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満月の日の物語③「7月5日」

「満月の日の物語」は、
毎月、満月の日に投稿します。
1話読み切り、若しくは2〜3話読み切りの
満月に纏わるショートストーリーです。


満月の日の物語③

「7月5日」



毎日、学校から帰ったら、愛犬のベガと散歩に行くのが俺の日課だ。

「ワンッ!ワンワンッ!ワンワンワン」

「あぁもうわかったわかった!今出るからそんなに慌てない!」

ベガは散歩が大好きだ。
朝の散歩はもちろん、夜の散歩は殊更に好きで、いつも外へ出る瞬間の興奮ったら、やばい。

「じゃあ母さん、行ってくる!」

「行ってらっしゃい!
母さんこれから夜勤だから、後よろしくね」


俺の家は、俗に言う母子家庭だ。
あんまり知らない奴らにこの話をすると、ちょっと微妙な空気が流れたりするけど、最近は珍しい話じゃない。
俺のクラスにも片親の生徒は何人かいるし、片親だからなんだって話でもない。父親とは俺が小さい頃に別れてるから、どんな人なのかもまったく知らない。
ただ、父親の代わりに、俺のそばにはずっと、
ベガがいた。

「ベガ、今日は夜風が気持ちいいな」

「ハッ…ハッハッ…」

いつもの散歩コースは決まってて、家からすぐの小さな浜辺をぐるっと一周。
冬の間暗かった海は、段々と夏至を過ぎる頃から一気に明るくなっていった。
特に、満月が近くなればなるほど、真っ暗闇の世界は眩しいくらいに光出す。
浜辺に座って、ベガと見るこの満月の海が、ひと月の中で一番好きな日だった。

「そういえば、もうすぐ七夕だな」

まだ産まれて間まもなかったベガを、母さんがうちへ連れてきたのは、俺の2歳の誕生日のことだった。
ふわふわのあったかい毛並みと、真っ黒でつぶらな瞳、俺より小さくてかわいかったベガを、俺は一目で好きになった。それから俺とベガは、朝起きてから布団に入るまで永遠に遊んだ。

俺が中学にあがる前の春休み、
父親と別れた経緯、片親になってしまったことへの謝罪を、あらためて母から聞かされた。
正直、物心ついた頃から、みんなには親が2人いるのに、俺には1人しかいないということに気がついていた。俺が当たり前で、みんなが変だと思ってたことは、一瞬で間違いだったとわかった。
ごめんね、ごめんね、と泣きながら何度も謝る母さんに、俺はなんて声を掛けてあげるのが正解なのかわからなくて、そんな母さんを見るのが悔しくて、俺も少し泣いた。

「でも俺、父親がいなくて寂しいって思ったこと、あんまないよ」

母さんはびっくりしたような表情でこちらを見て

「ベガが、いてくれたから」

って俺が言ったら、またわんわんと泣き出してしまった。
泣いている母さんの元へ、ベガはそっと寄り添って、何度も何度も、母さんのほっぺを舐め続けていた。


寂しくなかったと言えば嘘になるのかもしれない。女手一つで母さんはずっと働いていて、学校から帰ると必ず家にいて「おかえり」って言ってくれたけど、ご飯を食べるとまた夜勤に行く日々だった。
授業参観も入学式も卒業式も音楽会も遠足も、来てくれることはほとんどなくて、その頃から俺は、仕方のないことなんだってなんとなくわかってた。だけど、そういう行事の朝は必ずいつも、ベガを連れて俺を学校まで送ってくれた。
学校の中では会えなくても、学校までの道を母さんとベガと一緒にしゃべりながら歩けることが、俺にはとても嬉しかった。
いつも校門に着くと、
「最後まで一緒にいれなくてごめんね」と
苦しそうに悲しそうにする母さんの顔がずっと忘れられない。
その時の俺は、「大丈夫だよ」って笑って言うくらいしかできなかった。
父親がいないことよりも、どうしたら母さんを幸せにできるのか、そればっかりをずっと考えていた。


「今度の七夕、ベガは何をお願いする?」

「………クゥーン…」

「おいしいおやつか?新しいおもちゃか?」

「…………ハッ…ハッ…ハッ……」

毎年、俺はいつも同じことを短冊に書く。それをベガも毎年見ていて、きっと今年もそうだろうって思ってるんだろうな。

「7月7日。あと2日で俺もう15だよ。高校生になったらさ、今より少しは大人になれるのかな」

「…………」

まるいまるい月はどこまでも明るくて、穏やかな海にはもうひとつ、同じ月が浮かんでいる。
同じ場所にふたつ、上と下に浮かんだ月を見て、なんだか俺たちみたいだなって思った。


