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部活✖︎音楽。あの日々がもたらしたもの 〜 「デー・ゲーム」 ユニコーン

学生時代の部活動

中学、高校の4月。それまで特に習い事をしてこなかった青年を迷わせるのが部活動。別に入らなくてもよいのだ。でもなんとなく何かの部活に入らねばならないという暗黙の了解というか、強迫観念があったのを記憶している。

なぜならば、部活に入らない自由は「帰宅部」という言葉で疎外されるからだ(笑)。この言葉は青年にとっては強烈だった。思春期特有の勘違いからカッコよさを追求したいわけで、この「帰宅部」という言葉は、カッコよさとは真逆に位置しているように思えていたのだ。(笑)

本当のカッコよさなんて、わかってもいなかったのに。(今はわかっているということではありませんww)

そんな風にして、多くの青年が何らかの部活動に加入することになる。無論全員がそうなのではない。

何部に所属するか

そもそも、どこかの部活に入らねばならない強迫観念が青年にとって4月の一番の悩みということは、部活に入る入らないということ以前に部活の選択という作業をせねばならないわけだ。

小学生のころから野球や柔道、剣道をやっている友人のなんとうらやましかったことか。絵がうまい友人のなんと輝いていたことか。

結局、何も習い事をしてこなかった青年は、当時、流行っていた、または個人的に好きだった漫画の題材となっているスポーツ部に進むことになる。

そう、サッカー部だ。

サッカー部

青年はキャプテン翼にはまっていた。という単純な理由でサッカー部に入ることになる。そして、体育会系という名のよくわからない慣習にさいなまれることになる。頑張って部活を選んだ先に、そんなことにさいなまれようとは!

この辺り、ほぼ、全国各地の体育会系経験者と気持ちは同じと思うので、多くは語らない。

そして、その体育会系サッカー部活動を中学高校の6年間続けてしまったのだ。(今なら気が向かないなら、スパッと辞める)

が、唯一といっていいメリットがあるのを、青年は部活動引退後の秋と、大学1年時に知ることになる。

唯一のメリット:秋のマラソン大会編

たまたま好きな漫画の題材だったということでサッカーを選んでしまった青年は、人間関係のほかに、運動能力とも向き合わねばならなかった。

球技は、自分のカラダ以外の物理的存在を扱うわけで、自分のカラダすら満足に動かせないのであれば、その物理的存在を上手く扱えるわけもないと今にして思う。

この辺りの練習のしんどさは、全国の体育会系部活道経験者に共通の思いであろうから、ここでは多くは語らない。

ただ、毎日、走り。ただ、走り。声を出し、走り。ダッシュして、声をだし、ストレッチをし、アップと称される長距離走に従事し、その繰り返しの日々を経て、彼に大きな変化が起きていたのだが、そんなことは青年は知る由もない。

そうこうするうちに、ただただ、苦痛だった練習と、外で見ているだけだった大会が終わった。高校3年にして人生にいくつか訪れる関門を抜けた思いでいっぱいで、開放感に満ち溢れていた。

どこかで尾崎豊が「自由になりたくないかい?」と叫んでいた。

そう、あの開放感は、なかなかに大きな体感として残っている(笑)

そんな青年が、「あれ?なんか、自分って、変わってきているんじゃないか??」と感じた最初のタイミングは、秋に行われたマラソン大会だ。

当然、青年は、マラソンなど大の苦手で、長距離などもってのほか。あんな距離を走るのは拷問に近いとすら思っていた。

そんなマインドのまま、迎えた高校3年秋のマラソン大会。

なんとなく走り出していたが、意外と快適な自分を感じる。風が気持ちいい。風すら感じる余裕がある。これは何だろう。

見慣れた風景の向こうに、小さな発見がたくさんあった。収穫を迎えようとしている稲穂が一斉に揺れる景色を見て感動していた。地平線の向こうまで届くような水田の稲穂が一斉に揺れているのだ。あの雄大さは時間の流れをも超越しているようだった。そんな身近にいつもあった風景を、初めてじっくり眺めた気がした。悠久の大地。まさに北海道は悠久の大地だなあ、なんてことすら考えていた。

走りながら。

そう、青年は走ることを楽しんでいたのだ。結果、全校生徒男子の中で、20位くらいでゴールを迎えていた。

快挙だ。なぜ出来たかわからないが快挙だ。

そして青年は気が付いたのだ。体力がついていたことに。あの途方もない練習に、身体能力は確かに応えてくれていたのだ。持久力という名のご褒美を持ってきてくれていたのだ。

唯一のメリット:大学1年生の健康測定編

大学1年生のころ。大学時代は過度な運動部は避けていたので、走れ、走る、走ろうという3段活用的な体験は遠い過去の存在となっていた。

そんなある日、身体測定会があった。ジャンプしたり、ちょっと走ったりしつつ、血液検査などをして結果をうかがった。青年は耳を疑った。

検査官のお姉さん「とても健康的ですね。あなた何か高校で運動部やってたの?」

そうなのだ、あの激しい運動、トラウマになりそうな人間関係の果てに、どうやら健康をも手にしていたようなのだ。

青年は、やっとそんなことにも気が付き、有森裕子さんのように「あの頃の自分をほめてあげたい」気分に駆られていた。

デーゲーム

このユニコーンの楽曲は、野球の白いボールを追っていた日々を、大人になってデーゲームを見ながら回想している。

あの頃は、名選手になろうと意気込んでいたけれど、結局、ベンチウォーマーで、もちろん、ジョー・ディマジオにはなれなかった。

でも思い出は暖かく。その延長に今があるならば、思い出を含めたその長い時間があってこその今の自分自身であろうと。

そんな楽曲。

たしかに今振り返れば、あの、単にキャプテン翼が好きだと言う理由で、6年もしんどい事を続けたのにもたくさん意味があったとわかる。

人生とはそういうものなのだろう。後からだって、気がつけた自分が最高なのだ。

まさに、これを書いている今も「自分を褒めたい症候群」に駆られている。

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