これから私が、この「note」に書くこと

先日も書いたが、私がnoteアプリをスマホに入れたのは数年前に遡る。当時、私が見たnoteは、漫画が多く、オタクの世界?と感じ、放置してしまった。その後、スマホを買い替え、アプリを入れ直すこともなく平成の時代が終わろうとしている。

そんなある日、友人から私のような文章書きには、この「note」がいいよと勧められた。その方が、一般のブログやSNSより中身をしっかり読んでもらえ、必要とする人に伝わると思うからとのこと。私は、研究職に就き、論文を書いていたこともあり、文章がどうしても論文調になる。あいまいな表現はできる限り避け、論拠も示したくなる。私だけが言っているんじゃないよ、とかね。

それに、手掛けてきたことも多岐にわたり、これまでのブログ(ここからぶろぐ)には、様々な話題が散りばめられ、一体何者、なにが伝えたいのか、よく解らないとのご指摘も受ける。確かにそうかもしれない。でも、いいじゃない、私は商売をしようと思ってブログを書いていない。その時の私そのものが表出され、みんなの役に立つんじゃないかと思ったことを書いているだけだからさ。それを、必要と思った人が見てくれたら、私は嬉しい。
後から書くけれども、消費カロリーについて書いている頃は、1日に何千ものアクセスをいただいたし、手汗のページへのアクセスは半端ない数値を示している。4つほど貼っておく。
 ・指にできるブツブツ(水泡)
 ・自転車に乗ったときの消費カロリー
 ・エクササイズガイドとは
 ・「塩化アルミニウムの密封療法」がすごい

「ここからぶろぐ」ってタイトルは、こころとからだについて考えるブログって意味で名づけ、開設当時は、同じタイトルのものは1つもなかった。それがいまでは、これで検索すると、すぐに私のブログがみつからないほど増えている。また、私はいま、人は心と身体だけではなく、ワンネスの魂を包含した存在だと考えているため、副題を「こころとからだと魂のブログ」に変えている。

その雑多な文章の背景に、私の38年のサラリーマン人生が影響しているため、そこをまず書いておく。

私の経歴

入社当時は医療情報系のSE、まだパソコンがこの世に登場して間もない頃で、だれもがそれでネットワークを組もうなどとは思わない頃、私は人間ドック施設で、各検査室にパソコンを置き分散処理にしつつ、LANを組んで、一人分のデータに統合するしくみを創った。しかし、いまでは、誰でも簡単にインターネットに繋がれる時代になっているため、その頃の技術は不要となった。

そのあと医療機器の中身(ソフト)開発に携わり、心電計、血圧計、ニッチなところでは手汗を計る機械を創り、その臨床応用について研究した。平たく言えば、手汗で人の何がわかるかということ。この時、その研究者、臨床家はもちろん、いろんな疾患に苦しむ様々な人たちに出会った。特に手汗自体は、自分の意志でコントロールすることがなかなか難しく、手掌多汗症で悩む人は、想像以上に多い。その保険治療もあるが、副作用もあったりして、その方が大きく、さらに悩みを増している方もいるため、そこの部分の情報ニーズは、ニッチがゆえに大きいのだろう。
ブログではなく、ウェブサイトにまとめた多汗症情報のインデックスページ。
 ・多汗症セルフヘルプガイド「汗の輪」

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SEの時、途中、消費エネルギー(カロリー)量を計る機械(いまでは「活動量計」という一般呼称がつけられ各社から発売されている)を日本で最初に創っており、それがきっかけで、医療機器開発のあとは予防医療・健康増進事業にビジネスを仕掛ける側に転身している。
日常生活の中で身体を動かすことでどれだけ健康になれるのか、そんな研究を日本各地の研究者と一緒にしながら、自分のビジネスで、それを試す。メタボ指導が制度化されるずっと前にやったものだから、世の中がついてこず、事業は頓挫してしまい、いまでは組織を元気にする仕事に就いているのだが…。
分刻みでどれくらいの強さで人が動いていたかが量れるデバイス(身体活動計)を創り、活動度をビジュアル化して見せた(身体活動グラフ)。

