ネーブル・ヒロシ

ネーブル・ヒロシ

マガジン

記事一覧

哲人王

●プラトンは独裁制、アリストテレスは貴族性を推奨した 私たち日本人の多くは、政治の中で民主性が最も優れていると思っています。 『広辞苑』(第6版・岩波書店)では「…

難民の流入

・・・・・現在のオランダは、当時はスペインを本拠とするハプスブルグ家の領土で、宗教はカトリックでした。しかし、そこにプロテスタントの中で科でもカルヴァン派が大量…

医師という職業

医師というと。金持ち、外車、別荘、海外旅行、高級腕時計、ゴルフ三昧、美食家などなど、金ピカなイメージを抱く人は多いかもしれない。そのような医師も一部にはいるだろ…

地獄のなかのパラダイス

違った意味で所有物は重要になる。サンフランシスコ市自治体は、地震発生から最初の72時間は、市民は一人で過ごすことになる確率が高いと強調する。だが、貧しい人々は、…

意義深い体験

それに大地震や家事は比較的清潔な災害だが、ニューオリンズの洪水の後には、外には沈泥、泥、瓦礫が、屋内には毒性のあるカビが残り、想像以上に長引いた避難のせいで数万…

PTSDと新しく発見した強さ

今日では、PTSDという言葉はあまりに大きな衝撃を受けたために苦悩と恐怖に圧倒され、機能できなくなった人だけでなく、惨事の記憶にとりつかれ、苦しめられている人々…

せめて命で償え

森 最後にあらためて、藤井さんに訊きたい。教えてほしい。藤井さんが死刑制度「存置」を支持する理由を。 藤井 死刑存置は廃止かについての論点は、冤罪の可能性や抑止…

「誰かが死ぬことを願う人生」は幸せか

藤井 森さんは、被害者遺族がもし知人であったり、山へ行こうよとか、こういう生き方もあるみたいなことを勧めるとおっしゃっいましたよね。遺族の感情の部分で言うと、森…

裁判員制度で死刑が増える?

森 ちょっと古いけれど、長崎市長殺害事件の死刑判決(長崎地裁・2008年5月)について藤井さんは、どう思いますか。 藤井 判決の理由で、「民主主義に対するテロだ。…

終身刑導入で思考停止が起きる?

藤井 話の位相がずれますけれども、死刑が廃止されて、終身刑が導入されて、天井も決まったというふうになった場合、ぼくも自動的にそれが増えると思います。 現在は天井…

「冤罪あるから死刑廃止を」ではない

藤井 死刑制度は残した方ほういいとぼくは思っていますが、いまの裁判員制度がはじまって死刑判決を出すことに対して裁判員がそれこそ精神を病むようなストレスを感じてし…

大きすぎる殺人事件報道の比重

森 日本のメディアは事件報道の割合がとても多いという話に戻します。もちろんこれもケース・バイ・ケースです。大きく伝えることに社会的な公益性がある事件だってたくさ…

「事実は切り取り方次第」の自覚を

藤井 取材手法というか、被害者遺族について意見を交換してみたいのですが、これも前出の坂上香織さんのお書きになったものから引用させていただきます。 坂上さんはテレ…

被害者遺族も求めている「個別性」

藤井誠二 「個別性」みたいなものは、被害者の方も加害者の方も、なるべく細かく、死刑とか、殺人とか、被害っていう抽象概念からなるべく社会を遠ざけるような、そういう…

そもそもの死刑の意味とはなんですか

森達也 ・・・・・・彼らが死ぬことを恐れていないのに死刑の意味はあるのだろうか、という藤井さんは悩んでいる。これを言い換えれば、彼らが死を恐れているのなら、死刑…

数と個体

バッタ、ミツバチ、アリ、ハエの数、大量生産方式のような数、彼らの闘いや本能的な行動は、主観的な感情や体験の現れというより、一個の知能の現れのように思える。われわ…

