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短 歌 随 想 ⑿『 琉球王朝最後の王 尚 泰 』




  戦世いくさよまち 
         みるく世ややがて 
               なじくなよ臣下 ぬちど宝
  

                           尚   泰                   

  

 琉球王朝最後の王の歌。
 首里城を明け渡す日に王が民に呼び掛けた言葉。
「戦いの世は終わった。平和な弥勒の世がやってくる。嘆くな、皆の者よ。命こそ宝だ」と。
 この歌が平成27年の沖縄全戦没者追悼式でよまれた若者の詩の中で蘇った。その会場には、敵味方関係なく沖縄戦死没者と沖縄出身の戦死者24万人余の名前が刻まれた「平和のいしじ」がある。
 その中に1,601人の本県出身者(長崎)のご芳名もあった。今年ももうすぐ6月23日の沖縄の慰霊の日がやってくる。沖縄と広島と長崎の火を合わせ「平和の火」が灯る。黙祷したい。

沖縄戦の日本軍最後の地・摩文仁の丘。この崖下に旧日本軍の地下壕司令部がある。


旧日本軍の地下壕司令部入口


沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された豊見城市と那覇市の境にある海軍司令部防空壕。戦闘が激化した時期には壕内に4,000名もの兵が集まり坑道も事実上の兵員室となっていた。このような中で多くの兵士は立ったまま睡眠を取る有様であった。包囲が次第に狭められていく中で壕内に重火器はほとんど残っておらず、歩兵による突撃で応戦するのが精一杯の状況であったという。6月11日、司令部壕に集中攻撃が加えられた。同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられている。13日午前1時、大田司令官は自決を遂げ小禄地区における組織的な戦闘は終結した。
受賞作『水平線』には、沖縄戦が描かれている。

『水平線』URL
https://miyakobunka.com/wp/wp-content/uploads/2024/02/suiheisen.pdf

よかったら、下記もご一読いただければと思います。

https://note.com/hiroyukiyamamote/n/n6b2ddee7f9d7


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