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今日は、姉という社会のはなしのつづき(11-9)

と、まあ、前回は
下世話な話しになってしまい恐縮でしたが
わたしにはそんなふうに
姉には頭があがらないという思い出が
いくつもある。

こわい姉だったけど、
姉の怒りにはいつも理由があった。

母はわたしに甘かったし
母は姉に頼り過ぎていた。たぶん。

そうそう、たとえば
スーパーでお支払いってときになり
財布を忘れたことに気付いた母が
一度家まで財布を取りに帰るのに
なぜか姉を(人質に)置いていったこと。

レジの人は、拒まなかったのだろうか、
ていうか、店側の要求ではなかったよね。

大人同士でどういうやりとりがあったのかは
まったく覚えてないけれど
レジのあの空間に取り残された姉の立ち姿を
わたしははっきり覚えている。

あれは妹ごころに胸が痛かった。

うーむ考えてみればみるほど、謎でしかない。
姉はあのあと母に対して怒ったろうか。
よくわからない行動に出た母を責め
お詫びの菓子でも買ってもらったかな。

そうだといいな、
そうだといいよ。

こどもというのは、
親がまず出逢う社会の規範。

親がいくらすっとこどっこいでも
それがルールならと甘んじて
受け入れなければならないところが多い。

でもわたしには
母はいつも天女みたいにやさしくて
どちらかというと姉が、世の厳しさを
教えてくれた存在として記憶されている。


2016年のわたしたち夫婦の結婚パーティで
とつぜんマイクをむけられた姉は
急きょ話しをしなければならなくなった。

「妹は甘やかされて(こういう人になっ)た
 んじゃなくて、けっこう(自分が)
 厳しかったんだけどそれでものびのびと、
 ほんとうにのびのびと育って…」
と、姉は姉なりのふしぎを振り返り

「今こうして、はじめて、妹のために
 よかったねって涙が出ます」
と声をふるわせ泣いてくれた。

わたしなりにいろいろな経験を積み
歩んできた人生だけど
わたしは姉に感謝している。

姉の強さと厳しさを
きっとだれより尊敬もしている。

わたしのこころは母を待ち、
姉にはいつも急かされていた。
そうしていまのわたしになった。

すべての関係がそうであるように
いろいろないい影響も
いろいろな毒っ気も
それぞれが世界を見つめるときの
フィルターにのこる。

でも、そのさきで、
わたしはわたしとして
何を信じるのかということを見つめ

姉にも、わかちあったりできることが
この人生での喜びであり
わたしの役割だと実感もしている。


追記:
あ、ちなみに、兄ちゃんもいいやつです。

兄とわたしがB型で
姉だけがA型で
そう聞くだけで
まんなかっこの姉の立ち位置
想像できるわ・・・ってひとも
いらっしゃるかもしれませんね。

父はO型、母はAB型と、
うちの家族5人は血液型が
ばらばーらなとこがおもしろいなって
ふと思ったものでした。

終わり。





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