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「日中ほとんど動いていませんね、大丈夫ですか」と問いかけると、みんな不安になる。「このあたりだったら少し早歩きとかできませんか」と、退勤時刻後あたりの時間帯での運動を提案する。
「JRの駅まで地下鉄に乗っていたんだけど、歩くようにしました。」
「バスをやめて40分歩いています。身体が軽くなり、懐も温かくなりました。」
みんなよく動くようになり、健康を実感してくれるようになる。そんなみんなの元気な姿や笑顔を見るのが、私は好きだった。なのに、突然止めてしまう時がある。「どうしたの」、聞くと、「職場でちょっと嫌なことがあってね」と。そこに対して当時の私は無力。これ以上なにもできないのか。苦しんだ。行き着いた先がヘルスカウンセリング
職場であった嫌なことを共感して聴く。そうするとまた元気が戻ってくる。ちょっとコーチングを入れることで、嫌なことも自分で解決し、再び運動する自分に戻ってくれる。これだと思った。

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でも、私は別の職場に異動となり、巡り巡って5年前からは監査人。
マジか。自分の最も嫌いな仕事じゃないか。辞めようと思った。でも、そこで私は、自分の経験した健康づくりとカウンセラーを活かした監査をするようになる。現場で起こる様々な問題を聴き取り、その裏にあるもの、多くは組織マネジメントに行きつくのだが、そこに切り込み、どうすれば問題解決できるかを共に考えた。そうしたら嫌われ者の監査人が現場に受け入れられ、さらには企業内コンサルタントとして、経営のお手伝いをすることができるようになった。再び、みんなの元気な顔に出会うことができたのだ。

いまの時代

いま、世の中では「働き方改革」が叫ばれ、自分自身の働き方を見つめ直すことが問われている。でも、長い間、「俺の言うことが聞けないのか」的指示・指導の下で仕事をしてきたサラリーマンが、そのあり方を変えるのも容易なことではない。労働生産人口が減り、この先、年金も無くなってしまう。そんなこと言われたって、どうしていいのかわからない。漠然とした不安が、この社会を埋め尽くす。

他方、そんな世の中に、生きづらさを感じる若者世代は、次々に新しい生き方を体現して見せる。時代の過渡期。そんな姿を見ると私は嬉しくなるのだが、同時に旧態依然たる会社組織、社会システムの中で、エネルギーを落としてしまっている方々が心配だ。自ら気づいて、一人ひとりが変わってくれたら、この世界はもっと早く変わるのになと思いながら、そこに私のできることを、いま探っている状態なのだ。

これからここに書いていくこと

経歴紹介が長くなってしまったが、これら経験を通し、私が学び得たことがある。その得たものから、みなさんとシェアしたいと私が思ったことが、ブログ記事に綴ってある。最初の記事は2005年9月に上げておりすでに15年。でもまだ役に立つものも残っていると思うから、見直してみて、ここに改訂版も上げていきたい。

だからやっぱり、いろいろなテーマが、ここに紛れることになる。ただし、noteにはマガジン機能というものもあるから、そこでまとめていけばいいかななんて、いま考えている。だから興味があったら読んでほしい。

最後に、私はいまヘルスカウンセリング学会というNPOの公認ヘルスカウンセラー。ここの有資格者となって10年が経つ。この会長が宗像恒次という人なのだが、この人に会うまで、私はガチガチの左脳人間で、科学主義の人だった。長男、級長、管理職、夫、父親と、社会的役割で、自分をがんじがらめにし、ストレス症状と何度も戦いながら生きていた私に、宗像は「いままでよくがんばったね、そんなに肩ひじ張らなくても大丈夫、あなたのまんまでいいんだよ」、研修の中でそう声をかけてくれたのだ。両親とも教員という家庭に育ち、しっかりと愛されていただろうけれども、教条主義の中、その愛に関する記憶をすっかり失っていた50歳の私に、宗像は「愛」を教えてくれた。
ブログでも「SAT」というキーワード設定で、そのヘルスカウンセリング学や、宗像の教えについて触れているが、この部分は改めて書き起こしたいと考えている。1憶総カウンセラーをめざし、ヘルスカウンセリングを学んだ者一人ひとりが、自分のまわりをしあわせにできたら、世界はもっと生きやすくなる。その志を、いま再び、伝えたいと思うから。
いま、考えているタイトルを並べてみる。
■あるがままの自分 ■魔法の愛の言葉 ■親の愛 ■赤ちゃんの愛は母を救う ■心身を癒す中波長の光 ■心の本質的欲求 ■表の意思・裏の意思 ■自分の中に潜むきょうだいの愛 ■祖先と共に癒える ■素粒子は無限の愛 ■愛のホルモン ■夫婦愛-ゆるぎのない関係性を築く ■脳の多様性を愛せ ■無条件に愛する ■ゲノムの守護神p53 ■愛はがんをも癒す
なにか、気になるタイトルはあるだろうか、乞うご期待。

