思考と言葉の「Wスープ」を再現する
…難しい問題ですよね!
思考とは、個人が脳内で
事柄について「思い考える」こと。
「感情」が実はその根底にあります。
一方で言葉とは、他人との
コミュニケーションツールで
表現していくこと(言語化とも)。
砂押 美穂 さんがこのテーマについて
ご自身の「カウンセリング」をからめて
記事を投稿されておられたので、
それを要約紹介しつつ、本記事で再度、
考えてみたいと思います。
実際に砂押さんが書かれた記事原文は
リンクから飛んでお読みいただくとして、
私なりの要約は、以下の通り。
(つまり「対人安全保障感」が
「自分の意識(深い部分)」と
「他人の期待(と思われること)」との
揺らぎやバランスから生じてくるので、
それをカウンセリングなどで明らかにして
解きほぐして調整していくことが大事)
(つまり「言葉」「言語化」によって
感情は大きく左右されるのだから、
相手、クライアント本人による解決を
促すために、相手が言語化しきれていない
深い部分を汲み取って、
カウンセラーが別の言葉で言語化する)
(つまり他人から「言葉」にされることで
クライアントは、自身の思考・感情を
過去の経験と結びつかせて
「そうか、そうだったのか」と
個別性の強い自分の思考・感情から
一般性の強い「言語化」が促される)
もう少し短く私なりにまとめると、
以下の通りになります。
…私はこの砂押さんの記事に対し、
以下のようなコメントを書いてみました。
(ここから引用)
(引用終わり)
…本当に長々しい感想ですね。
申し訳ありません…。
ラーメンの例えついでに補足しますと、
作り手自身が適当に味付けした
ラーメンは、作り手自身も
「再現」できないことになります。
レシピが整った再現性のあるものなら
「言語化」され「一般化」されている。
説明もしやすい。再現も容易。
しかし、作り手自身が
よくわからない材料や手順で偶然に
生じた味は、自分でもよくわからない…。
そこでカウンセラーに
その謎ラーメンを食べてもらい、
と問いかけ、言葉にしていきます。
そうすることにより、作り手は
というように、自身の経験と結び付け、
自分の謎ラーメンを解きほぐし、再現し、
納得の味にできる(糸口を得る)。
砂押さんは、以下のように
記事内で書かれています。
(ここから引用)
(引用終わり)
そのことを考えますと、日々、
いかに言葉を選択して発していくか、
いかなる言葉を受けていくか、
その選択の積み重ねによって、
人の思考もまた、変わっていく…。
言葉の枠に思考が規定されるなら、
「自分だけの言葉の世界」では
無意識のうちに思考も硬直し、
閉じられた世界になる危険性があります。
その中では自分の深い部分の言語化が難しい。
なぜなら、自分だけの言語化には
限度、限界があるから。
自己満足の頑固ラーメン親爺のようなもの。
それを打破するためには、
他人にラーメンを提供し、味わってもらい、
「他人の言葉で」感想をもらい、
自分の経験に結び付け、さらに改良する…。
いわば思考の「Wスープ」です。
「魚介×豚骨」的なものを、
自身だけでなく他人との言葉のやり取り、
「交流」によって「再構築」する姿勢が
大事ではないかな…と思いました。
最後に、まとめます。
本記事は砂押さんの記事を元に要約し、
再度考え直し、言語化したものです。
私なりの解釈も多々入っていますので、
読み違いがありましたら申し訳ありません。
皆様は、どう考えますか?
どろどろの謎ラーメン、思考や感情を
いかに味わい、言語化していきますか?
…味わってもらう相手は、いますか?
※砂押さんの記事に出てくる
ハリー・スタック・サリヴァンの業績もぜひ。
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