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ネットワークのある世界・ない世界 ~三つのネットと『祖谷物語』~

平成時代にどう日本の社会は変わったか?

私なら鍵となる
「三つの言葉」を挙げて説明します。

①ネット
②コンビニ
③キャリア

本記事では、この三つの変遷を見ながら
現代の日本の断面図を切り取ります。

まずは概論。平成より以前、
「ネット」「コンビニエンス」「キャリア」
という言葉を聞くと、

①ネット:ゴミ収集でカラス予防にかける「網」?
②コンビニ:「便利」という意味の英語?
③キャリア:国家公務員の「エリート」?

そういう意味で思い浮かべる人が
多かったのではないでしょうか?
とても、限定的な言葉でした。

それが、次のように変わった。

①ネット:誰でも使える「情報網」
②コンビニ:誰でも使える「小売網」
③キャリア:誰でも考えるべき「人生網」

「誰でも使える・考える」。
言い換えれば「大衆化」「普及」です。

つまり、平成以前には「一部の人のもの」
だけが扱い、独占され考えるべきものだった
「情報網」「小売網」「人生網」が、
すぐ身近なものになってきた。

あえて私は「網」という漢字を使いました。

◆「網」=ネットワーク

全国津々浦々、地球の裏まで
色んな「網」が張り巡らされ、
アクセスできるようになったのが
平成時代だ、というイメージです。

概論はここまで。
ここから、個別に見ていきます。

①ネット(情報網)

パソコンからモバイルへと、
情報機器や情報ネットワークが整備され、
誰でも気軽に「情報」を受信・発信できる。
いわゆる「情報革命」「情報爆発」です。

平成より前は情報の伝達といえば、
個別には「郵便」「電話」
全体では「マスコミ(新聞・雑誌、テレビ等)」
などでしたよね。それが今では
「SNS(ソーシャルネットワークサービス)」
文章、音声、画像、動画、
「個人起点での発信」可能、思いがまま。

ユーチューバーは、今では
小学生のあこがれの職業の一つです。
アナログからデジタルへと言ってもいい。

付随してペーパーレスの進展もあります。
電車の中でも、昔は新聞を読んでいたのが
今ではみんながスマホを操作している…。

②コンビニ(小売網)

コンビニエンスストア自体は、
七十年代頃に日本に出現しました。

昭和時代の末期、バブル経済の前。
ですが、まだ勃興期には、
「無数の個人商店の一つ」に過ぎなかった。
全国にはパパママショップと呼ばれる
零細商店がそこかしこにあった。

これを「コンビニネットワーク」
「フランチャイズ化」の波で飲み込む。
例えばセブンイレブンの平成元年度の
店舗数は、約四千店くらいでしたが、
平成三十年度には約二万店に膨れ上がっています。

およそ五倍。恐ろしいほどの拡充!

それに伴い、コンビニで扱うサービスも
膨れ上がってきました。
銀行機能が備わり、各種の決済もできる。
Amazonの商品の受け取りもできる。

2011年(平成二十三年)の東日本大震災以後も、
店舗数が急増しています。
災害時の支援、物流体制の役割も担っている。
今や欠かせない「社会インフラ」ですよね。
原則、二十四時間、営業。
どんな地方にだって、離島だって、
同じコンビニなら同じ商品とサービス…。

これ、本当にすごいことですよね。
すなわち、時間と空間の壁を乗り越えて、
全国的に「便利」を届けたのがコンビニ

その「小売網」が広がったのが平成時代。

③キャリア(人生網)

平成のど真ん中、2003年(平成十五年)に
『踊る大捜査線 THE MOVIE 2
レインボーブリッジを封鎖せよ!』
が公開され、
実写邦画歴代興行収入第1位を記録しました。

この映画では、
「偉そうに上から指示する側のキャリア組」と
「地べたを這う現場組」の格差と対比が描写され、

それに対して犯人側は
「既存のピラミッド型組織ではない
アメーバ的でフラットなネットワーク」

を組み、警察組織を翻弄していきます。

そもそも『踊る大捜査線』自体は
1997年(平成九年)に最初に放映された
テレビドラマシリーズ。
ここでは、サラリーマン出身の青島刑事と、
東北国立大出身の「キャリア」室井さんとの
対比、せめぎあいが、一つのテーマでした。

ここから、キャリアという言葉について。
平成より前は「キャリア」と言えば
「国家公務員試験に合格した幹部候補生」
すなわち「エリート」
を指すことが多かった。
また、男女共同参画社会が言われ始めた頃は
「キャリアウーマン」なる言葉が現れ、
「バリバリ働くキャリアウーマン」
バリキャリ、という言葉も派生しました。

