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主体的に生きるとは

人はそれぞれ自分を生きてる。
主体的に!なんて言う必要がないほど、みんな自分を生きてる。
それが主体的でないわけがない。
能動的に動くのを選択するのも主体。
受動的に動くのを選択するのも主体。
積極的に動くのを選択するのも主体。
消極的に動くのを選択するのも主体。
勤勉を選ぶのも主体。
怠惰を選ぶのも主体。
命じることを選択するのも主体。
命じられて動くのを選択するのも主体。
支配するのも主体。
従属するもの主体。
お追従を言うのも主体。
忖度するのも主体。
威張るのも主体。
見栄を張るのも主体。
控えめにするのも主体。
見せびらかすのも主体。
秘めるのも主体。
ひっそりするのも主体。
堂々とするのも主体。
おどおどするのも主体。
雄弁に語るのも主体。
物静かに語るのも主体。
黙るのも主体。
だますのも主体。
だまされるのも主体。
攻めるのも主体。
防ぐのも主体。
促すのも主体。
妨げるのも主体。
人にそそのかされて動くのも主体。

人それぞれに、自分で選んでいる。
この世に生きている人で、主体的に生きていない人はいない。
そう考えると、主体性を育成するなんて教育は、意味がなくなる。
とは言え、自分が自由に選択できる範囲や選択肢は限られている。
この世に生きているだれひとりも、自分だけの判断で選択することができない。
この社会を構成する全員が、自分以外のすべての存在とかかわって生きている。
互いに影響を受けたり与えたりしながら生きている。
この宇宙に存在するすべての要因との全方位影響関係の中で存在している。
その中で、選ぶ範囲はごく限られている。
その限られた範囲の中で、人は、自分でどう行動するを自分で選んで生きている。
主体的に選び、主体的に行い、主体的に生きるとは、そういうことだ。

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