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崩 れ ゆ く 時 間 の 果 て に

我等が町へようこそ。
あるいは「我らが町」という言い方は間違いかもしれない。
かつて我らのものだったこの町も今や君たちのものだ。
君たちが唯一の住人であり、君たちが法だ。
君たちはここへ何をしに来たのだろうか。
何を見に来たのだろうか。
何であるにせよ 君たちの好きなようにすればよい。
例え君がこの町に火をはなちもやし尽くそうとも誰も口出しはしない。
しかし君は何をしたとしても、すべてがうまくいくとは限らない。
この町にはある特有の時間が流れている。
君の行動はこの時間に左右されずにはいられないだろう。
この町には耳をふさぎたくなるほどの静けさがある。
君の感覚はこの静けさのため今までとは全く違うものになってしまうだろう。
真の支配者は君ではない。
この町自体なのだ。
今、私がこうやって記している言葉も私の言葉ではない。
町が私の体を借りて語っているのだ。
この町は死骸ではない。
今もなお生き続け君たちを含む我々住人を統治しているのだ。
このことはある意味ではすべての空間においていえる。
君はどこから来たのだろうか。
君の今住んでいる町にはどんな時間が流れているのだろうか。
君がかつて住んでいた町はどうだろうか。
そしてやがて君が訪れるであろう町は?
全ての空間に違った時間が流れている。

               端島の廃墟に刻まれた黙示のことば


⑴ 富 小 路  禎 子


   処 女おとめ に て

       身 に 深 く 持 つ 浄 き 卵

                秋 の 日 吾 の 心 熱 く す  

 禎子は歌道を継ぐ貴族の家に生まれ、戦後華族の廃止によって生活の糧を失った父を養うため、旅館の中居などをして働いた。
 〈女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季〉とも詠う。旧華族の血が安易に人に頼らない生き方をさせたのか、この人の歌には、結婚せず、子を生まず、独りで生きた女性の心情が如実に詠われている。
 〈未婚の吾の夫にあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる〉の『白い墓碑』に眠るのは、大戦で戦死した若い兵士たちではなかったか。戦争に人生を翻弄された若者たちの姿が切なく思われる。
 ※1926年8月1日~2002年1月2日 歌集『不穏の華』で第31回迢空賞

 

廃墟の池島炭鉱。中央崖下には坑道入口がある。地下六五〇mには、今もなお海底三万五千ヘクタールの鉱区に総延長九十六キロメートルにも及ぶ坑道が蟻の巣状に残存し、その先端は十キロメートルも先の角力灘の遥か沖合まで伸びている。人の住まない70棟を超える鉄筋アパート群は植物に覆われ尽くし、静かに眠りについている。ここに流れている時間は、もう我々のものではない。


諫早市江の浦漁港の南の海に面した墓地。ある戦死者のお墓に、日の丸が揺れていた。
私には、何も言う資格がない。


⑵ 中 城 ふ み 子


   遺 産 な き

        母 が 唯 一 の も の と し て

                残 し ゆ く 「 死 」 を 子 ら は 受 取 れ

 壮絶な歌である。中城は昭和29年、31歳の若さで夭折した。
 夫と離婚後に乳がんを再発、二男一女があった。その年の現代短歌社の 50首公募に「乳房喪失」で特選して一躍時の人になったが、僅か4か月で死の床に就いた。
 中城の歌壇デビューは短歌史上の事件のひとつといわれ、寺山修司とともに現代短歌の出発点とも言われる。
 当時の保守的な歌壇に旋風を起こし、奔放な恋愛体験をもとに自らの生と愛をうたい、一方で子らへ深い愛情を注いだ。
 〈音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われてゐる〉
 渡辺淳一の『冬の花火』はこの歌人とその歌がモデルとなっている。