要するにキャリアとは
「一部の選ばれた特別な人」だった
のです。

これが、徐々に変わってきた。

今では学校でも「キャリア教育」が導入され、
「キャリア」は特別な言葉ではなくなっている。
意味自体も「組織内での実績の積み上げ」的な
限定的なものではなくなって、
みんなが考えるべき「人生観、生き様」のような
普遍的な意味で使われることが多くなりました。

『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』で
犯人役として暗躍した
フラットな組織、ネットワークのほうが、
今では主流になってきつつある…。


もちろんこれには、
バブル崩壊やリーマン・ショックに起因する
既存の会社・働き方・組織の変化や
SNSなどが深く関わっているでしょう。

「道筋が明確な、上に登りつめる、
ピラミッド型積み上げ式キャリア」から、
「みんな違ってみんないい、千差万別的な、
フラットで流動的なキャリア」
へ。

どのように仲間を増やし、流動的に組んで、
自分なりの「キャリアネットワーク」
=人生網を作り上げていくのか…?

平成ど真ん中の平成十五年が分水嶺。
私には、この年に、
「既存のキャリア」と「これからのキャリア」を
暗示するような映画
がヒットしたことが、
とても象徴的なことに感じられるのです。

はい、ここまでが各論でした。
まとめていきます。

ネット、コンビニ、キャリア。
平成時代には「網」が広がっていきました。

誰でも、自由に、時間と空間を越えて、
四六時中、津々浦々、
アクセスし参加し、使用ができる時代。

ですがそれゆえに、悩みもまた深い。

「ネット」では、「炎上」「誹謗中傷」
「フェイクニュース」などが社会問題に…。
「コンビニ」では、二十四時間営業の
労働問題や経済格差問題が見え隠れしますよね。
「キャリア」については、全員が考えていく
必要があるので、悩む人が爆増している。

普及したがゆえに、光とともに、闇もある…。

「自分なり」の方法とは…?
今まで隠されていた情報があらわになり、
色んな「壁」が溶け出して、むき出しに。

そんな平成時代を経て、
私たちは令和時代を生きています。

さて、読者の皆様のご経験における
「ネット、コンビニ、キャリア」の
変遷はいかがでしょう?

どのように接していますか?

令和時代の網、ネットは、
どんなものになるのでしょうか?

【ネットワークのある世界・ない世界】

はい、ここまでは「三つのネットワーク」が
「ある」世界のことを論じました。
ここからはこのネットワークが
「ない」世界のことも考えていきます。

ここまで私は、平成時代に
大きく発展したネットワークが三つある、
と書いてきました。

①インターネットワーク
②コンビニネットワーク
③キャリアネットワーク

①は情報革命を生み出しました。
②は流通革命を生み出しました。
③は精神革命を生み出しました。

①によって私たちは、
昔なら考えられもしなかった
膨大な量の情報を、やりとりできます。

②によって私たちは、
開店閉店時間に囚われず、
膨大な商品やサービスを受けられます。

③によって私たちは、
『レールの上』でなく、より自由に
生き方を考えられるようになりました。


①はオンラインで。仮想現実で。
②はオフラインで。リアルな物。
③はオンハートインハートで。

情報的にも物理的にも精神的にも
一昔前から考えれば
(たかだか数十年です)
信じられないくらい便利に、
自由になってきている…!

だからこそ、と言いましょうか。

この三つを使いこなす人と
使いこなさ(せ)ない人との
差が、グングン広がっている
ように感じる。
(あくまで、相対的に、です)

SNSをお使いの皆様は、
①③については、比較的、
つわものであるように思います。

なぜならここには、
オンライン、オンハートの
凄い方がたくさんいるからです。
それだけで刺激を受けるものです。

ただし。

世の中はそういう方ばかりでは、ない。

インターネットにも
コンビニネットにも
キャリアネットにもつながらず、

相対的に見て『狭い』世界の中で
過ごしている方もたくさん
いらっしゃるのです。
(ついつい忘れがちなのですが)

私には、それが悪いとは思わない。

狭い世界で幸せに暮らす、
これはこれでいい人生。

自由には、怖い面もありますから。

しかしながら、世界のほうが
それを許さなくなっていく

そういう危険性も、あります。

いつのまにかインターネットが必須で、
いつのまにかコンビニができ、
いつのまにかキャリアのネットワークが
必要不可欠になる、かもしれない。

自動車を考えてみれば
イメージがつくかもしれません。

自動車が生まれた頃、
道はガタゴト凸凹道が普通だった。
しかし自動車が普及するにつれて、
地表はアスファルトで蓋をされていく。

そう、自動車によって、
世界そのものが変わった
のです。
私たちはすでに
自動車がない、アスファルトがない、
そんな世界を忘れかけています。

同様なことが、
インターネット、コンビニ、そして
キャリアにも起こるのでは?