だいぶ長いこと座っていたのかもしれない。

「よし、ベガ、そろそろ戻ろうか」

そう言って立ち上がると、ベガは砂浜に伏せたまま動かない。
いつもならワンッと一声して立ち上がるはずなのに、おかしいなと思ってもう一度呼ぶ。

「ベガ、行くよ!家へ帰ろう」

「……………」

「ベガ……ベガ!!!」

さっきまで元気だったはずなのに、反応がない。ぐったりしているような、苦しそうな、俺はとてつもなく嫌な予感がした。

携帯を開く。

「誰か…どうしよう……母さん…!」

母さんは夜勤中だ。119?犬でも救助してくれるのか?わからない。かかりつけの動物病院はとっくに閉まっている。どうしよう、どうしよう!

あたりを見回しても、浜辺には俺とベガしかいない。誰か、誰か……
走って国道まで行くと、向こうのほうに人影が見えた。

「すみません!!たすけて!!たすけてください!!」

今まで出したことのないくらい大きな声で叫ぶ。

「誰か!誰かたすけてください!!犬が……死んじゃうかも……っ…!!」

はっ…はっ…はっ……

叫びながら泣きそうになる。こんなこと言いたくない。ベガは死んだりなんかしない。

人影が俺の声に気付いたのか、どんどんこちらへ向かって大きくなる。

「君!どうしたの!大丈夫?犬がどうしたの?」

「あの、犬が、散歩してたら、あの、休憩して、それで帰ろうとしたら、動かなくなってて、どうしよう!どうしたら!」

「落ち着いて、その犬はいまどこにいるの?」

「ここ、降りたところの浜辺です」

40代くらいだろうか、おじさんまではいかないけど、お兄さんでもないといったくらいの風貌の男は、動物関係の仕事をしているみたいで、犬のことも詳しかった。

「あ、もしもし、浅井です。佐原先生すみません、大型犬の救急なんですがお願いできませんか?ぐったりしている様子で呼吸が浅いです。脈は確認できましたが、声をかけてもまるで反応がありません。
……はい、はい、わかりました。すぐ向かいますね」

「あの……」

「大丈夫、これから近くの動物病院で診てもらえることになったから、一緒に行こう」

その人の車にベガを乗せて、俺は一緒に病院へ向かった。

「犬種はゴールデン?今何歳かわかる?」

「はい、ゴールデンレトリバーのオスで13才です」

「最近変わった様子はあったかな?例えばごはんをあまり食べていないとか、あまり声を出さなくなったとか、横になってる時間が多くなったとか」

「えっと…特におかしなことは……」

毎日ベガと一緒にいて、いつもベガを見ている。
変わったことがあればきっと母さんよりも俺が一番に気付くだろう。
ごはんも普通にたべてたし、よくなくし、そんなに変だと思ったところはなかったはず……

「…そういえば、ひとつだけありました。
毎晩いっしょに散歩に行ってるんですけど、最近帰りが前より遅くなることが増えていました。
ルートは同じなのに、大体いつも30分くらいだったのが、最近は歩くスピードが落ちたのか45分とか、1時間くらいになる日も…」

「なるほど…犬の13歳っていうと、もうかなり高齢だからね」

「高齢……」

そうか、ベガだって歳をとる。今を生きていることが当たり前になり過ぎていたのか。
ベガだって、いつかは……

車は真っ暗な道をひたすら走っていく。

「あの、助かりますか?まだ、俺、ベガと一緒にいたいです。幸せ、いっぱい俺にくれたのに、ベガにまだ、何も返せてない…」

運転中のその人は、ほんの一瞬、目を見開いた。

「ベガ……?君の犬、ベガって名前なの?」

「はい、7月7日、俺の誕生日に家に来たから」

「でも、オスだよね?ベガって、織姫の星だけど」

「それ、俺も大きくなってから母親に聞いたんです。ベガはオスなのにその名前なのかって」

「そしたら母さんが、
『オスだけど、ベガにしたの』って…
きっと何か、理由があるんだと思います」

「……理由…か…」

「浅井さんはベガって名前、変だと思いますか?
オスなのに、女みたいな名前だって思いますか?」

「…いや、俺はいいと思うよ、とても」


動物病院に着くと、日付は0時を過ぎていた。
ここから俺が出来ることは何もなくて、先生と浅井さんにベガを託して、処置室からでてくるのを待合所の冷たいイスで、ただただ待つばかりだった。
ことの経緯を洗いざらい母さんにメールで連絡すると、仕事を切り上げて病院へ向かうという返信が来た。

