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短歌随想㈠「富小路禎子と中城ふみ子」

    処女にて
       身に深く持つ浄き卵
          秋の日吾の心熱くす   富小路 禎子

 禎子は歌道を継ぐ貴族の家に生まれ、戦後華族の廃止によって生活の糧を失った父を養うため、旅館の中居などをして働いた。
 〈女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季〉とも詠う。旧華族の血が安易に人に頼らない生き方をさせたのか、この人の歌には、結婚せず、子を生まず、独りで生きた女の心情が如実に詠われている。
 〈未婚の吾の夫にあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる〉の『白い墓碑』に眠るのは、大戦で戦死した若い兵士たちではなかったか。戦争に人生を翻弄された若者たちの姿が切なく思われる。
 ※1926年8月1日~2002年1月2日 歌集『不穏の華』で第31回迢空賞


     遺産なき
      母が唯一のものとして
       残しゆく「死」を子らは受取れ   中城 ふみ子

 壮絶な歌である。中城は昭和29年、31歳の若さで夭折した。
 夫と離婚後に乳がんを再発、二男一女があった。その年の現代短歌社の 50首公募に「乳房喪失」で特選して一躍時の人になったが、僅か4か月で死の床に就いた。
 中城の歌壇デビューは短歌史上の事件のひとつといわれ、寺山修司とともに現代短歌の出発点とも言われる。
 当時の保守的な歌壇に旋風を起こし、奔放な恋愛体験をもとに自らの生と愛をうたい、一方で子らへ深い愛情を注いだ。
 〈音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われてゐる〉
 渡辺淳一の『冬の花火』はこの歌人とその歌がモデルとなっている。
 ※1922年11月25日~1954年8月3日 歌集「乳房喪失」など


皇居から丸の内を遠望する
諫早市江ノ浦港の眺め(後田集落)


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