”ないない”いってたら、自分の本当の力がわからなくなるぞ! 〜”謙虚”と見せかけて”卑下”するあなたへ〜
「いえいえ、僕なんてまだまだなんです」
”謙虚”な態度でいるつもりで、自分のことを小さく見積もり蔑む、”卑下”をする人がたくさんいる。どんな言葉も口にすることで、自分のことをそう認識する。
本当はもっと力をもっているのに、それを自分でなかったことのようにしているのであれば、勿体無い。過大でも過小でもなく、自分の力を把握して活用するというのは、どういうことだろう。
自分は、あなたは、どれほどの力をもっているんだろう。
こんにちはひろきです。
①「そんな、そんな、僕は始めたばっかりですし、資格もないですし、専門的な知識もまだまだ足りなくて。。。」
っていう自分。
②「そうなんですよ。最近始めたんですけど、まだ思い通りにいかなくって悔しいこともあるんですけど、だんだん成長していってるのがとってもたのしくって!」
でもいいのに。
どちらも謙虚であるように聞こえるけど、①は卑下、②は謙虚。
辞書的にいえば、
うっかり①で話してしまう卑下ニスト・ないない星人の方々に捧げる今日のブログは、自分の魅力や才能を等身大で受け止めようって話。
ではいこう!
1.今日の、今の、自分を認める
自分の力を受け止める方法。
まず結論。
とっても簡単。
”今あるところでよしとする”
以上。
だって今日の自分は、それ以上でも以下でもないから。
え、そんな当たり前なこと?って声が飛んできそうですが、ないない星人・卑下ニストたちにとっては、これが難しい。
そんなないないさんたちの頭の中がどうなっているかというと、、、
何か自分の好きなことを仕事にしてみようとしている人を想像して欲しい。
こんな思考がぐるぐると渦巻いた結果、どんな返答になるかといえば、
「そんな、そんな、僕は始めたばっかりですし、資格もないですし、専門的な知識もまだまだ足りなくて。。。」
となる。
こんな話をされても、特に悪い影響はない。しかし、その人の魅力は全く伝わってこないどころか、名刺あるけどすっかり顔を思い出せない人の一人へと仲間入りなのだ。
その場のことで言えば、その活動にどの程度意欲があるのかもわからないから、その後の返答にも困る。
その会話の機会に何も紡がれるものがないのだ。
思いを込めて作った名刺がそのまま捨てられていくなんて悲しい。
ではなぜ自己卑下・ないないをしてしまうのか。
2.ないないを口にする人
それも簡単だ。
ないない思考は、本日の自分の力を全く認めていない時に起こる。
・資格がない
・経歴がない
・実績がない
確かに、目に見える形で自分の力が証明されていなかったら不安になる気持ちもわかる。
しかし、世の中には、資格なんて何にもなくても、堂々とその道を歩んでいる人が山ほどいる。
反対に、資格を持っていても”ないない”で話す人もいる。
小学校先生時代のオレなんてまさにいい例だ。
「まだ2年目なんでそんなに経験ないんです、、、」
「低学年は受け持ったことあるんですけど高学年のことは、、、」
2年目なら少なくとも1年やっているし、低学年を受け持っていたって高学年と関わる機会だってあるのにだ。
つまり、ないないの人が大切にしているのは、そんな資格だの、経歴だの、実績だの目に見えるものではない。
むしろ手に入れたところで、それには目もくれずに”ない”へと飛びついていく。
資格や経歴は葉っぱの話で、根っこはもう少し深い。
3.”ないない”思考の根っこ
根っこは、とにもかくにも自分を卑下する自分がいることにある。卑下の人たちは、”嬉しい”とか”楽しい”という感情を颯爽とスルーして、”ない”に一瞬で目が行く。
根本的に自分を蔑視しているので、どこからでも”ない”を見出す。
サッカーで県大会に行っても、日本代表では”ない”し、
めっちゃ勉強しても、東大には入って”ない”し、
飲食店を初めても、ミシュランガイドには載って”ない”のだ。
誰かや何かと比較することによって、”ない”は無限に作り出すことができる。
そんな状態から抜け出すために必要なのが、
”今あるところでよしとする”
なのだ。
4.誇りを思い出せ!!
”今あるところでよしとする”
と聞くと、これまた一瞬で
”現状に甘んじている”
という思考になる人がいる。これも、卑下さんの特徴だ。
甘いか甘くないかなんて一体誰の基準なのだろう。(多くは幼い頃の生育環境)
それが自分のケツをいい感じに叩いてくれているというのなら話は別だが、これを読んでいる人は、そう言いながら自分のことを戒めている人が大多数だろう。
今あるところでよしとする
というのは、今の自分にできていることや、誇らしいと感じられるところはどんなことがあるのかを明らかにすることだ。
そして同時に、自分にとって現状では何が不満足なのかも合わせて明らかにすることだ。
ここで大事なのは、それを誰かの何かと比べないこと。
今日のあなたのそれについて話しているのだから、全く関係ない誰かと比較は必要ない。
謙虚というのは、自分の等身大に対して素直であることだ。誇らしいことにはちゃんと「誇らしいな自分!」ということなのだ。
それでもまだ”ないないワード”が止まないようなら、それは卑下ではなく、とてつもなく傲慢な証だ。
自分を落としながら会話することで目の前にいる誰かに持ち上げてもらうことを期待している。自分は何にも努力せず、相手にあげてもらおうとしているんだからタチが悪い。傲慢に関してはまた気が向いたら書こう。
5.まとめ
自分に持ってるものしか活かせない。まだまだできたはずだじゃなくて、今日の地点まで到達している自分のことをちゃんと褒めて、今持っているものを認めよう。
尊大でもなく、卑下でもなく、素直に等身大の自分を受け入れるのは、それまでしてこなかった人にとっては怖かったりもする。
でも、そんな自分を自分が受け入れ、誰かに受け入れられた時、今まで感じたことのない安心感に包まれる。
自分のことも、人のこともそうやって認め合える仲間づくりもどんな自分の
一歩から始まるのだ。
今の自分を認め、これまでよりも、さらにもう一歩自分自身を受け入れたいと思ったそこのあなたは、ぜひセカスクフレンズに仲間入りしてね!
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誰かが決めた”これがいい”から、自分で決めた”ちょうどいい”へ
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