哲人王

●プラトンは独裁制、アリストテレスは貴族性を推奨した

私たち日本人の多くは、政治の中で民主性が最も優れていると思っています。

『広辞苑』(第6版・岩波書店)では「民主制(民主政治)」を「主権が人民にあり、人民の意思に基づいて運用される政治」とあります。

その民主制を最初に行ったのは、古代ギリシアでした。

ギリシアの民主性は、理想的な直接民主制です。自由人である民衆は、すべて平等な立場で政治

もっとみる

難民の流入

・・・・・現在のオランダは、当時はスペインを本拠とするハプスブルグ家の領土で、宗教はカトリックでした。しかし、そこにプロテスタントの中で科でもカルヴァン派が大量に流れ込んできたことで、カトリックとカルヴァン派の人口比率が逆転してしまったのです。その結果、カトリックを強制するスペインとの間に軋轢が生じ、オランダの独立戦争(1568-1648)が起こったのです。

これは、為政者の意思とは関係のないと

もっとみる

医師という職業

医師というと。金持ち、外車、別荘、海外旅行、高級腕時計、ゴルフ三昧、美食家などなど、金ピカなイメージを抱く人は多いかもしれない。そのような医師も一部にはいるだろう。しかし金満医師が一定数いる一方で、一月の休みも4~5日あるかないか、睡眠時間4~5時間、連続36時間勤務も当たり前、過労死基準以上の時間外労働、海外旅行どころか3連休ですら何年も経験していない……にもかかわらず、収入は一般企業の会社員と

もっとみる

地獄のなかのパラダイス

違った意味で所有物は重要になる。サンフランシスコ市自治体は、地震発生から最初の72時間は、市民は一人で過ごすことになる確率が高いと強調する。だが、貧しい人々は、食料や水を含む地震用の非難セットを準備していない場合が多いので、市は市民を全員にそういったものを手元に用意しておくよううながしている。ニューオリンズについては、カトリーナの三年後に今度はハリケーングスタフが接近した。そして、それは、何が変わ

もっとみる

意義深い体験

それに大地震や家事は比較的清潔な災害だが、ニューオリンズの洪水の後には、外には沈泥、泥、瓦礫が、屋内には毒性のあるカビが残り、想像以上に長引いた避難のせいで数万代の冷蔵庫の中身は腐り、洪水に見舞われた家の中の死体は腐敗し、倒れた木々や瓦礫の間には動物の死体が散乱し、水により運ばれた汚染物質や毒素は方々に滞り、セント・バーナード群では大量の石油の漏出もあり、不潔で悪臭のする水浸しの乱雑さは、帰ってき

もっとみる

PTSDと新しく発見した強さ

今日では、PTSDという言葉はあまりに大きな衝撃を受けたために苦悩と恐怖に圧倒され、機能できなくなった人だけでなく、惨事の記憶にとりつかれ、苦しめられている人々にも適用される。2001年9月14日、19人の精神科医が「心理療法士たちの中には……災害の場に押しかけて、悪気はないのだが、見当違いの手助けをした人たちがいた。人々が悲しみと苦悩の中にあるときに頼るコミュニティという仕組みをサポートすること

もっとみる

せめて命で償え

森 最後にあらためて、藤井さんに訊きたい。教えてほしい。藤井さんが死刑制度「存置」を支持する理由を。

藤井 死刑存置は廃止かについての論点は、冤罪の可能性や抑止力の有無など、長年の議論で出尽くしています。前にも言いましたが、何人殺しても、いかなる非道なやり方で殺しても、その加害者の命は守られるということがどうしても納得できないからです。いままで議論してきたように矛盾点はある。最後の最後に残るのは

もっとみる

「誰かが死ぬことを願う人生」は幸せか

藤井 森さんは、被害者遺族がもし知人であったり、山へ行こうよとか、こういう生き方もあるみたいなことを勧めるとおっしゃっいましたよね。遺族の感情の部分で言うと、森さんは、人を憎みつづけることや、あるいは死刑にしてやりたい、殺したいと思うことはネガティブな感情で、よくないことだと思っていらっしゃるでしょう。ぼくはそこを第三者がよくないといったところで、なんにもならないと思う。
その感情を、よくないから

もっとみる

裁判員制度で死刑が増える?