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《横地 裕 プロファイル》

教員の両親の下に生まれた私。幼い頃は親戚のおばちゃん家で両親の帰りを待ちながら過ごし、独りおとなしく絵本などを読んで過ごしていた。小中学生の頃は家に近所の同級生も集まって、父親から勉強を教わった。母親には100点しか喜んでもらえず、95点だったとしても、5点はなにを間違えたのと責められた。神経質な父と厳しい母の下で、甘えることもできず、いつも他人と比較され「人の模範たれ」と育ちとても窮屈で、自己肯定感の低い子だった。ゆえにいろいろと病気もし、「青白い顔をした子」というレッテルを貼られていたことを思い出す。その刷り込みから、幼くして、心臓が止まってしまうのではないか、呼吸は止め続けたらどうなるんだろう…そんな妄想に駆られたこともある。あと、覚えているのは、よく吐いていたことと、大きな蕁麻疹が出て辛かったことだ。唇や口蓋垂にできた日には、目も当てられなかった。
しかし高校は進学校だったため環境が一変、まわりに成績優秀な子が多く、私は運動部で走りまくり、めちゃくちゃ健康になった。誰が青白くて病弱だって言ったんだと嘯き、青春時代を謳歌した。おかげでモテた。

父親の姿を見てきたせいか、人の成長をサポートしたい、そんな気持ちが私の中にはずっとあった。しかし、親に反発したため教育の道には進まず、「世のため人のため」に仕事をすると謳う一般企業に就職した。だが、教員の世界しか知らなかった私は、価値観のギャップに苛まれ、組織に馴染めず体調を崩して潰瘍を患い通院三昧。人間関係で、たくさん悩んだ。
このままではいけない。一念発起して通院を止め、寝る間も惜しんで仕事に打ち込み、外部評価を得て会社に認められる戦略を採る。パソコンが世に出たばかりの時代に、大きなシステムを組み上げたことでコンピュータベンダーから注目された。
ところが、それが事業化されようとした矢先に部門長が交代し「儲からんだろう」の一言で、私の仕事は一変する。
2021年、コ口ナ禍の中で、私の39年足らずの会社員人生を振り返ってみたら、こんな逆境が、なんと13回もあった。上司のパワハラ、中間管理職仲間の妬みによるイジメ、部下からの逆パワハラ…、仕事や役職をはく奪されたり、成果を出すと部署を追われたり、本当にいろんな経験をさせてもらった。
出世より自分のやりたいこと、納得いくことを仕事にしたくて、上申することも多かった。置かれた場所で、自分が楽しめて世の人のためになる、魂が喜ぶ仕事を創り出しては、環境自体変えてしまう生き方をしてきた。それが上司には恐れとして捉えられたのだと思う。
正義感丸出しだった私は31歳のときにパワハラに遭った。人間不信で自暴自棄になり、自律神経失調による様々な症状にも見舞われ、真剣に辞めたいと思った。でもその時、前の職場の部下から、心温まる言葉をいただいた。魂がぶるぶる震え、以前見下していた気持ちがあったことを心からお詫びした。大きな傷を負った分、私はどんな仕事も大切だと思えるようになり、人に対して優しくなることができた。メンタルが身体にものすごく影響を及ぼすことも、身をもって味わえた。

