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「伊豆の踊子」を読んだら最後に
伊豆の踊子の読書感想文です。最後の船内エピソードが後を引いてます。
問題はこの作品の最後にあります。
踊り子とのお別れにさみしさを感じている主人公「私」が、東京に変える船内で悲しみに暮れていたところ、同じく東京に受験に向かう少年が「私」に親切にしてくれているシーンがあります。物語でいう最後の最後です。「私」は彼の優しさに素直に受け入れる心境ではあるのですが、「私」はその彼の学生マントの中に「もぐり込んで」彼の体温に温かみを感じながら泣くだけ泣いて、物語は終わります。
これってどういう事なのか。
読む前は「私」と踊り子の淡い恋を描く作品という先入観がありました。
読んでいる内に「私」の踊子への好意の変化
(アイドルのような憧れ→性的対象→年が離れた子供)や
踊り子の純粋な好意
(十代の片想いのような接し方)を
文章から感じました。
最後の別れの段では
「仲良くしていたのにもうお別れ」という切なさに私西材は酔っていました。問題の「少年の学生マントにもぐり込む」描写について、その一文と前後を二度見はしました。ただ、私西材の「酔い」は続いていたので「昔はそういう事が普通なんだろう」ぐらいに読み流して、そのままいい気分でラストまで読み終わりました。
問題に気付いたのは、あらすじを確認しようと「伊豆の踊子」で検索を掛けてからです。色んなサイトを流し読みした結果、あの「学生マントもぐり込み」には私西材が思っていた以上の意味があるようです(参考は最終行)。あの一文の意味を知って作品への見方が変わりました。しかしそれは良かったと思います。
私西材の主観ですが、以下二つのシーンには、ある共通点があると思いました。
・有名なシーン
→共同湯場で向こう側に「私」と兄を見つけてうれしくなって踊り子が裸でこちらに向かって何か叫んでいるシーン
・問題としているシーン
→「私」が踊り子との別れがさみしくて、そのとき優しくしてくれた少年のマントの中に潜り込むシーン
感情の行き先が「子供のまま」を共通して感じました。何が「子供のまま」なのか、それはその人の原点とも言えそうです。
子供から青年、社会人へと向かう道程。その途中を切り抜いた小説。面白かったです。ちなみに自分の場合は、大学合格後すぐに金髪にしました。透け透けの下心。
作品の解説はwikipediaさんか光文社新書さんのnoteのページが面白いです。
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