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1997年2月11日(火)、旅2日目。プラハでの宿を決める。

1997年2月11日(火)
8時ころ起き、ぼーっとして、テレビでNHKを見ながら支度。朝食へは9時ころ。バイキングでいろいろ取ったけれど、肉はウニョウニョでまずくて、パンもくさく無理なのものもあった。牛乳をがぼがぼ飲む。日本人が3人いた。

10時ころ、地下鉄の駅へ。3日間有効のチケットがほしかったけど、ここにはないというので、キオスクで1枚のを買う。初めてのことは何もかも不安。

プラハ本駅へ行き、インフォメーションで地図を改、CKM(トラベルエージェンシー)に向かって歩く。迷いながら見つけると、あまり親切でないお姉さんがいろいろ言ってくれたが、「予約はしていないが、とにかく現地へ行け」みたいなことを言うので、行くことにした。5分だというから。ババシャツも含めて4枚着て、20キロのリュックを背負って歩いている私は、暑くて暑くて汗をかく。

ヴァーツラフ広場の上りの途中、30チェココルナのエビアンを買う。

がんばって20分ほど歩くと、やっと目的の通りがあった。しかし、どこに泊まるのか、全然わからない。うろうろして、雑貨店のおばさんに聞くが、わからないという。わからないの、当然ですよね。困って、塔のある広場のベンチに座った時、『地球の歩き方』がないことに気づく。

どこに忘れてきたんだろう、困った、と思い、とりあえずCKMに戻ると、あった。そして今度は優しいお兄さんが3泊分予約してくれた。

この荷物を持ってまた歩くのか、はあ~と思いながら、歩く。さっきより、つらい。かなり、つらい。最後5分はゆるやかだけど確実な上り坂だ。無の心で一歩一歩進もう。何も考えるな、ただ足を前に出すんだ!

やっと着き、入り口のインターフォンを押すと、入ってこいと言う。しかしドアがかたくて開かない。ものすごい力を振り絞って思いっきり押すと、開いた。

3階だというので階段でのぼるが、日本の3階に、該当の部屋がない。4階かもしれないとのぼるも、ない。どうしてかなーと思っていると、上から声がする。とても優しそうな男の人。「今度からはリフトを使え」と言われた。

部屋でお風呂とトイレを案内され、部屋でぐでーんとする。1時間半くらい。

出発しようと思ったのが14時半くらい。ピアノの音がしていた。「ピアノは初心者。うるさいけどいい?」Pane(その男性の名前だと思う)は聞いて来た。OKと言っておいた。いい人でよかった。

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<宿泊>
旅行案内所で紹介してもらった、民泊的なところでした。3泊したようです。写真の上2枚が、その部屋の中の様子。

<経費>(下の両替の数字を見ると、だいたい1チェココルナは4-5円)
・ホテルの電話代(不明)
・地下鉄 10チェココルナ
・地図 25チェココルナ
・CKMで(ホテル代) 1,500チェココルナ
・エビアン 30チェココルナ
・コカ・コーラライト 25チェココルナ
・地下鉄チケット10枚 100チェココルナ
・ポストカード6枚 24チェココルナ
・切手6枚 24チェココルナ
・飴、ガム、パンなど 133.5チェココルナ
・ビックマックセット 92チェココルナ
・1.5リットルの水 40チェココルナ

<両替>
・100ドイツマルク → 1618チェココルナ
・10000円 → 2199.40チェココルナ

旅ノートには、この日のこのあとのことが書かれていないのですが、写真を見ると、この日に旧市庁舎や天文時計、カレル橋など、観光スポットの主要なところはおさえていた様子。
写真にはないけれど覚えているのは、お風呂のお湯が出なかったこと。しかし、お湯が出ないことに気づいたのが服を脱いだあとで、眠かったしめんどうくさくて、もういいやと冷たい水でタオルを絞って体を拭いて終了としました。明日聞けばいいや、と思ったし。ここのお宅には、20代後半くらいの男性とその母親が2人で暮らしていて、1部屋を私に貸してくれていたのですが、2人ともとてもいい人で朴訥って感じで、そんな彼らの前で翌日、「お湯が出なかった」と言えず、その後3日間、冷たい水で耐えたように記憶しています。

<朝日カルチャーセンター新宿教室>
 ●4月4日(土)「ザヤックルール、リカバリーを極める」
 ●4月18日(土)「2019-20シーズンを振り返る」
 ●5月16日(土)「4回転ジャンプを、もっと知る」
 ●6月6日(土)「男子シングルの潮流を知る(1)」(旧採点時代から2009-10シーズンまで)



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