超絶に頭がいい人の「家事論」に触れて
こんにちは、高塚アカネです。
今日は家事の話です。
最近、こちらの本を拝読しました。
稲垣えみ子さん。元朝日新聞の編集委員だった…という強烈なプロフィールからの、「エアコンなし」「冷蔵庫ナシ」「ガス契約もない」(カセットコンロで暮らしている)…と、いろいろ、「ぶん殴ってくる」ライフスタイルの作家様、現る!(;'∀')!!!
高塚はやはり本来の気質でいうと家事好きです。本のタイトルが気になってしまったら、ついつい引き寄せられるように、本を手に取っておりました。
家事という永遠の敵
まず、この本は「家事を永遠の敵だと思っていた」というお話から始まります。
本を読み進めるうちに実感するのですが、
・家事=「永遠の敵」
・「家事分担」とはめんどうきわまりないことをお母さんなど誰か1人に押し付ける大義名分
・家事ができない人=姫か王子か?
・家事をやってこなかった人が、世話人を失って見事に見る影もなくなっていくのを見た
…なんだろう。
新しい価値観、現る!!!(;'∀')
この本を拝読して、価値観に気づいてしまったことを告白いたします。
痛快な理論
筆者の稲垣先生は、朝日新聞の記者であったということからももちろんだだ洩れておりますが、頭が良く、ものすごく社会派な方だと思います。
そういう方が体験された、「家事に対する180度回転した受け止め方」は、まさに人間ならだれもが持つ、生まれた国も、性別も、全く関係ない土台に成り立つ、「生きる技術」にまで昇華されている。
頭がいい方が生きるために最大の知恵を働かせると、こういう生き方になるんだな。
知恵が働くからこそ、今の文明に頼りませんし、あらゆる知恵で「暮らし」を良くなさって行かれた稲垣先生。
家事をしないと、地獄を見るよ…といわんばかりに、ばっさり切って捨ててくれます。(;'∀')
高塚、もとより母親の具合が悪かったことがあって、親が出来ないことをやる、みたいな、ちょっとした貧乏くじが人生の中にはありました。
ただうっすら気づきました。高塚は、これがもし、健康体で「できるひと」が押し付けてきた業務だったならば。
「金とるぞ?」(;'∀')
そう、できないことを本来・人に頼むとき、それは「金銭を払ってでもやっていただかなくてはならないこと」。
私自身、家事関係のこと、暮らしのことが好きだったので、実家の掃除などかって出ているんですが、「好きならやってよ、タダで」。と言われようもんなら、ブチギレるだろうな。
家事については「好きだからこそ」ですが、私の中にも、ひとつプロフェッショナルに誇れるくらいの、「家事プライド」がある気がして、読了してびっくり(゚д゚)!しています。
稲垣さんの著書には出てきませんが、家事という、生まれた時からある「暮らしの中の技術」は、今の世の中本当に軽く見られているような気がしてならなくなってきました。
これを突き詰めると万国共通で通用するような仕事の技術かもしれないのに、家庭の中に埋もれているんですよね。
プライドを持って家事をやりたいな
雑務、やりたくない。…みたいな、そういう意識を家事にもつのは、すこし悲しいな、と思い始めています。
家事は永遠の敵。…という書き下りから引き込まれて一気に読んでいたんですが、暮らしをする。自分のことは自分でやる。
こういう意識は、頭のいい、社会派な稲垣先生だからこそ、思うのかもしれません。(平等で、だれしもがそうなら、家事を下に見ようとはしないだろうな、とも考えます)
おまえはこれ(家事)でもやってろ、って、いつからなったんでしょうね?(;'∀')できないと地獄を見るのにね(;'∀')。
基本的な家事はできる自分を顧みてですが、暮らす技術=サバイバル技術においては、多少、私はレベルが高そうです。
食費を抑える活動も始めようとしているいま、「暮らし」を自分にぴったり合わせるような、そういう「人生の模索」をしていきたい思いです。
(読了して)
本当に素敵な本でしたので、気になる方はお手に取ってみてくださいね!
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