森 ちょっと古いけれど、長崎市長殺害事件の死刑判決(長崎地裁・2008年5月)について藤井さんは、どう思いますか。

藤井 判決の理由で、「民主主義に対するテロだ。暴力によって、選挙活動と政治活動の自由を永遠に奪い、有権者の選挙権の行使も妨害した」というふうにあったけど、そんな、「被害者が市長だから許さんぞ」という理由は、僕は間違っていると思う。人の命に優劣があるのかという話になります。光市母子殺

もっとみる

終身刑導入で思考停止が起きる?

藤井 話の位相がずれますけれども、死刑が廃止されて、終身刑が導入されて、天井も決まったというふうになった場合、ぼくも自動的にそれが増えると思います。
現在は天井が死刑ですが、同じ終身刑ができたり、実質的には今三十年以上は出られない無期懲役が最高刑になったら、上からも下からも自動的にそこにどんどん放り込まれていく可能性がある。そうすると、逆に森さんの言い方をお借りすると、思考停止みたいなことが起きる

もっとみる

「冤罪あるから死刑廃止を」ではない

藤井 死刑制度は残した方ほういいとぼくは思っていますが、いまの裁判員制度がはじまって死刑判決を出すことに対して裁判員がそれこそ精神を病むようなストレスを感じてしまうことがあるだろうし、激しい逡巡があるはずなのに、評議内容を人に言っちゃいかん、墓地まで持って行けみたいなことを強制されるわけでしょう。そういった状況に司法全体が耐えうるかどうか。この国が裁判員制度という「国民にひらかれた」司法のもとで死

もっとみる

大きすぎる殺人事件報道の比重

森 日本のメディアは事件報道の割合がとても多いという話に戻します。もちろんこれもケース・バイ・ケースです。大きく伝えることに社会的な公益性がある事件だってたくさんある。
でもメディアは有限です。テレビだったらニュースの時間は決まっているし、新聞は死面の面積が決まっている。つまり何かを報道するということは、何かが報道されないということと同義であるということです。
仮に事件の詳細を報道することを遺族が

もっとみる

「事実は切り取り方次第」の自覚を

藤井 取材手法というか、被害者遺族について意見を交換してみたいのですが、これも前出の坂上香織さんのお書きになったものから引用させていただきます。
坂上さんはテレビ取材で多くの被害者遺族に接してきたと前書きをされて、「取材者が無意識のうちに対象者の声を誘導してしまう危険性や、取材者の意図を越えて「被害者」の感情がほとばしってしまう現実にも取材したときのことを次のように振り返られています。

***[

もっとみる

被害者遺族も求めている「個別性」

藤井誠二
「個別性」みたいなものは、被害者の方も加害者の方も、なるべく細かく、死刑とか、殺人とか、被害っていう抽象概念からなるべく社会を遠ざけるような、そういうところにいかないようにするっていうのはとても大切だと思う。それはやっぱりメディアの仕事であるし。
一個一個ってすごく大事なことだと思うんです。『論座』(2008年3月号」)に廃止論者の森千香子さん(南山大学講師・当時)が、死刑存置をいうとき

もっとみる

そもそもの死刑の意味とはなんですか

森達也
・・・・・・彼らが死ぬことを恐れていないのに死刑の意味はあるのだろうか、という藤井さんは悩んでいる。これを言い換えれば、彼らが死を恐れているのなら、死刑の意味はあるということになる。そんな煩悶を、いま藤井さんはしているわけですよね。ならば聞きたい。そもそもの死刑の意味とはなんですか。死刑は誰のためにあるのですか。何のためにあるのですか。
「そういう人間に対して効き目がないだろうか」と藤井さ

もっとみる

数と個体

バッタ、ミツバチ、アリ、ハエの数、大量生産方式のような数、彼らの闘いや本能的な行動は、主観的な感情や体験の現れというより、一個の知能の現れのように思える。われわれは彼らの魂は表面的な出来事の舞台にすぎないと言いたいくらいだ。虫たちの排卵、誕生、労働、性癖、共同体気質、戦争、死は、きわめて型どおりに指示されているように見える。彼らの英雄的行為はもっぱら軍隊式だ。手足を失っても苦しむ様子はない。体を半

もっとみる