 ※1922年11月25日~1954年8月3日 歌集「乳房喪失」など

こんなに殺戮が繰り返される愚かな世界なのに、なぜ地球は、こんなにも美しいのだろうか。


⑶ 栗 木 京 子


   鶏 卵 を

     割 り て 五 月 の 日 の も と へ

                                  死 を ひ と つ づ つ 流 し 出 し た り
                       

 静謐な日常の中に痛みを伴う刺すような視線。
 血が流れていると言えばいいのか。
 これより短くても、これより長くても成立しない歌のように思われる。 三十一文字だからこそ成立し、表現し得た情景ではないか。
 作者は言わずと知れた現代短歌界の重鎮、現代歌人協会理事長でもある。
同じ人が「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」と清新な青春を詠って登場したとはとても思えない。
 喜怒哀楽の年輪とともに身に着くもの、失うもの。人はどのようにも変われるし、また変わらないこともできる。
 こんな歌が詠めるなら、私も変わってみたいと思う。

 ※1954年10月23日、名古屋市生れ 
 歌集『けむり水晶』『水仙の章』など、第41回迢空賞など受賞多数

南国の雪景色。朝のほのかな光が白さを一層引き立たせる。つかの間の清浄の世界か。


⑷ 三 国 玲 子


   何 か 呼 ぶ

      け は ひ と 見 れ ば 水 芭 蕉

              ひ と つ 寂 び た る 帆 を 掲 げ ゐ し な き  
                      

 作者は戦後を代表する歌人の一人で、昭和62年に六階から転落して自死した。63歳だった。歌は遺歌集『翡翠のひかり』から。
 北国の春浅い湿地に純白のドレスを纏う水芭蕉の清冽な姿を詠いながら、何かに引き込まれていくような心の傾斜を感じさせる不思議な歌だ。
 誰しも、ちょっとした心身のバランスの崩れを経験することがある。
 そのときふと「何か呼ぶけはひ」を感じることはないだろうか。
 歌の中に死の徴を捜そうとするのは、結果論からの偏った見方かもしれない。
 しかし死は生の対極にあるのではなく、生の一部なのだと改めて思う。

 ※1924年3月31日~1987年8月5日 東京都出身
  1987年3月に歌集『鏡壁』で現代短歌女流賞を受賞


日向ぼっこ。君に流れる時間は、君にどんな夢をみせるのだろう。


⑸ 志 貴 皇 子


   いわ 走 る

       垂 水 の 上 の さ わ ら び の

               萌 え 出 づ る 春 に な り に け る か も 
  

 千三百年前の万葉集の傑作の一つであり、原文は〈石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春爾成来鴨〉であるが、「激」を「はしる」と読むか、「そそぐ」とするか、また、「垂見」を「たるみ(滝又は地名)」とするか、「たるひ(氷)」と読むか、古より諸説論争がある。
 この歌に関する諫早出身の詩人伊東静雄の評論が発見され、諫早の方言(方言には古語の旧態を残すものが多い)では「たるみ」は「つらら、氷」のことを指すのだと、新しい解釈の可能性を知った。
 現代の短歌も言葉も、千年後、二千年後に様々に解釈され、論争されているかも知れないと思うと、なんだか嬉しくなる。

ここは、どこだろう。京都の山奥にあるとある森の中。突如として出現する神域。しかし、この神は皇族を護る神、決して私たちを護ってはくれない。


皇居より丸の内、東京駅を望む。ここに流れる時間もまた、私のものではない。


⑹ 荻 原 裕 幸


   こ こ に 立 つ

      樹 が 木 蓮 と い ふ こ と を

                 ま た 一 年 は 忘 れ る だ ら う 
 
    

 作者は自らの短歌を「ニューウェーブ」と命名し、新しい詩的表現を志向する歌人。なぜこの一首か。この作者の感慨に大方の人が首肯するだろうと思うからだ。
 普段は目立たぬ木蓮だが、ふと気づくとはっとするほど純真な花を咲かす。花が「蓮」に似ていることからの名。地球上で最古の花木の一つと言われ、一億年の昔から今の姿と聞く。
 咲くときの意外性もさることながら、偶に風もないのに花びらが一斉に散ることがあるらしい。その驚きや、誰もが感嘆の声を上げるという。
 その幸運に巡り遇えないものかと、試してみるが難しい。来年こそはと、密かに思う。