はやくベガがよくなりますように

はやく母さんが来ますように

はやくベガがよくなりますように

はやく母さんが来てくれますように

呪文のようにただひたすら唱えて唱えて、
いつのまにか眠ってしまっていた。



「やっぱり、君だったのか」

「…久しぶりね、まさかこんな所であなたとまた会えるなんて…」

応急処置を終えて、すやすやと眠っているベガと草太を見ながら2人は腰掛けた。

「俺も驚いた…海を見ようと浜辺に向かっていたら、少年が振り絞るような声で叫んでて、何事かと思ったら犬が倒れたって…
話を聞いているうちに、この犬がベガって名前だってわかって、ゴールデンだしまさかとは思ったけど…いい歳したおやじが動揺を隠すのにいっぱいいっぱいだったよ」

彼女は愛おしそうにベガと草太をなでながら、

「あなたが付けてくれた名前だものね…いつか、離れ離れになった織姫と彦星みたいに、また会える日が来るんじゃないかって…ベガって、私のことを重ねて、そう名付けたのでしょう…?でも、自分はそばにいられないから、父親の代わりにオス犬をって…」

「君にはいつも、なんでもお見通しなんだな」

「あなたが、研究のために海外に行くって決めた時は、正直なんで今なのって思ったし、草太が産まれてまだまもなかったから、一緒について行きたくてもそれも叶わなかった。
でも、今しかできないんだって言ったあなたの瞳を見て、わたしはこの子と2人で生きていく決心をしたの。いつ帰ってくるのかわからないあなたを待ち続けていられるほど、余裕のある女じゃなかった…」

「俺が待たないでいいって言ったんだ。危ない地域だし、無事に戻ってこられる保証もなかった。待ち続けていてくれている間に帰れなかったら、それこそ、君と草太を傷つけることになると思った…

だからせめて、俺の代わりに、君と草太を守ってくれるように、俺の想いを、ベガへ託したんだ」


目が覚めると、母さんは泣いていて、何故か浅井さんも泣いていて、俺はベガがそうなってしまったと最悪の状況を瞬時に廻らせて、すぐに起き上がれなかった。
いやだ、いやだ、現実を見たくない、ベガが、死んでしまったなんて……

「草太、大きくなったでしょう」

「あぁ、あんな立派になって、ベガのことをどれだけ愛しているのか苦しいほどに伝わってきたよ。俺の息子は、俺の知らないところで、君とベガに、大切に大切に育てられてきたんだな」

え、息子……?
いま浅井さん、俺のこと息子って…

「苦労もいっぱいさせてるの。私ひとりでこの子を養っていかなきゃ、育てなきゃ、って。たくさん働いてる分、たくさん我慢させて。でも、草太はいつも、笑って、大丈夫だよって。ベガもいるから寂しくないよって。それよりも、俺が母さんを幸せにしてあげたいって……
もう、充分すぎるほど、幸せいっぱいもらってるのにね」

「……母さん」

母さんは驚いて、俺の方へ体を向けた。

「草太…起きたの?」

「あの…あなたは……」

「ごめんな、さっき言えなくて。まさかとは思ったんだ。ベガの名前を聞いたときに、この子は俺の息子かもしれないって…」

こっちを向いて、申し訳なさそうに、でも、さっきの"浅井さん"とは違う表情をしていた。

「えっと…俺…なんて言ったらいいのか……
あっ、ベガは?ベガは大丈夫なの?
2人とも泣いてるからもしかしたらって……」

「ベガは大丈夫よ、ほら、ここですやすや眠ってる」

母さんとこの人を挟んだ反対側に、ベガは横になってすうすう眠っていた。

「助かったってこと?」

「そうよ、先生と、草太がベガを助けてくれたの」

「俺は何も……たすけてくれたのは、先生と、そこにいる……」

父さん、なんて口にしたことがなかった言葉。
どうやって、どんなトーンで言ったらいいのかわからない。

「父さん、なんて言ってもらえる資格ないよな。
母さんと草太を置いて、遠くへ行ってしまったんだから……いいんだ、浅井さんで」


「……たすけてくれて、ありがとう

 ………父さん」


母さんは、離婚の話をしてくれた時以上にたくさんたくさん泣いて、でもその涙は悲しい涙じゃないってことはわかった。

いつのまにか起きたベガは、
クゥーンと小さく泣き
やっぱり母さんのほっぺをひたすらに舐めて、

父さんと俺は、泣きながら笑った。



明日は七夕。

短冊に書く願い事は毎年変わらない。

だけど、今年は変えようと思う。

だって今日、叶えてもらったから。


[ 母さんと父さんが また会えますように ]




fin.



最後までご覧頂きありがとうございました。
次回、8月4日の満月の夜にまた。


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