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心理学の話:ステレオタイプフリーの人事評価は可能か?

以下の文を読んで、10秒以内に答えを見つけてみてほしい。

「路上でトラックがある男性とその息子を轢いてしまう事故がおきてしまった。父親は即死、息のあった息子はすぐに病院に運ばれた。運ばれた病院で診察しようと駆けつけた外科医は、その子を見るなり、『私の息子だ!』と悲鳴を上げた。このとき外科医と息子はどんな関係か?」








すぐに答えられただろうか。答えは「外科医は息子の母親」である。

聞けば、ああそうか、と思うだろう。にもかかわらず、即答できなかった人は、思い込みに囚われてしまっている。つまり「外科医は男性である」という思い込みを持ってしまっている可能性が高い。

このような思い込みを心理学では「ステレオタイプ」という。ステレオタイプは、あるカテゴリに属する人とある特徴を根拠なしに結び付けてしまうことだ。つまり、「外科医」というカテゴリに属する人は「男性」という特徴をもっている、と思い込んでいることである。

私が個人的にこの問題を友人や知り合いに尋ねたところ、すぐに答えられない人のほうがずっと多かった。そしてこれに答えられるか否かは、その人が男性か女性か、仕事のできる人か、そうでないかなどはまったく関係なかった。

ステレオタイプはネガティブなイメージで取り上げられることが多い。事実、人事評価の際にも、ジェンダーステレオタイプや学歴ステレオタイプによって、正当とはいいがたい評価がされてしまうケースも多い。

では、このステレオタイプはどうしたら避けることができるのだろうか?

結論から言えば、それは不可能だ。なぜなら、ステレオタイプがあればこそ、私たちは日常生活を送れているからだ。

例えば、ATMでお金を下ろした直後に、現金の入ったバッグをひったくられたとしよう。そのとき近くに「制服を着て警棒と銃をもった人」がいたら、あなたは即座にその人を「警察官」だと思って助けを乞うだろう。

それはあなたが「警察官ステレオタイプ」を持っているためだ。もしそれを持っていない場合、警察手帳を確認したり、警察署に問い合わせて、本当にその人物が警察官かどうかを論理的に確認しなくてはならない。しかしひったくりを追いかけているような状況でそんなことをしては犯人に逃げられてしまう。

ステレオタイプによって即座に警官に助けを求め、そのおかげで犯人を無事捕まえることができるならば、それはステレオタイプのおかげだ。つまり、このようなときにはステレオタイプはポジティブに働く。

それ以外にも、私たちはサラリーマンについてのステレオタイプ、消防士、CA、ホテルの受付係など、さまざまなステレオタイプを持っているため、誰に何を尋ねればいいのかを瞬時に判断できる。

つまり、ステレオタイプがなければ私たちは生きることが困難になる。制服は職業についてのステレオタイプを刺激するためにある。つまり社会もステレオタイプを利用している。

このような中、人種や性別や学歴などについての「悪い」ステレオタイプだけをなくそう、と個人ががんばってみても、それはとても難しい。

現在のところ、ステレオタイプについて個人ができる対応は、「自分のステレオタイプを自覚して気をつける」ということだけだ。女性や職業や学歴なのについて、自分がどんなステレオタイプを持っているかを、内省し、それをもっていることを素直に認め、それを使ってはいけない場面では自制するという訓練が必要となってくる。

だが、世の中では実はそれができない人がほとんどなのだ。

潜在連合テスト(Implicit Association Test)という手法が心理学にある。これは、ワシントン大学のグリンワルドが開発した無意識のステレオタイプを測定する方法だ。

これは、表面上は被験者がパソコンの画面をみてボタンを押す操作を行うだけの簡単なテストだ

画面には、時間を区切って何十もの単語が出てくる。単語には、「優しい」「有能な」「人望のある」「明るい」など、「良いイメージ」のものと、「暴力的な」「知性がない」「攻撃的な」「暗い」など、「悪いイメージ」ものがあり、それらがランダムに表示される。

被験者は、良いイメージ単語のときにはできるだけ速く「○○のキー」を、悪いイメージのときにはできるだけ速く「xxのキー」を押してください、と実験者から言われて、そのとおりに課題を行う。

だが、このテストには仕掛けがある。

単語が出てくる直前、認識できないほど短い時間に、いくつかの写真映像が出てくるのだ。その写真は、例えば、白人-黒人、男性-女性、といったものだ。

このとき、もし被験者が黒人に対してネガティブなステレオタイプを持っていると、「黒人写真&良いイメージ単語」のときの反応が、他の組み合わせよりもわずかに遅れる。また「黒人写真&悪いイメージ単語」のときの反応は、他の組み合わせよりも早い傾向がでることがわかっている。

