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組織のゴミこそ、イノベーションに取り組め

リカレント教育を考えるうえで、日本企業の3つの特徴を踏まえる必要があります。

第一に学ぶべきことが会社から与えられる。
第二に必要に迫られてからスキルを身につけていく。
第三に管理職になった時の階層研修のように、「不定期」にしか行われない。

これらによって身につくスキルや経験も、その多くが既存のビジネスに必要な能力。「これから必要な」スキルとは限りません。
加えて、その会社でしか通用しない「企業特殊的技能」も含まれています。

「スキル寿命」10年、企業と仕事はこう変わる

古きものが必ずしも現代において悪わけではない

日本的経営 三種の神器である「終身雇用」にも利点はある。(残る2つは「年功序列」「企業内組合」ー 米国の経営学者ジェームス・アベグレン)

非即戦力な(しかしベースの学力があり、素直で良い子な)大学生を新卒一括採用し、家族的経営による親身な教育によってゼロから企業戦士として育て上げていく。若者側が受け身で無思考でも、プロフェッショナルに育つことができ、努力が伴えばそれなりの生活をすることができる。

市場においては、成果の伴わない努力は評価されない。スタートアップなどはまさにそれだ。ファーストチャンスを掴みきれなければ、いかに努力をしようとも死を迎える。しかし企業内においては、上司や先輩はまるで親のように努力を褒めてくれる。セカンドチャンス、サードチャンスを与えてくれる。人に寛容な小社会がそこにある。

家族的であるからこそできる報連相がある。家族のことを知り、個人の趣味嗜好を知り、それも含めて仕事の現状を知る。細やかな報連相を仮に怠ったとしても、細やかなサポートを組織的に行うことができる

また定期的にカオスな状態を作り出すことで、持続的または破壊的イノベーションを作り出している。例えば飲み会での「無礼講」はまさにそれで、企業というシステムの中でルーティンになっているところから酒の力を借りて外れることで、上司は部下の真意やオペレーションの齟齬を知り、部下はそれを上司にぶつけることができる。そこにイノベーションの種がある。

三種の神器は、それがなぜ三種の神器であるかを理解すれば日本が高度経済成長をするに至った理由は理解できるし、現代においても使いこなせば強い企業を作ることは不可能ではない。

メリットとデメリットの両方を理解し、次なる道を考える

長期雇用のデメリットは明確に、「企業特殊的技能(企業の中だけで活きるスキル)」に長けただけの市場的にはクズという人材を産んだことだ。一方で、企業特殊的技能に欠けるゴミという人材も生み出した。

高度経済成長のように成長が続いている間はそのゴミを許容して有り余るほど、クズたちが売上・利益を出していた。その中で問題は隠され、放置されてきた。

しかし成熟期が長くなり、売上が伸びないが故に、利益追求による合理化・効率化が始まるとゴミが炙り出されてきた。そこで日本企業は、成果主義という悪手をとった。ゴミを排除しようと成果を求め、企業特殊的技能の外にある技能を求めたがゆえ、成果主義は市場的にはクズの人材さえも炙り出してしまったゴミだけでなく成果を出していたクズさえも機能不全に陥らせた

少子高齢化も含めて日本が沈没することが明白な今、組織もキャリアも組み直さなければならない。昭和に懐古するのではなく、平成のようにただ昭和を否定するだけでもない。これまでの経緯からみえたメリット・デメリットときちんと向き合った上で、令和の新しい形を模索していかなければならない

プロジェクト型組織と、役割の明確化が次なる道の一つ

株式会社が成立した歴史を振り返れば、会社そのものはプロジェクトだった。

ただし、当初は航海に成功したとしても、香辛料を売って得た利益を出資者に配当し、航海ごとに組織は解散した。
設立当初のイギリス東インド会社では、1回の航海ごとに株主が変更した。

つまり、会社そのものがプロジェクトだったといえる。

一方、1602年設立のオランダ東インド会社では、航海ごとに解散するのではなく、継続的な組織となった。
同じ活動を繰り返すなら、組織は継続する方が合理的だからだ。以降、プロジェクトを継続する組織としての株式会社が発展した。

これを踏まえると、既存事業は今まで通りの発展した株式会社で良いだろう。既存の売上・利益を立てるために、KPIによって分業化した縦割り組織と、そのなかで高度のルーティン化された仕事は、必要不可欠だ。その中で企業特殊的技能を持って活躍するクズはそのままでいい

それを大企業病など大企業はオワコンなど、物事の表面しか見ずに否定するような声に耳を傾ける必要はない。しっかりと目の前の仕事に向き合って、数百億、数千億、数兆といった売上を創出することにフォーカスしていけば良い。

しかし一方で日本の沈没が目の前にきた現状では、イノベーションは不可欠だ。イノベーションを起こすために必要なのは企業特殊的技能ではなく、イノベーションに特化した技能であり、組織である

パーパス(目的)を明確にし、目指すべきビジョン(目指すべき社会の姿)をクリアにし、ミッション(自分達の使命感)を胸に、事に取り組む。目指すべき未来に適切なチーム構成とそこでの役割を定義し、適切なイノベーション特化型技能を持つ人材をエンパワーして巻き込む。

その両立こそが両利きの経営そのものだ。これからの企業には一国二制度が必要になる。

組織のゴミこそイノベーションに取り組め

企業特殊的技能に長けたクズがゴミを批判するという、なんとも愚かな構図が組織の中に出来上がってしまっている。これが日本企業が変革しなければならない構図だ。

組織のゴミは、組織の中においては確かにゴミかもしれない。しかし企業特殊的技能にハマらなかっただけで、市場的にゴミなわけではない可能性がある

既存組織を批判的に捉え、傷つけることができるのはゴミだけだ。その視点はコーポレート・トランスフォーメーションのための良い批判である可能性は大いにありうる。しかし組織の中から批判するのは愚痴にしかみえない

組織を変革させるためにこそゴミにイノベーションに取り組ませてみれば良い。外に出て、市場で活きる技能を保有しているかどうかを見極めることができる。そして市場で活きる技能で、新たな市場や事業を創造した人間の組織に対する批判の声こそ、受け入れるべきであり、それが変革を主導していく可能性は高い。

ゴミはゴミなりに活きる道がある。イノベーションで成果を挙げれば、次なる成長の旗手にも、コーポレート・トランスフォーメーションの旗手にもなれるはずだ。

旧来型の日本的経営の中では、クズもゴミも一緒くたに未来を目指していたし、ゴミにもチャンスが与えられ、声が拾われ、それが成長に寄与していた。今の悪い成果主義ではそれがなされなくなってしまったのが現状だ。

現状を正しく理解し、次なる打ち手を組織も個人のキャリアに対しても、しっかり考えていくことが重要だ。



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