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23年と1か月前に出発した旅のノート

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1997年2月10日に出発した33日間の卒業旅行の旅ノートを、noteにしてみます。ノートの文字を打ち直すことでじっくり読むわけで、その過程で、なにか見つけられる…かな。
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#プラハ

1997年2月14日(金)、旅5日目。いつか忘れてしまうかもしれないのが悔しい。

1997年2月14日(金)、旅5日目。いつか忘れてしまうかもしれないのが悔しい。

1997年2月14日(金)晴れ

7:00起床。昨日は12時すぎに寝たのに、ちゃんと起きられた。朝のカレル橋を見たいと思ったけど、遅くて無理でした。

8時ころ駅に着き、パンやジュースを買い、8時53分発の電車の乗るべき電車(ターボル行き)のホームが発表されるのを待つ。
8時半ころ、5番ホームへ。Kくんもやってきた。

電車内は、8人掛けのコンパートメント。2人で乗ってしゃべり続ける。「腹、いてー

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1997年2月12日(水)、旅3日目。食費予算1日1500円なのに、昼食で1300円。

1997年2月12日(水)、旅3日目。食費予算1日1500円なのに、昼食で1300円。

1997年2月12日(水)

旅3日目の2月12日の日記がなかったので、先に、上のnoteに旅4日目の13日の日記を書きましたが、経費のページを見ると、12日のこともきちんと記されていました。

<経費>
旧市庁の塔(学割) 20チェココルナ
切手(6チェココルナ)6枚、ポストカード(5チェココルナ)6枚 66
地図 80
ポストカード(4チェココルナ)5枚 20
朝食(Bonalでケーキとパンと

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1997年2月13日(木)、旅4日目。プラハの夜空は美しい。

1997年2月13日(木)、旅4日目。プラハの夜空は美しい。

いきなりですが、2月12日(水)の日記がありません。書いていなかったことにこの23年、一度も気づかなかったような気がします。旅の序盤も序盤。なぜないのか。
アルバムを見ると、2月12日は精力的に撮影をしています。1日6枚くらいという掟を早速破り、21枚撮影。その分、13日は3枚に抑えられています。12日は、市庁舎の塔に上ったり、カレル橋を行ったり来たりしたり、プラハ城の中をいろいろ巡ってカフカの家

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1997年2月11日(火)、旅2日目。プラハでの宿を決める。

1997年2月11日(火)、旅2日目。プラハでの宿を決める。

1997年2月11日(火)
8時ころ起き、ぼーっとして、テレビでNHKを見ながら支度。朝食へは9時ころ。バイキングでいろいろ取ったけれど、肉はウニョウニョでまずくて、パンもくさく無理なのものもあった。牛乳をがぼがぼ飲む。日本人が3人いた。

10時ころ、地下鉄の駅へ。3日間有効のチケットがほしかったけど、ここにはないというので、キオスクで1枚のを買う。初めてのことは何もかも不安。

プラハ本駅へ行

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