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自己否定をやめたら真実を求めなくなった

 真実を知りたかった。

 人の想い。その裏にある道筋。心の集まりである社会の力学。世界を動かす原理。

 全部知りたかった。なぜ知りたいのかなんてわからなかった。自分の根本的な指向なのだろうと捉えていた。

 最近になって、真実への欲求が薄れていることに気付いた。

 唯一絶対の真実など存在しないという諦めのせいかもしれない。世界の実態は人間の知覚を超えている。光には波と粒子の両方の性質があるという単純な実験結果さえ、言葉としては知っていても、頭に馴染ませるのは容易ではない。

 人の能力ではありのままの世界を把握できない。理解するために人は世界を解釈する。視点が変われば解釈も変わる。一人ひとりの歩んできた道のりや欲求のバリエーションによって、人の数だけ「真実」が生まれる。

 ここまでは理性の話。頭では諦めた。だからといって真理に向かう衝動がなくなるものだろうか。もっと情動的な理由も絡んでいる気がするのだ。

 本当のことを知りたいと思った時、心に浮かんでいたことを思い出してみる。

 優しい嘘より残酷な真実のほうが良い。

 どんなに痛くても事実は受け入れなければならない。

 真実に適応していかなければならない。

 こうした思考は人間関係においても同じだった。

 悪いところははっきり指摘してもらったほうが良い。

 耳の痛い指摘でも受け入れなければならない。

 指摘の通りに自分を変えていかなければならない。どう変われば良いのかちゃんと教えてほしい。

 自分はこのままでいてはいけないから。ありのままの自分で存在してはいけないから。

 深い自己否定の感情だった。真実を求める心の底にあったのは。

 変わったのはその部分だった。誰かの理想に合わせようとすることを諦めたのだ。だいたい他人にダメ出しをする人というのは、本当に相手のことを思ってのこともあるかもしれないが、人をコントロールしたい欲で動いている。自分にとって都合の良いように相手を変形させようとしている。そんな身勝手に付き合ってやる義理はない。

 他人の目から見た客観的な自分の評価(に見せかけた要求)をまともに受け取ることをやめたら、ボトムアップ的に、真実に対する情熱も消えていた。自分を否定するための「真実」は必要なかったのだ。

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