嫌いなモノゴトに相対している自分を「他人」と捉えましょう。
こんにちは。YokoblogのYokoです。
SNSなどを流し読みしていると、「明日も会社だ。嫌だな。行きたくないな」というつぶやきをよく見かけます。
本日はそんな方向けの記事を書こうと思います。
結論から言うと、解決策は
自分を「他人化」しましょう。
です。
✔️僕は嫌なコミュニティがたくさんありました。
特に「小学校」です。僕は小学三年生までいじめにあっていました。
それについては、Yokoblogの第三回で触れていますので良ければ見てください。
一年生から三年生まで本当に学校に行きたくなかったのです。あることを始めて少しづつ気にならなくなりましたが、それでも止まなかったので辛かったですね。小学校が大嫌いな「コミュニティ」でした。
小学五年生の時でした。班行動で一人だけ無視されて置いてけぼりにあったのです。辛かったですが、僕の中で何かが変わりました。
それが「自分」を分けようと思ったきっかけです。二重人格とかではないのですが、意識的に分けるようになりました。
✔️少し厨二病だった僕は、自分を分けて考えるようになった
僕はその頃アニメの「リボーン」にハマっていました。主人公は普段「奥手の大人しい人柄」です。主人公もいじめられている設定だったので僕と重なったんでしょう。よくアニメに出てくる技を叫んでいましたね笑
しかし、ある時ふと気づいたのです。
あれ?主人公は学校ではいじめられているのに、家では大人しいわけではなくむしろ、強気だ。もはや別人のようじゃないか。
アニメをみている時そう思ったのです。皆さんもそうだと思います。
“家でいる時の言葉遣い“と、“会社でいる時の言葉遣い“は違う。
僕は思いました。自分と相対する人が変われば「自分」は変わるんだ。
そこで気づきました。僕の考えはこうです。
■関わっている人の数だけ「自分」はいる
■学校から出た途端「学校の自分」は他人になる
■その時々の「自分」に任せましょう。
以上の考えに至りました。このままでは、何を言っているかわからないと思うので解説していきます。
■関わっている人の数だけ「自分」はいる
先ほども述べましたが、“家でいる時の言葉遣い“と、“会社でいる時の言葉遣い“は違いますよね。
それは家と会社では人が違うからなんですよ。
さらにもっと細かく言えば、相対する人によって「自分」は違います。
例を出すと、
・好きな人といる時の 「自分」
・嫌いな人という時の 「自分」
・親友といる時の 「自分」
・知らない人といる時の 「自分」
性格も話し方も、人に対する接し方も全てが違いませんか?
嫌いな人にべったりくっつくわけではないし、話し方も少し固くなりますよね。
人間は人によって態度は変わるものだと思っています。その態度を、
態度 = 自分
と考えています。
つまり、関わっている人の数だけ「自分」という存在がいるということです。
■学校から出た途端「学校の自分」は他人になる
この考え方が僕を救いました。
僕は小学校に行きたくありませんでした。しかし、休んではいけない。親に心配かけてはいけない。その思いから、「学校の自分」を仮定作成しました。
学校の時の自分は辛いですが、友達も全くゼロというわけでもなかったので何とか頑張っていました。そして、半日耐えたら学校での自分は終わります。
つまり、下校して一歩学校から出ると嫌だと感じていた自分は「他人化」します。
そう考えることで、嫌な学校も一日も休まずに行くことができました。
もし会社が嫌だと感じている人は「他人化」してみてはいかがでしょう。
■その時々の自分に任せましょう。
僕は、明日は「明日の自分」一年後は「一年後の自分」という感じに分けて考えています。
例を出すと、
明日、最終面接があります。緊張しますよね。しかし、面接を受けるのは「明日の自分」です。つまり、「今の自分」にとっては「他人」なのです。
「明日の自分」に任せて今はぐっすり寝ましょう。
僕は就活時この考えで乗り切りました。「明日の自分」が何とかしてくれるので今はゆっくりしましょう。と気楽に考えることができます。
しかし、一つ注意点です。
「明日の自分」が何とかするからってすべて放っておいて良いわけではありません。心の持ち用の話をしているので、しっかり準備はしましょう。
「明日の自分」を救ってあげるために、「今の自分」が頑張りましょう。
人は、自分のためより他人のために貢献する方が能力を発揮できます。
つまり、「自分」を「他人」と捉えることによって、
「明日の自分(他人)」を救うために「今(自分)」全力で取り組むことができます。
僕も「一年後の自分」を救うために、「今」ブログを執筆し始めています。
✔️これを意識することで、嫌なことが気にならなくなる。
僕はこの「自分他人化」をすることによって、嫌なことが気にならなくなっていきました。
関わってきた人の数だけ、「自分」はいる。とお話ししました。
つまり、嫌だと感じているのは“何百万人のうちの一人の自分“です。
そう考えることにより、僕は救われたのです。
今回の記事はここまでにいたします。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
この記事が少しでも皆さんに貢献できればと思い執筆しました。
お力になれれば幸いです。
それではまた次の記事でお会いしましょう。
Yokoblog
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