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心惹かれる写真って何だろう?

心惹かれる写真って、他人の数だけ違うと思う。
それを否定する気は毛頭ないのです。

ただ、ちゃんとうまく撮れているのに全く心惹かれない写真ってあるよな~ってのが、純然たる僕の本音です。
なぜそう感じるのか、何が心惹かれるよい写真なのかを、駄文ですが書いてみました。

なんであなたが撮るんですか?

写真って人間が撮る必要ある?

常々思うのですが、写真って既に人間の手を離れつつあるものの1つだと思うんです。
定点カメラしかり、ドローンでの撮影も、AIでイメージを生成することもできる。証明写真機やプリクラ機、自動撮影カメラなんてのもあるし、ガイド付きカメラで機械の指示でいい写真が撮れるみたいなこともある。
たぶん、すでに美しさや見て気持ちがいいみたいなものの傾向は数値的に出せるので、それに沿って自動で撮影させることや作品の構成をさせることは可能だと思います。

それなのに人間がカメラを持って、写真を撮る必要はあるのでしょうか?

僕は THE絶景写真みたいなものには興味がありません。
ただ、そういう写真でも、例えば「この絶景スポットで撮影しました」なのか、「○○氏が××のために赴いて△△した際に撮影した」なのかによって、意味が変わってきます。僕は後者であれば興味があります。

人間がわざわざ移動して、写真を撮る。
何を考え感じ、どのように作品をまとめるのか。
それに対して、どういう意味や価値(もしくは無意味、無価値)を見出すかだと思う。

そういう意味では、人間が撮ること人間が作品にまとめることは、写真にとって大切な要素だし、それがどのようになされるかが作品なのか、ただの写真なのかを隔てるものだと思う。


あなたはなんで撮るんですか?

ここまでで、人間が撮ること、まとめることに意味や価値(もしくは無意味、無価値)が重要な要素だということでした。
じゃあ、たくさんいるホモ・サピエンスのおそらく日本にいるあなたが撮る必要があるのでしょうか?

写真してるのはなんで?版画じゃダメなん?現代アートじゃダメなん?
好きだからなの?じゃあ、なんで好きなん?どこが面白いの?

というか、あなたは誰?
何を感じて(感じなくて)、何をしてきて(何をしなくて)、何を考えて(考えないで)生きていますか?

どんな背景持ってて、どんな日常を送っていて、
どうしてこの写真をあなたは撮ったの?
なんでここに行ったの?何を考えて?
この形で展示・構成したのはなんで?
なんでその機材で、そういう撮影をしたの?


たぶん、無限にやれるしやると頭痛くなりますが、そういうことだと思うんです。
あなたがどういう人間で、どんな文脈や嗜好を持って、撮影・構成したのか。

こんなことを言うとあれですが、素晴らしい完璧な写真は天才が撮ってくれますよ。そんな写真あなたが撮ろうとしなくてもいいじゃない。
天才でもないあなたにしか撮れない不完全でユニークな写真を撮った方がいいと思う。

何してるんだろうね?


うまい写真とよい写真って違うの?

みんな何撮ってます?

皆さんが撮っているのは以下のうち、どの写真(が多い)ですか?

  • よく撮れている(うまい)写真

  • よく撮れていない(下手な)写真

  • なんだかわからないものが写っている写真

どの写真が撮れることもあるけど、僕はよく撮れていない(下手な)写真なんだかわからないものが写っている写真が撮れていると嬉しいと思っています。

ブレてるけどよい写真だと思う

何をよしとするかは、他人の数だけあるのは承知しています。
ただ、僕はたぶんよく撮れている(うまい)写真だけ見せられても「よく撮れてるね」しか感想を言えない。だって、それだけでは心惹かれないから。

よく撮れた写真でも、作者の説明で「どこどこ何々のカメラ、レンズで撮ったねん」と言われると、「そうですか(知らんがな)」となります。
だって、ナンセンスですよね。せっかくよく撮れてるのに語るべきところは、撮った本人ではないのだから。それなら、同じレンズやカメラで、どこどこへドローン飛ばして撮れば同じじゃないですか?特別な技法でも再現できるなら、誰がシャッター切っても同じ。

もちろん、よく撮れている(うまい)写真を目指すことは悪いことではないです。純粋に技術を極めることも大切だと思います。うまい写真を撮れると嬉しいし、なんだかんだ役に立つ場面もあります。

ただ、それと作品としてよい写真は別だと思います。
ただ、うまい写真が見たいわけじゃない。何故それを、あなたという人が撮って、こういう風に作品としているのか。僕は、それを見たいと思うし、きっと他の人も見たら、きっと気になる。


よい写真はうまさと関係ない

よく撮れていない(下手な)写真なんだかわからないものが写っている写真が撮れていると嬉しいと書きましたが、それはなぜかを書いて終わりたいと思います。

先に「あなたがどういう人間で、どういう文脈や嗜好を持って、撮影・構成したのか」を問いましたが、あんまり頭ガチガチの頭でっかちになって撮らなくていいと思っています。

写真って不確定要素を取り入れることができるのがひとつ面白いと思っていて(スタジオなんかで状況をコントロールできる環境で撮る写真はそうでもないけど)、街中で撮ろうとしていたら違う面白いものが飛び込んできたり、急に事故が起こったり、機材トラブルで変な感光してたり、結構あると思う。
好きで使ってるけど、いい意味で失敗させてくれるちょっと癖のある機材とかもらいもののカメラを使っているのもその辺が噛み合うのだろう。

ちゃんとピント合わないカメラ

意図せず構えずに撮れた写真や、なんか適当に撮ったら撮れてしまった写真。別に考えて撮ったわけじゃないけど、無意識にあなたがどういう人間かがはみ出している写真の場合もある。たいてい、よく撮れてるうまい写真ではない。
でも、そういう写真が見たいんです。心惹かれるんです。
「うまい=よい」ではないんです(ただ、本当に下手なだけの写真は目も当てられないのである程度撮れる技術はあった方がいい)。

めちゃくちゃ好き放題書いておいて、雑に締めくくります。

概ね言いたいこととしては、ただうまく撮れてるだけの写真は作品としてほとんど無価値だと思う。
じゃあ、何が作品として重要かというと、撮影者がどのような文脈や嗜好を持って作品としてどのような構成をしたか?それが作品としての価値だと思う。


駄文の蛇足の駄文

ちなみに僕の中(知り合いと命名した)で、滝とか山とかを、雑誌や講師の先生と全く同じように(模写するかのように)撮って、それをグループの展覧会に出展する人たちを写真道の方と勝手に呼んでるんです。
うまい写真をマネることは、うまい写真を習得する上で近道だから、それ自体は悪いことだと思わない(茶道や剣道なんかの”道”と付くやつはこれだと思っている)。
だけど、そこからそのお手本に近づけていくことをひたすらに続けていくことが目的になってしまっているので、すごく残念(個人の感想です)なんです。

でも、そういう人のFacebookの写真とか見ると、お孫さんがブレてるけどいい感じに写っていたり、たぶん自分で作った魚の煮物だったり、ただの生活の写真がよかったりします。
こっちの展示やって欲しいんだけど、たぶん言ってもわかってもらえないんだろうな。


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