なぜこんなに、心が浮き立つのか。ハクモクレンは、ある日突然、街角に、道沿いの家々の庭に、畑の中に、春の訪れとともに本当に突如として出現し、神々しいまでに気高く白い。そして、惜しげもなく散っていく。一億年もの間、それを営々と繰り返してきた。そもそも、時間とは何なのか。過去、現在、未来という区分自体がまやかしかもしれない。本当は、この一瞬がすべて。

⑺ 竹 山  広


   死 肉 に ほ ふ

       兄 の か た へ を 立 ち く れ ば

                生 き て く る し む も の に 朝 明 く  
 

 長崎原爆忌を前に、またあの暑い夏がやってくる。
 今年は特にウクライナの悪夢を目の当たりにして、戦争の理不尽さと核保有国の傲慢さ、そして何より殺された名もない多くの人たちの無念に憤りを覚える。
 作者は長崎を拠点に活動し、迢空賞や現代短歌大賞など数々の栄誉に輝いた。平成22年に逝去したが、なおその歌は原爆の暴虐性を告発し続けている。
 「崩れたる石塀の下五指ひらきゐし少年よ しやうがないことか」は、久間元防衛相の原爆をめぐる「しようがない」発言を痛烈に批判した歌である。改めて不戦と核兵器廃絶を強く念じた。
  

長崎市住吉トンネル工場跡。戦争はもうすぐそこまで来ている。全国民は、覚悟せよ!


稲佐山国際墓地のロシア人墓地。長崎はかつてロシア極東海軍の保養地だった。日露戦争で壊滅したバルチック艦隊の戦没者も葬られている。彼らの魂は、今どこをさまよっているのだろう。


『メメント・モリ』世界は死で満ち満ちている。ここ三ツ山は浦上四番崩れの地、遠い昔のことのようだが、まだ百四十年ほどしか経っていない。小さな集落だが、百三五人の殉教者を出した。千年王国は、いつ到来するのだろうか。


⑻ 大 我 幸 藏


   担 架 に て

      屍 が ゆ け ば う つ し み の

                足 裏 ひ る が へ し 人 ら つ き ゆ く 
  

 大我先生は、諫早市に事務局をおき全国に会員を有する『やまなみ短歌会』の選者の一人として、会の振興はもとより地域の文芸振興に長年尽くされたが、令和4年1月7日に逝去された。享年88歳だった。
 表題歌は、昭和32年の諫早大水害の惨禍を詠った歌集『洪水惨』の収録歌で、「足裏ひるがへし」がその凄惨さを表現して余りある。市職員として未曾有の惨禍に対応しながら、呆然と立ち尽くされた姿が浮かぶ。
 短歌に対しては真摯に厳しい姿勢を貫かれたが〈口開けて眠むる子みればよろこびの笑いの声を夢に上げゐん〉などは優しいお人柄をよく表している。私たちはまた一人、先達を失くしてしまった。

昭和32年7月25日夜半、本明川が氾濫し津波のような濁流が市街地を襲い、630人もの水害犠牲者を出した諫早大水害。今流れている平穏な時間はまやかしだ。そこの伸びるビルの影に隠れて、死神が爪を研ぎながら嗤っている。


⑼ 津 田 緋 紗 子


   月 代 の

      道 帰 り ゆ く 藁 車

             里 は し づ か に 秋 収 め ゆ く   
   


 「月代」は秋の季語で、月が昇る直前の東の空が段々と明るんでいく様子をいう。
 そんなつるべ落としの秋の夕暮れ、刈り入れが終わった田んぼ道を脱穀した後のわらを積んだトラックが帰っていく静謐な田園風景が浮かぶ。
 しかも結句では、稲の収穫とともに豊穣の季節が終わり、秋が一段と深まる様が抑制した言葉で見事に表現されている。
 作者は諫早市高来の人、長らく俳句と随筆に親しんでこられたからか、平易な言葉だが、その一つ一つに力があり、新鮮に感じられるから不思議だ。
 暮れゆく秋が心に染みる。「諫早文化第16号」より。

