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努力は裏切らない

子どもの頃、両親が不仲だった。
お金がないって物理的にだけじゃなく
心的に余裕がなくなっていく。
相手の意見を受け入れようなんて気はサラサラない。
ただ相手を変えようとあの手この手を使う。

そんなやりとりを子どもの頃から目の当たりにしていた。
お金がないことを変えられる力は子どもの私にはない。
当時の私には考え付かなかった。
いや、新聞配達をするなど方法はあったのかもしれないが
やらなかった。
ただ、普通の生活ができるようになりたかった。
国保や年金、水光熱費を当たり前のように払える生活がしたかった。
親が、そんな生活を強いられているのはなぜだろう?
それは分からなかったのだが、自分が家族を支えられるようにならなくては。。
と、幼い頃からずっとそう思っていた。

家が貧乏だったことに加え、
私自身にも取り立てて才能はなかった。
頭の良さも中途半端、運動も得意ではないし、容量もすこぶる悪い。
ただ、誰が見てなくても評価されなくても
コツコツ陰で努力を積み重ねることでしか周りに追いつくことができなかった。
努力は成功体験を与えてくれる。
努力している間は成長している気がして気持ちが満たされる。
努力していると「頑張ったのにできなかった」と同情を集めることができる。
ただ、私にとって「努力」という過程はメリットだらけだったのだ。

努力を続けていくには、ちょっと難しい課題を設定する必要がある。
私の場合だったら、手のかかる家族はちょうどいい負担だった。
20歳の頃、両親が離婚して丸ごと家族を抱え込むことを決めた。
当時、福祉大学生だったが、稼げることを第一に全く別の分野に就職した。
努力は私の最大の武器。頑張ればなんとかなる。
希望しかなかった就職先で、社長からセクハラにあう。
まだ正式な就職に就職もしていない見習い期間中だった。

努力してても頑張ってても、成功とは全く無関係なのかもしれない。
怖くなって職場を逃げ出した。家族を支えるというミッションも遂げられなくなった。
新卒募集もほぼ尽きていた状態でもう一度就活を始める必要があったが、
自分がどうすればよかったのか自分の頑張りだけではどうにもできないことがあることを悟がその先どう生きていけば良いのか分からず、
やはり努力が足りなかったとか自分がこうすればよかったとか
頭の中でこじつけて次に進むしかなかった。
私には、家族を守るというミッションがあるから。
頼る肩もない、私しかいないんだ、という思い込みが
私をさらに沼に落としていく。


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