それから12年ほど経った2001年、心と身体のことを伝えたいと思い、自分のウェブサイト「ゆう星☆こころと身体の談話室」を建てた。その5、6年前から現代医療の限界を感じていた私は、予防医療に担当する事業主体を移し、メタボ予防アウトソーサーの先陣を切っていた。いつもそうだが、私はやるのが10年早くて、法制化される頃には部署を追われた。思いを捨てられず、個人的にヘルスカウンセリングを習うため、毎月のように東京で開かれる研修に通い、1年半かかってカウンセラーになった。人の話を聴く度に、自分の心の奥底に押し込め、蓋をしてきた感情が顔を出す。自分と向き合い、丁寧に1つ1つ解きほぐし、行動を変えると決心し解決していく。そんな作業を続けた私は、とっても元気に生まれ変わり、年も取りにくい心身になっていた。その経験や思いを、また新たに伝えたくて、コミュニケーションの専門家として勉強会を開き、まわりを元気にする活動を始めた。

会社員最後の6年半は監査人として務めるが、いわゆる重箱の隅を突くようなことは大嫌いだった。だから不都合なことがあれば、現場の一人ひとりと対話してその原因を探り、本部に言ってルールの方を変えてもらったり、組織全体の意識統一を職場のみなを巻き込んでやったりして「イキイキ元気な組織づくり」に邁進した。雇用形態や職種による差別、性別による差別…。私が現場で感じたことを組織長に問題提起し、組織風土を変えていく。
私を育ててくれた会社に対して、少しはお礼奉公ができただろうか…。再雇用社員で1年務め、意気揚々と第二の人生を。ジャストタイミングでコ口ナが襲う。1年間の活動停止と断捨離三昧を経て、いまに至る。

決して順風満帆といえる人生ではない。まるでジェットコースター。ある人に話したら、奥さんよく頑張ったねって。確かにそうです。ずっと会社のことで精一杯で、家事や子育てを任せきりにしてしまった。十数年前、ヘルスカウンセリングを学び、自分の想いの上手な伝え方のワークをして帰宅したとき、妻の顔を見て出てきた言葉が「ごめんな」だった。そこには、私の、それまで家庭を顧みれなかった反省を込めていたためか、短い言葉でも伝わるものだと実感。冷え切っていた夫婦関係も、以来ほんわかあったかくなったのではないだろうか。50歳からでも人は変われるのだ。

何度打たれも、その度に立ち上がり、自分の意思を貫いてきた私。私の魂は自分だけが幸せになっても喜ばない。一人ひとりの個性が絡み合い、それぞれが輝き、笑顔でいてくれないと喜ばない。
2021年に入り、フェイスブックにプライベート・グループ「魂の生き方在り方塾」を開校した。そこでは私の思いを塾生のみなさんとシェアするとともに、希望される方には、私の経験で得た生き方の智恵をお伝えしている。傾聴講座を受けてくれている方もいる。相手の気持ちを聴き、ありたい姿をともにみつけ、そうなるためにできることを探るお手伝いをする「傾聴支援」。まわりと共にしあわせでありたいと願う仲間たちと、これからの人生を歩いていくことに決めている。
ヘルスカウンセラーになって14年。相談者は女性の方が大半を占め、占い関係のマルシェも入れたら、気質診断だけでも800人を超えている。

■ヘルスカウンセリング学会公認
 ヘルスカウンセラー、ソーシャルスキルトレーナー、
 グループカウンセラー、ストレスケア専門士、
 健康行動変容支援士、傾聴支援士

■INTERNATIONAL SAT ASSOCIATION 公認
 シニアSATコーチャー、SAT気質アドバイザー

ヘルスカウンセリング学会理事。1999年から人の健康づくりをサポートし、約1,000人の面談経験を通じ、組織・個人の癒しと魂の成長を支援しています。

写真を撮るのが趣味で、心揺さぶる瞬間を形に残し、SNSでみんなと共有、あなたのステキな笑顔が見られることが私の魂の喜びです。
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