のどかな時間が過ぎゆく多良の山々。その頂近くの金泉寺はその昔僧房が連なっていたが、戦国時代に大村のキリシタンによって焼き討ちされ、多くの犠牲者を出して燃え落ちたという。今はただ、一于の御堂が立つにすぎない。不寛容は、社会とわが身を亡ぼす。あれから450年の月日が流れたが、私たちは少しは賢くなり、不寛容を克服することができたのだろうか。


⑽ 中 村 縁 衣 子


   か っ ち り と

        楷 書 の 言 葉 で 伝 え た い

                  目 の 見 え ぬ 人 へ の 声 便 り 
  


 作者は図書を音訳するボランティアを長年されており、吹き込む言葉を『楷書』のようにと例えられた。
 『楷書』とは一画一画を続けずに筆を離して正確に区切る書き方であり、目の見えない読者に正確な言葉を届けたいとの真摯な思いが込められている。作者の日々の暮らし、生き方が、こんな繊細な表現を思いつかせるのだろう。
 一方で「例うれば君は平成新山かわれは眉山 いつも見ている」と、こんな大胆な例えの歌もある。
 作者は島原市在住、雲仙は自分の裏庭と豪語される。言葉は人に付随する、そう思う。歌誌「やまなみ」令和4年6月号より。

島原・眉山から有明海越しに天草を望む。四百年前、三万七千人もの人が信教の自由を求めて戦い、死んでいった。死を自らの意思で選択するときは来るか。ここに流れている時間は特別だ。


平成2年、約200年ぶりに噴火した普賢岳は、翌年6月3日に大火砕流を噴出し、消防団員や報道関係者など43名が犠牲になった。ここに流れる時間は、早いのか、遅いのか。200年という時空に生れては死んでいった人たちの人生を想う。


月明かりに照らされた諫早湾。遠く雲仙の山影が浮かぶ。その地下深くには雌伏したマグマが見悶えながら出口を探している。すぐそこに、ほら、黄泉への入口がぱっかりと口を開けている。


⑾ 重  信  房  子


    銃 口 に

        ジ ャ ス ミ ン の 花 無 雑 作 に

                  挿 し て 岩 場 を 歩 き ゆ く 君                 


 作者は言わずと知れた女性テロリストで、日本赤軍の元最高幹部。
 服役中にがんを患い、昨年5月に懲役20年の刑期を満了して出所した。
 拘置所の房の前にある桜を花守のように愛でて短歌を詠み出したという。カリスマ革命家は、被害者への謝罪や闘争方針の誤りを述べたが、胸のどこかに道半ばの無念の想いを抱えているようにも思える。
「連帯せよ!御茶ノ水駅から市街戦、砦の友らに向けて進撃」
 は、東大安田講堂陥落の日の40年後の同日に獄中で詠まれた。
 彼女の革命は終わっていない。
 歌集に『ジャスミンを銃口に』と『暁の星』がある。


この陽の沈む先にウクライナがあり、パレスチナがあり、ガザがある。今日も、血が流れ続けているが、世界は何も解決することができない。時間は空しく過ぎていく。


⑿ 宮 沢 賢 治


    方 十 里
  
       稗 貫 の み か も 稲 熟 れ て
 
                 み 祭 三 日 そ ら は れ わ た る   

 賢治の絶詠の歌は二首。
 続いて「いたつきのゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」と詠い、稲の豊作をことのほか喜んだという。
 また、「みのり」は仏法の御法のことを尊んで言う言葉でもあり、「稔り」と法華経の御法との掛詞だと解釈する研究者もいる。賢治というとすぐに童話や詩が思い浮かぶが、賢治が文芸にのめり込むきっかけは、石川啄木の『一握の砂』に触発され、十五歳で始めた短歌だった。
 賢治の最も身近な表現手段は短歌であり、生涯に三千首余りも作った。始めも、そして最後も短歌であった。


イノシシ被害のため、稲作を諦めた山の田の番人となった山羊。とてもイノシシに対抗できるとは思われないが、君の寿命は凡そ十年、そのとき世界はどうなっているだろう。ここの時間は不可逆的だ。やがて管理さえ放棄され、山に還るときがくる。それでも、ともに生きようではないか。


