見出し画像

キャリアとは、いかにも新しい概念です。
日本に生きる人にとっては。

長い間、日本で「キャリア」という言葉は、
「国家公務員」(特に高級官僚)
意味で使われていました。

中年世代以降の方にとっては、
『踊る大捜査線』において
織田裕二さん演ずる青島刑事が、
柳葉敏郎さん演ずる室井さんたちを指して
「キャリアのお偉いさんだから…」
呼んでいたような記憶が
あるのではないでしょうか?

◆『(事件は)現場で起きてるんだ!』

などの名台詞のイメージとともに、
キャリア=お偉いさん=エリートなどの
印象が強いのかもしれない。

しかし、時代は変わりました。

今の子どもたちにとっては
キャリア=国家公務員(高級官僚)
というイメージは少ないかもしれない。
そもそも『踊る大捜査線』を
リアルタイムでは見ていません。

レインボーブリッジを封鎖した
有名な映画でも、悪い犯人役は
「リーダーのいない対等で柔軟な集団」
今ではむしろそういう組織のほうが、
ピラミッド式で上意下達の組織よりも
好ましい、とされる風潮がある。

学校でも「キャリア教育」を行っている。
そのため、
キャリア=轍、道、生き様、という
欧米などで本来使われている意味として
捉えられていることが多い
と思われます。

(詳しく言えばcareerという英語は
カ「リ」ア、でリにアクセントの発音ですが
本記事ではキャリアと表記します)↓

前置きが、長くなりました。
本記事では日本における
キャリアの呼称と錯覚の歴史について
私なりに書いてみます。

…そもそも、なぜ日本では
キャリア=お偉いさん=エリート
というイメージで使われてきたのか?
それは、明治時代以降の
「高等文官試験」に由来します。

江戸時代から明治時代に変わり
「近代的な国家建設」を行うにあたって、
近代的な法律に基づく行政や司法を
行うことが不可欠になりました。
となると「資格」を持った人が必要。
適当な人を無試験で任じるのは、危険。

そこで難しい試験を突破した人に、
特に専門的な職務を任じた。
「高等文官(高等官)」と呼びます。

中等とか初級もあったのか?
…あったんです。

明治憲法下においては、
官公庁に勤める人(公務員)の間でも
上下の差が「明確に」分かれていました。
例えば、
「高等官」「判任官」「等外吏・附属吏」
※注:時代によって呼称は変わります。

高等官は、いわゆるエリート。
『踊る大捜査線』的に言えばキャリアです。
判任官は、その下で働く人。
『踊る大捜査線』的に言えばノンキャリア
等外吏は、門番や作業員など。

この制度は、明治憲法で参考にした
ドイツ帝国の公務員採用制度を
参考にして作られました。
厳然たるピラミッド型の上意下達制度!
官僚界の新しい身分制度、と言ってもいい。

…さて「戦後」になりますと
日本は憲法を変えます。
敗戦したドイツ流の国家公務員制度も
改革しておこうとGHQが動く。
しかし各省の猛烈な抵抗に遭う。
公務員制度改革は、不徹底に終わります。

「高等文官(高等官)」という名前は
「国家上級」から「国家Ⅰ種」という
名称に変わりましたけれども、
内実の採用制度と昇進制度は変わらない…。

この中で、制度上廃止された高等官は、
「(上に登れる)資格者」と呼ばれ、
それがアメリカ流の欧米化により
「キャリア」と呼ばれるようになって、
「偉い役人」=キャリアと
俗称で呼ばれる
ようになった。

だから『踊る大捜査線』の中では、
年配の署長たち(スリーアミーゴス)が
若い室井さんたち、つまり
「将来が有望なキャリア」たちに
へこへことおもねっていますよね。
キャリア、高級官僚の世界では、
偉い人はとにかく偉い。身分が違う。

…さて、ここまでで、日本における
「キャリア=高級官僚」の
呼び名の変遷を追ってみました。

何が紛らわしいのか、と言えば、
「キャリア=自分の生きる道」のような
本来の使い方のキャリアの意味と、
この俗称の「高級官僚のキャリア」とが、
同じ「キャリア」というカタカナ英語で
表記されていること。


高級官僚のほうは厳然たる
上下のピラミッド型のキャリア!
キャリア教育などのキャリアは
対等のジグソーパズル型のキャリア!

全く違います。真逆だ…!

なのに、日本独特の
出世するため上に上り詰める、
一つ一つ積み上げていく、的な
ピラミッド型のイメージ

キャリアとして先行したがゆえに、

特に(私も含めて)中年世代以上の方は
『(事件は)現場で起きてるんだ!』
という青島刑事のセリフとともに、

キャリア=限られた偉い人の話で、
現場で生きる私たちは
その「与えられた場所」で一生懸命
「仕事をしていればいい」、
キャリア、自分の道や生き様は
そんなに考えなくていいと身分制度的な
「錯覚」をしてきた
のではないか?

時代背景もありました。

高度経済成長~バブル経済崩壊までは
「一社専従」「終身雇用」が
スタンダード。日本国内にとっては。
昭和元禄…!

その中で、キャリアはピラミッド型。
仕事を頑張ってい「さえすれば」
「自然に」昇給して、昇進していく…。
会社の業績も「自動的に」伸びていく…。
そんな「錯覚」を多くの人が持っていた。

お偉いさんは「キャリア」を
考えなければいけないが、
「現場」の人には、そんなに関係ない…。

そんな錯覚のまま、バブル経済崩壊、
山一証券倒産、しっちゃかめっちゃかの
「失われた〇〇年」
「IT革命」「SNSの隆盛」など、
怒涛の展開に、なし崩し的に突入。

学校ではキャリア教育が導入されましたが、
実社会では「ピラミッド型のキャリア」が
官僚界を中心に維持されていた。

でも急速にその社会や組織のピラミッドも
解体されている…。(民間では)
対等が原則の、SNSも普及。
気づいた人と気づかない人との
認識的な格差がどんどん広がっていく…。

それが戦後~平成~令和における
「キャリアの錯覚」の
概略史
ではないでしょうか?

最後にまとめます。

本記事では日本における
キャリアの呼称と錯覚の歴史について
私なりに書いてみました。

今では大企業や高級官僚の世界などの
一部の組織を除き、
いわゆる「ピラミッド型のキャリア」は
だいぶ消失しています。

しかしその錯覚の亜種はまだ
各社、各地に根強く残っておりまして、

(地域差もあります)
「本来の『人生、道』の意味のキャリア」
(カ「リ」ア)の普及を
阻害しているように思うのです。

少なくとも『踊る大捜査線』の
記憶を持つ中年世代以降の人たちが
多数派を占める組織や地域(家庭)では…。


(誤解を招かぬよう蛇足で書きますが、
私は『踊る…』をdisりたいのではなく、
この錯覚の実相を
対比的・皮肉的に「見せる化」した
優れた作品だと思っています。
また、中年世代以降であっても
錯覚を持たない人も多数いらっしゃいます)

さて、読者の皆様の組織や地域では、
いかがでしょうか?

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!