いや、すでに起こっているのでは?

すでにインターネットがない状況を、
私は忘れかけています。
コンビニも、しかり。

となれば、一社専従、終身雇用、
レールの上を走るような、
ずっと変わらないでいられるような、
お仕着せの不変のキャリアは
過去の遺物として忘れ去られる

かもしれません。

人は本来、自由です。
そしてその自由な行動を実現すべく、
さまざまな道具や仕組みを
生み出してきました。

パラダイムシフト、という言葉で
まとめるのは好みではありませんが、
まさに今『シフト』していく時代
それが鮮明になっていく、過渡期。

そのように私は思うのです。

以上、思うままに書いてみました。
読者の皆様のネットワークとシフトは、
いかがでしょうか?

最後に、現代の秘境、とも呼ばれる
『祖谷』(いや)を舞台にした
映画をご紹介して、終わりにします。

『祖谷物語 -おくのひと-』という映画です↓

以下はホームページから。あらすじ。

(ここから引用)

『ある夏の日、川を遡るように
ボンネットバスに乗って東京から
青年・工藤がやってくる。

自然豊かなこの田舎村で、工藤は
自給自足生活を始めようとしていた。

ところが、一見平和な村では、
地元の土建業者と自然保護団体との対立や、
鹿や猪といった害獣から畑を守ろうとする
人々と獣の戦いなど、様々な問題が起こっていた……。

そんな中、工藤は
人里離れた山奥でひっそりと暮らす
お爺と春菜に出会う。

電気もガスもなく、物もほとんどない
質素なこの家の生活は、
時間が止まったかのようにゆっくりしている。

お爺は毎朝、山の神様が祀ってある
社まで山を登ってゆき、 お神酒を奉納する。
春菜は一時間かけて山を下って学校に通い、
放課後はお爺の畑仕事を手伝う。
効率とは無縁の2人の生活は、
工藤の心をゆっくりと浄化していく。

しかし、季節が巡るにつれ、おとぎ話のような
お爺と春菜の生活にも変化が起きる。

進学に悩む春菜と体調が悪化していくお爺。
ずっと続くと思っていたお爺との生活が
ズレ始めたことに不安を抱く春菜だが、
お爺は春菜の心配を余所に
いつものように山に出掛けていく。

田舎での生活に期待を寄せていた工藤も、
 厳しい自然との共存に限界を感じ、
自分は所詮文明社会の下でしか
生きられないということに
絶望を隠せないでいた…。』

(引用終わり)

続いて、メッセージを。

(ここから引用)

『私は祖谷の山々を駆け巡り、
探しまわった。

この物語に出てくる
お爺と春菜のように、
山奥で自給自足の生活を
している人間を。

川から水を汲み、木を拾って
火をおこし、山を耕し
野菜を育てる人間が、
もしかしたらこの秘境になら
まだいるかもしれない
という少しの期待を持って、
私はひたすら祖谷の山奥を探し歩いた。

しかし、荒れた山道を
登っても登っても、出会うのは
腐った茅葺屋根の家と廃集落だけだった。

もう日本にはお爺はいないのである。
そこにあるのはお爺がいたという
わずかな痕跡と、それを呑み込まんと
する草木の存在だけであった。

またこの映画のために
我々スタッフは人里離れた山奥で
畑を耕し、蕎麦を育てたが、

なるほど、この土地には
人間や獣以外の存在が
確かにいるのである。

今回その奇妙で曖昧な存在を、
幸運にもフィルムに
焼き付けることができたと、
私は確信している。』

(引用終わり)

…ネットワークは徐々に世界を覆っていき、
世界のありさまを変えています。
そのネットワークにつながらず、
人は生きていけるのか?

「自給自足」とは、何なのか?

ネットワークにつながらない人
生き様に触れることによって、
逆説的ではありますが、
ネットワークとは何かを深く考える
ことができる
ように思うのです。

※三つのネットワークについては
以前に書いた記事をリライトしました↓

※映画について書いた以前の記事はこちら↓

※映画のホームページ(公式サイト)はこちらから↓

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