⒀ 寺 山 修 司


   マ ッ チ 擦 る

        つ か の ま 海 に 霧 ふ か し

                身 捨 つ る ほ ど の 祖 国 は あ り や 
 


 昭和29年の短歌研究新人賞『チェホフ祭』の一首。
 ここでの「祖国」は、国家、国民を挙げて戦争に盲進した挙句の無条件降伏から9年後の日本。
 日本人だけで戦没者は310万人を数え、うち240万人が海外での死没。私たちの生命や暮しを守ってくれるはずの国家が、逆に私たちに忍従を強い、生活を破壊し、人殺しを命令し、命の提供を強制するのが戦争だ。
 今まさに世界各地で混乱と対立と戦争が頻発し、先の大戦前夜を見るようだ。
 平和の時代は去り、戦争は私たちの直ぐ隣まで近づいている。10年後20年後に、同じ歌を読むことにならなければいいが。

諫早市橘湾。水平線の遥か彼方四千キロに、ニューギニアがある。「ジャワは天国、ビルマは地獄、生きて帰れぬニューギニア」と言われたという。戦争は勇気や勇ましさとは真逆であり、人間の醜さを如実に露呈し、人間であることを問い続ける。戦争か、忍従か、選択を強いられるときは、もうすぐそこまでやってきている。国家や民族や国境の概念は、戦争を誘惑する魔物だ。国家や民族や国境を越えて、自由に生きられる世界があったらどんなに素敵だろう。

⒁ 高  橋 惠  子


   原 爆 忌

      青 田 連 な る 畦 道 に

              無 心 に 祈 る 農 夫 が 一 人  


 ミレーの「晩鐘」をほうふつとさせる静かで真剣な祈りの情景が、絵画的な風景の中に見事に表現された印象的な一首である。
 標歌は、昨年の諫早市民短歌大会の選者選第1位の一つであり、なおかつ、出詠者による互選でも第1位を獲得した歌である。
 この大会で選者選出の入賞歌は12首あったが、互選入賞歌6首と重なったものはこの歌のみだった。
 選者の厳しい選歌眼に認められ、かつ短歌愛好者を強く引きつける魅力的な歌がまれに実現したものとみることができる。
 さて今年の大会は10月、どんな歌に出合えるか、今から楽しみである。

今年も田植えが終わったが、いつまで続くか心もとない。耕作者はみな年寄りばかり。やがてこの谷の田も、耕作放棄される時が確実にやってくる。稲を作り、畑を耕して静かに暮らす生活は、もはや成り立たないのか。私たちは、どんな暮らしを夢見ているのだろう。何かが違っている。


⒂  与 謝 野  晶 子


   金 色 の ち ひ さ き 鳥 の か た ち し て
                  銀 杏 ち る な り
                        夕 日 の 岡 に
  

 一斉に黄葉する銀杏は、大樹ともなればその神々しさについ立ち止まり見とれてしまうが、この歌は散り落ちる金色の葉一枚の形をうたうことで銀杏の樹全体を読者に喚起させ、さらに近景の金色の銀杏が遠景の赤い夕日の中に鮮やかに立ち上がる。
 そして、散り尽きた銀杏は冬空にその幹枝を惜しげもなく晒すが、今年の諫早短歌大会で「一葉もまとわぬ公孫樹の凛と立つこんな露になれるか我は」(岡本博)と出会った。
 晶子の歌「自らが幸い君がさいはひのつゆも変わらぬものにてあれかし」をみなさんと分かち合い、世界が穏やかで平和にならんことを願う。

銀杏の散りぎわはみごとだ。なぜ、こんなにも一斉に葉を落とすのか。最古の現生樹種の一つで、ペルム紀に出現し、中生代(特にジュラ紀)まで全世界的に繁茂したが、日本でも約100万年前にほとんどは絶滅し、本種が唯一現存する種となった。もしかしたら、その散りぎわのあざやかさが悠久の時間を生きながらえた秘訣なのかもしれない。


⒃ 松  下   竜  一


   泥 の ご と で き そ こ な い し 豆 腐 投 げ

                            怒 れ る 夜 の

                              ま だ 明 け ざ ら ん

  
 
