の時間そんなことに使ってると思ったら笑えてきませんか?
やりたいことをやらないように、鍵をかけることに時間をかける。って。


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2.自分が自分を見下してる!?


んじゃなんで、そんなことしてしまうのか。

それは、
「こんな私なんかそれをするに値しない」
と自分で自分を見下し、自分のことを信頼していないことが原因です。


自分で自分を見下す
【見下す】:相手を自分よりも劣っていると思うこと。こばかにする。見下げる。


本当の本当は、誰だって、自分自身の想いを叶えるためのジーニーです。
例えば歩きたいって思ったからたくさん転んでも何しても、歩けるようになりました。自転車も、車も、乗れるようになりました。
今生きているのも、自分が、望んで、その望みを自分が叶えてきた結果です。

そして、今あなたがやりたいって想っていることも、その規模が変わっただけのはずなのに、大人になったってだけで、うっかりそういう”挑戦”とか、”最初の一人”とかから一歩退いちゃうんですよね。

自分を卑下してしまうことの詳しい話はこちら!


3.傷ついてきた過去に原因がある


めっちゃわかります。

物心ついてから、人前で失敗したり、自分が好きでやってたことを咎められたりして傷ついて「もうこんな想いしたくない!」って強く思った過去
そもそも挑戦しなければ、傷つくこともないから一歩引く。
今の自分が確実にできること、容易に結果が想像できるものの中で生きていくこと。

優しい言葉にすると、「もう大人なんだから落ち着かなきゃ」みたいな、なんか落ち着いたスマートな悟った大人になったことにしておさめる
めちゃわかる。


でも、それで人生終わっちゃったら虚しくないでしょうか?
仮に「来世がんばろ」って思って、今世諦めたとする。
でも前世でおんなじことしてて、今世がその前世における来世だったら?

いつまで自分のことを裏切り続けるんだろう。
いつまで「そーはゆーても」を続けるのだろう。
そうやってたくさんたくさん裏切ってきたから、自分への信頼がなくて、味方になってあげられなくて、満足する人生が送れないんです。

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4.自分との信頼の紡ぎ方


んじゃどうやったら自分との信頼が生まれていくのか。

それは、まず、その「そーはゆーても」とゆーてる自分に、ちょぴっと勇気を出して、そのやってみたいことを叶えるために自分を動かすこと
これはすううううううううっごく小さなことでいい。


例えば、なんか今ポテチ食いてえなと。
でも、今はもう夜だし、別に食べなくったって生きてけるし。なんなら無駄遣いだし。
そうやって、ぽっと湧いたそれをかき消す。
いつもなら。

でもそこであえて思いっきりその想いに応えてみる。
コンビニまでひとっ走りいってみる。
思いっきり開けっぴろげて食べてみる。
んで、ちゃんと自分の気持ちを感じてみる。

ここも大切。
「あーあ、食べちゃったよ、、、」

これしちゃったら、意味ない。

「うわー、自分の思いを叶えられてめっちゃ満足。」

ちゃんとあるもの(満足)の気持ちを実感して、自分に声をかけてあげる。
もちろん嘘言っても仕方ない。

食べてみたけどなんか違ったならちゃんと、「なんか違って残念」としてほしい(それもあるもの)
いろんな気持ちが湧いていても、その中に満足感があるなら、「そんな満足を感じちゃってる私ダメ!」
ではなくて、その満足を許してほしい。だって、ジーニーがそう言っていて、それを叶えたんだから。
その湧いた欲求に答えることが、自分との信頼の第一歩になる。

5.大切なのは”あるもの”を認めること

だから、大切なのは、その動いてる自分を自分が励まして、あるものをちゃんとあると認めること。

ポテチなら、なかなか失敗しない。
でも、もし、自分がこれまでやったことのないものに挑戦するなら、失敗もするだろう。でもそんな時、

「ほーらやっぱり自分なんて。。。」
「”そーはゆーても”ってゆーてやらんかったらよかったわ」

と自分を戒める言葉をかけるのか、

「ああ、挑戦してみたんやね。今回は思い通りにはならんくて悔しいけど、挑戦したことは誇らしいし、頼もしいね。」

と自分を励まし、勇気づける言葉をかけるのか。
ここに大きな違いがある。

事実は変わらない。
何か自分がやろうとしたことが、想った形では叶わなかった。
でも、それに対する見方考え方、そして、自分にかける言葉は変えられる。
その時、”あったもの”にちゃんと目を向ける。
悔しさや、虚しさ、惨めさ、恥ずかしさなどなど、ネガティブなものに飲み込まれてしまいそうになるけれど、そこには、挑戦した自分に対する誇らしさや頼もしさなど、ポジティブなものも絶対ある。

そのどちらにも、気づいて、自分に寄り添い、励ますこと、つまり、自分が自分のことを味方する関わりを積み重ねることが、自分との信頼を回復させる手立てになる。

自分の置かれている状況に対して、悲劇のヒロインになるわけでも、ポリアンナになって現実逃避(詳しくはこちら)するわけでもなく、その時のポジティブなものには誇りを感じ、ネガティブなものは受け止めて次への糧にしよう。

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6.まとめ

そうやって、自分を信頼し、励まし、磨いていく人が、集まって循環していく社会が出来上がっていったらどんなに清々しいだろうか。

”そーはゆーても”、まあ一回やってみよ」と励まし合う社会になったらどんなに心地いいだろうか。

かく言う私たちは、そんな社会が実現することの魅力をバッチバチに感じてしまったので、”自分たちのジーニーの声にしたがって、その想いを形にしてみる”を共に叶えていく仲間を応援し合うオンラインサロンを作った(会社で)。
もしも、このブログを読んで、感じたことがあったり、気になったことがあったりした人は、ぜひ会いにきてほしい。

詳細はこちら↓↓

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photo and posted by HIROKI YAMADA

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