写真が出るのは意識できないくらい短い時間だが、実は無意識ではその写真を認識している。そのため、写真と単語の組み合わせがステレオタイプと合致するときは反応時間は速く、合致しないときには、反応時間は遅くなるのだ。

このテストが重要なのは、「私は人種偏見などない」「私はジェンダー平等に賛成だ」といっている人々でも、無意識下ではかなりの割合でステレオタイプに囚われていることがわかったからだ。

特に、人種、男女、学歴、職業などのステレオタイプは、社会的には「持ってはいけない」とされているため、人々の中には「ステレオタイプを持っていない振りをしている人」が大勢紛れ込んでいる可能性が高い。

ステレオタイプを自覚していない人、ステレオタイプをうすうす自覚してるが隠している人、が世の中には圧倒的に多いのだ。

このように考えると、自分の持つステレオタイプを自覚・自制することがいかに難しいかわかるだろう。そして会社組織に当てはめた場合、人事評価に関わる人全員が、ステレオタイプを自制できるとは到底思えないだろう。

そして、それができないからといって、人事評価に関わる人々を非難することもまた間違っている。人間の認知メカニズム自体が、ステレオタイプを利用するようにできてしまっているからだ。

近年、デジタルトランスフォーメーションの流れの中で、人事評価にAIを活用する試みが多く行われている。その目的のひとつは、ステレオタイプのようなバイアスを排除することだ。

だが、それはいうほど簡単ではない。AIを作成するには、AIに学習させるためのデータが必要となる。多くの場合、ある会社の実際の人事データが使われる。

だが、そのデータそのものに、バイアスが含まれている可能性が高い、というよりも必ず含まれている。すると、AIはそのバイアスをも学んでしまうのだ。結果、AIもまたステレオタイプを持ってしまう。過去の現実データの学習には、そういった難点がある。

それをいかに克服するか、人事のAI化・DX化にあたって、ひとつの大きな焦点となるだろう。

また仮にAIがそのバイアスを避けられたとしても、最終的な判断は人間が行う。そのときにステレオタイプを使った判断が行われてしまったら、元も子もない。

なので、ステレオタイプの問題は人事判断の際には常についてまわる可能性が高い。

では、現実にできることは何か。できることは、3つある。

ひとつは先に書いたように、個々人が自分のステレオタイプに自覚的になることだ。ステレオタイプを持っていることは、恥でも悪いことでもない。むしろそれを隠したり認めないことや、認めても開き直って正当化しようとすることが問題だ。自分のもつバイアスに素直に向き合い、他人の意見も参考にする謙虚さと視野の広さが必要となる。

2つめは、判断の際に余裕を持つことだ。ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンは、人間の意思決定には、ファストシンキング(速い思考)とスローシンキング(遅い思考)の2つのモードがあるとしている。時間のないとき、感情的になっているときには、人間はファストシンキングモードになりやすい。ファストシンキングモードでは、直感的、感情的な判断をしやすく、バイアスやステレオタイプに囚われやすくなってしまう。一方、スローシンキングは、論理的、合理的な判断をするモードで、重要な決断をするときに、じっくり考える際などの意思決定に有効だ。したがって、ステレオタイプの発動を抑えるためには、スローシンキングができるような環境が必要となる。それには、時間的な余裕があること、感情的にならないことが重要となる。

3つ目は、自分とは違う意見の取り込みだ。女性に対して差別的なステレオタイプを持つ人の多くは男性だ。人事判断の際に、男性ばかりのグループで決定を行っていては、ステレオタイプの抑制は難しい。このときに女性も決定に加えることで、男性のもつステレオタイプを明確にし、抑制することができる(無論、男性たちがその意見を謙虚に聞く、という前提のもとで)。近年、ダイバーシティ・インクルージョンがマネジメントでの重要トピックになっているが、その理由のひとつは、こういったバイアス是正のためだ。

1つめは個人が行うべきことで。2と3は個人はもとより、組織がそのような環境を整えてやる必要がある。

だがこの3つの条件を完璧に満たすことは、現行の日本の人事・採用システムの中では、なかなか難しいだろう。これらを本当に実現するには、人事・採用の仕組みそのものの見直しも必要になってくるのだと考えている。

文責:渡部 幹

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