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ジェンダー論に関心を持つ個人的理由

 自分は女の出来損ないだと長いこと信じていた。

 自分が女であることを認められないのは子供時代の一時的なことで、大人になるまでの過程のどこかで諦めて受け入れて女になっていくのだろうと思っていた。きっとみんなそんなもので、成長していくうちに自然と女になっていくのだろうと。

 けれど思春期を過ぎても「女」になりきることができなかった。みんなが乗り越えていく「女になる」という壁を、自分だけ越えられない。それは自分の人格に問題があるからだと思っていた。成長の途中でつまずいている、人間として決定的に何かが欠けていると、劣等感を育み続けていた。これがいわゆる性別違和というものかもしれないと気づくまで。


 子供の頃から「わたし」という一人称を使えなかった。それは悪いことだと思っていた。女の子の一人称は使いたくないが、男の子の一人称を使うのはいけないことだと思っていた。だから主語を言わずに何とか伝えようと工夫するようになった。

 中学に入っても高校に上がっても、「わたし」と言うことはできなかった。小学校には普通にいた「ぼく」や「おれ」を使う女の子(に分類されていた子)は、周りには一人もいなくなっていた。

 ちゃんと女にならなければいけないという焦りと、女扱いされることへの反発と、女であることへの抵抗感をどう頑張っても取り除くことができない劣等感で、自分は間違った存在だと感じるようになっていた。

 性別を偽ってそこにいるような後ろめたさを覚えながらどうにか「女」の末席に座らせてもらい、自分は普通の人とは何か違うと予感しながらその違和感から目を背け続けた。

 ジェンダーやセクシュアリティに向き合ってみようとようやく思えたのは20代も後半になってから。ネットの診断テストの結果は「Xジェンダー」。やっぱりという気持ちと同時に、新たな悩みが浮上した。

 この「性別違和」は、本物なのか?

 女として扱われるのが嫌なのは、本当に自分は女ではないと感じるせいだろうか。「女扱い」に含まれる、性の対象物として見られる感じや、一段下に見られる感じが嫌なだけではないのか? 自分は本当に本物のトランスジェンダーと言えるのか?

 そういうごく個人的な疑念から、性差別や女性蔑視の問題に興味を持つようになっていった。

 女性が女性だからというだけの理由で軽く見られたりすることがなくなった後、女とみなされることへの違和感がまだ残っていれば、きっとそれは本物の性別違和だろう。もしも違和感が消えたら……その時は「普通の女」になれるかもしれない。

 わかっている。女性に対する偏見や決めつけがどのようなものか知って、女という性に誇りを持って「女を馬鹿にするな」と訴えている人がたくさんいることを知って、それでもなお自分は彼女たちの言う「私たち女」には含まれていないと感じている。自分が痛みを感じることなく「自分は女だ」と言える日はこの先もきっと来ないだろう。

 それでも「男」と「女」のどちらかしか選択肢がないのなら、「女」に自分を位置付ける。女の体を持って生まれ、女性の文化の中で女性として生きてきたのだから。場違いだと思いながら、「女」と認めてもらえる振る舞いをできているかどうか怯えながら、端のほうにいさせてもらっている。

 これが性別違和だと自信を持って言うことができないのは、単にそれを認めたくないからかもしれない。シスジェンダーの「普通の」女性になれる可能性に一縷の望みをかけているだけかもしれない。今まで女性として生きてきて、シスジェンダー女性としての恩恵を受けておきながら、何を今更、という思いもある。

 性別のことに限らず、自分の感覚を素直に受け取るのがあまり得意ではなかった。嫌なことを言われても、「でも相手にも事情があるのかもしれないし、自分にも悪いところはあっただろうし、相手を恨んだり嫌ったりしてはいけない」などと、嫌だったという自分の気持ち自体を抑圧してしまうところがある。最近は感じていることをちゃんと受け止めようと心掛けているものの、性別に関しても違和感を抑圧しているところはあるだろうと思う。

 けっこう前のことだが、無いと思っていた違和感の存在に気付くことがあった。

 身体的な違和感は薄いほうだと思っていた。自分の顔が嫌で髪を短くするまではまともに鏡を見られなかったというのはあるが、胸に関してはそこまで関心を持っていなかった。生理は昔から不順で治さなければいけないとプレッシャーを感じていた上に、パートナーができてからは妊娠していないサインとして福音のように思っていたから、生理がちゃんと来るということはむしろ安心材料だった。

 しかし、婦人科の検診で卵巣の腫れが見つかり、経過次第では切除しなければならない可能性を告げられた時、自分は確かに喜びを感じた。否定しようもなく、わくわくしてしまっていた。性別違和のことを誰にも知られることなく、この自分でもよくわからないもやもやとした感覚を証明する必要に迫られることなく、合法的に「女」の部分を捨てられると。幸いというかなんというか、腫れは自然に引いて、手術の必要はなくなったのだけれども。

 この違和感は気のせいではないと思う。思うけれど、自信を持つこともできずにいる。自分が女だと思うことも女ではないと思うこともできずにいる。しっかりとしたアイデンティティのない今の状態は不安定で傷付きやすく、ネットでトランスジェンダーに対する否定的な意見を見ても跳ねのけることができず、やっぱり自分はおかしいのではないかと吐きそうになる。自信を持って自分が何者なのか言えるようになりたいから、ジェンダーのことをもう少し調べてみる。


 最後にジェンダーやセクシュアリティを診断できるサイトのリンクを貼っておく。診断結果が正しいとは限らないが、自分を知る手がかりにはなると思う。どんな結果が出ても、少なくとも今の医学では病気でも勘違いでもないし、他人に知られたくなければ知らせる必要もないので。


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