地獄の診察


今日は診察日だった。
はじめて父親を連れていった。

たまたま、父親がいたからだけど。

いつものように医師は私に
前回からどうだった〜?と聞いてくる。

そうですね、
気持ちは落ち着いてます。前向きです。
安定剤と睡眠剤は飲まなくても日常を送れるようになってきました。
週一のカウンセリングをして、毎日日記を書いて過ごしています。
食欲は普通。外にも少しは買い物にいく。
最近は恐ろしく不安になることはほぼないです。
ただ疲れが酷くて、、
継続的に毎日何かをこなすのがしんどいです。
仕事の時間にも起きられない。
薬の副作用ですか?


それはね、
精神安定剤だから、あなたの症状だよ。

そっか。
私は言葉も出なかった。


そこに父親は言う。
娘の仕事はストレス度が高い。
僕も同じ業界だからこの業界はストレスが高い。
娘をみていると、気分変動が凄くて、
体力は常人の4分の1以下のようだ。
体力もないから気分変動で人に当たっているのかもしれない。
母親もパニック障害のようだから、遺伝かもしれないけれど。

こんな状態で働けると思いますか?
障害年金の方がいいですか?
どう思われます?

継続的に働けない、
普通にみてもストレスがない仕事なんてこの世にあると思われますか?


どこからどうみても
娘に対しての怒りを
父親は私の主治医に対して投げかける。


ぁぁぁぁあ聞きたくない。

聞きたくない。

私は起きられない。
体力はない。

でも、負けず嫌いだけが取り柄だった。

今までね、高3から鬱病を患ったの。
大学受験も鬱病で毎日熱をだして、ストレスで窓ガラスも手で破いて、
でもそれでも第二志望の大学に受かったの。

大学に入ってから一度は治ったけど
また忙しい日を過ごして、
今度は躁鬱だと言われて。
オーバードーズもしたけれど
リストカットしながら、就活を乗り越えたの。
今度も第一志望は受からなかったけれど、
第一志望に似た会社で、大手で、
負けないで働くと決めていた。


帰り際には
父親に
自分の限界を決めていいのか?

知ってるよ。
限界を決めたくないから
頑張ってきたんだよ。

高3の時も
鬱なんて甘えだと思っていた。
自分が鬱病なくせに、
鬱病患者なんて甘えてる人が許せなかった。
だから、心の底のどこかで見下して、
誰かを見下して、
自分を上げたように錯覚して生きてきた。

ここで
私って仕事を辞めるの?

傷病手当金でも貰う?

いや障害年金?

いつもレールに乗った幸せを基準に生きていたから、
レールから外れる未知の領域が怖くてたまらない。
大人になるほど、理論ではなく実践の世界になる。
理論で示せない見えない怖さがそこにある。
今日は一緒に暮らしたこともない父親に障害年金を取るのかと言われた。
大学も卒業して大手に入ったのに。

誰よりも負けず嫌いと行動力だけが取り柄で生きてきたはずの私は、
自分に負けた人だと決められるのだろうか。

社会が甘くないことを知り、
学生までが天国のように甘く、ぬるい世界だったと気づく。

私の家庭は、
父親はトップセールスだ。
祖母もトップセールスだ。
祖父は大手企業の会社員で、
母は社長で、祖父も社長で、祖母も社長で、

自分だけは雑魚みたいな、存在なのか。


家族なんて嫌いだ。
父も母も、離婚で私がどれほど気を遣って過ごしてきたんだ。
どちらにも捨てられたような、死にかけの瀕死で放置されている。

今日の診察終わり、
ひとりで頭を冷やしたあと
気づくと父からのラインがあった。

「明日、僕が連絡するまで君から連絡しないように。」


私が苦しくてもがいても
父には再婚した幸せな家庭があったのだと我に返る。


大人になると
自分しか自分の味方ではない。
自分の力で自立するしかない。
何もしなくてもお金が振ってくる子供の時代は終わったのだ。

とはいっても、
私は生活していかないといけない。
簡単に死なないと身をもって体感しているから。
生きることが幸せに繋がるの?


苦しくてたまらない今日も、
私は家族のことも信じられずに、
知らない誰かのささやきに救われたような思い込みをするのか。

私って働けるのかな。
これからどう過ごしたらいいのかな。
そんな不安。
そんな今日。

弱気をみせないように、
社会に潰されないように、
必死に強がりをする。

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