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オリンピックボランティアがみる北京と吉田松陰

今日のフライトで北京に到着(バーチャルですが、、、)

北京には2008年の北京オリンピック前に来たことがあります。お決まりの観光ルートで、万里の長城へいきました。意外と北京市街からバスで簡単に行けました。当時はまだ元気だった嫁さんのお母さんと一緒に城の頂上あたりまで登りました。

登ってどこまでも続く城壁を眺めていると、よくもこんなものを建築したもんだと驚きました。初めて形にしたのは紀元前214年に秦の始皇帝とされていますが、よっぽど匈奴の侵略に手を焼いていたのでしょうね。

孔子と孟子

それをさかのぼること300年、春秋戦国時代の紀元前552年に孔子は生まれます。孔子は有名な「論語」を編纂し、『仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現』を説きます。論語 学而第一は、あまりにも有名な

子曰く、

「学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。

朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。

人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」

この内容をじっくりと味わうと中々この心境にはなれんなあ~と思います。

孔子

一方の孟子ですが、紀元前372年に生まれます。性善説に基づく、仁義による王道政治を説きました。王道に対する言葉として覇道があり、こちらは力による政治をさします。現在の中国は共産党によるまさに覇道政治であり、今の中国では孔子も孟子も学ぶことを禁止されているのもうなずけますね。

孟子

吉田松陰

吉田松陰2

山岡荘八の吉田松陰を読み終えました。今 講孟箚記を勉強中です。この内容は吉田松陰が、ペリーの艦隊で米国に密航したが失敗した罪で野山獄に投ぜられたときに、囚人たちに孟子を講義したのが始まりです。

松陰の一生は「至誠」の一言で貫かれており、まさに孟子の性善説をもとに独自の天、神の思想とが結びついた凄まじい一生です。明治の偉人を数々と輩出した松下村塾は松陰の叔父、玉木文之進が始めましたが、松陰の教えが塾生に引き継がれ、明治維新の原動力となります。

松陰は江戸で処刑されますが、その墓が現在の世田谷区に松陰神社として残っていることは知りませんでした。一度訪ねてみたいものですね。


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