1968年自費出版の『豆腐屋の四季』より。
 大分県中津市で慎ましく生きる市井の一青年の思いが社会の反響を呼び、翌年に講談社から出版された奇跡の歌集。
 当時は若者たちが学生運動にのめり込んだ時代で、作者は模範的な青年像としての世間の眼差しに戸惑い、「悩みぬきヘルメット持たず佐世保へと発つと短く末弟は伝え来」と歌い、この後反公害・反開発の市民運動に取り組み、「砦に拠る」や「暗闇の思想を」や連続企業爆破事件の桐島聡が属した「狼」のリーダー大道寺将司に獄中取材した「狼煙を見よ」など渾身のノンフィクション作品を残した。
 1983年3月21日、佐世保港にエンタープライズが15年ぶりに姿を現したとき、思えば私もデモ隊の中にいたのだった。

沖縄の摩文仁の丘。沖縄戦で亡くなった二十万もの戦没者の名を刻んだ刻銘碑が静かに立つ。吹く風はどこまでも爽やかで温かい。なのに、こんなに悲しい場所はない。ただ、ただ、無念だ。


⒄ 斎  藤   茂  吉


   わ が 病

      や う や く 癒 え て 心 に

             朝 の 経 よ む おさな の こ ゑ  

  
 
1920年、長崎医専教授だった茂吉は、家族と大浦の長崎ホテルで食事をして帰宅したのち発熱、スペイン風邪にかかり、50日近く病に伏した。
 日本でも38万人が死亡したが、第1次世界大戦の最中、特にドイツ軍で広がり、敗因の一つとなった。
 パリ講和会議では、独り賠償金に反対していたウィルソン米大統領が、スペイン風邪にかかり体力も気力も奪われて意見を通せず、多額の賠償金が課された結果、その後のヒトラーの台頭を招き、3年後留学した茂吉が「行進の歌ごゑきこゆHitlerの演説すでに果てたるころか」と歌うことになる。
 さて、新型コロナウイルスは歴史にどんな爪痕を残すだろうか。

稲佐悟真寺国際墓地には、中国やロシア、オランダ、イギリス、ポルトガル、フランス、スペイン、アメリカ、インド、ユダヤ人やドイツ系など国籍も宗教も文化も異なる様々な人たちが埋葬され、伴に静かに眠りについている。国境も国家も民族も、私たち人間が作り出した観念上の虚構であって、そんなものは実は存在しない。争うのはやめよう。今、死者たちの声に耳を澄まそう。


⒅琉球王朝最後の王 尚 泰


   戦 世いくさよま ち 
            み る く 世 や や が て 
                 なじく な よ 臣 下 ぬちど 宝
  

                          尚   泰              

 

 琉球王朝最後の王の歌。
 首里城を明け渡す日に王が民に呼び掛けた言葉。
「戦いの世は終わった。平和な弥勒の世がやってくる。嘆くな、皆の者よ。命こそ宝だ」と。
 この歌が平成27年の沖縄全戦没者追悼式でよまれた若者の詩の中で蘇った。その会場には、敵味方関係なく沖縄戦死没者と沖縄出身の戦死者24万人余の名前が刻まれた「平和のいしじ」がある。
 北海道から順に刻まれた戦没者の中に1,601人の長崎県出身者のご芳名もあった。今年ももうすぐ6月23日の沖縄の慰霊の日がやってくる。沖縄と広島と長崎の火を合わせ「平和の火」が灯る。黙祷したい。

沖縄戦の日本軍最後の地・摩文仁の丘。この崖下に旧日本軍の地下壕司令部がある。


旧日本軍の地下壕司令部入口


沖縄摩文仁の丘『平和の礎』


受賞作『水平線』には、沖縄戦が描かれている。

下記に第7回宮古島文学賞第1席『水平線』の掲載アドレスを掲げています。
宮古島で生きる女性の生と死を豊かな自然と風土の中で見つめた作品です。ご一読くださればと思います。

suiheisen.pdf (miyakobunka.com)



(つづく)

下記の記事も、よろしければご一読ください。






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