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ヤ行

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記事一覧

空疎と日常

1月29日 木曜日 快晴。12時起床。 台本に目を通す。そろそろ映画(相米信二監督『あ、…

朝起きた時

1月22日 木曜日 快晴。 朝起きた時、今日はうまくいくぞ、と思う日がある。理由のない奇…

リアクション 「俺」になった

12月22日 月曜日 晴れ。車で。山手通りが渋滞し、一時間十分かかった。遅刻。本番では時…

毎日白紙の状態で

12月11日 木曜日 晴れ。車で。 本読み最後の日。 午後二時からⅠⅡ通して読む。 (一幕…

自分勝手な馬鹿な男

10月26日 日曜日 午後3時起床。 オムライス、野菜らーめん、しらすおろし、漬けもの、…

演出家と俳優

10月22日 水曜日 グロスターは、終始嘆いてばかりいる男だ。死の間際まで嘆いている。 …

自分が理想とする芝居作り

9月23日 火曜日 鵜山に送信。俳優一人一人と個別に会い、話し合うように進言する(きのう、高橋長英君と話し、彼が意欲的に役作りの作業を進めていることがよく分った。他の人たちも各々やっているのだろう。自分が鵜山と打ち合わせを続けているように、みなも演出家との会話が必要と思ったので)。 鵜山仁志氏と仕事をするのは今回が初めてだが、彼は他人にたいして実に寛大、誠実な人物である。これまでの打ち合わせでよくわかった。照明、装置、衣装などスタッフ各部の、そして俳優の独創性をを大事にす

もの言う弱者に対する排除や差別

倉橋耕平 安田さんが言及していたので、在日ブラジル人についてすこし話します。 僕の出身は愛…

極右とネット右翼の違いとは

倉橋耕平 ファッションの部分では、雑多というか、不思議な感じで混ざっているのが在特会の印…

隊服からスーツへ

安田浩一 学生運動が盛んだった1969年、岡山県奈美町の町議会が大日本帝国憲法の復元を決…

戦争の大義名分を国民に理解・協力させる政治運動

近衛首相の署名入りビラとともに、1937年10月には国民精神総動員の一環として「家庭では…

国民精神総動員強調週間

●「国民精神総動員強調週間」と近衛首相の国民向け宣伝ビラ 国民精神総動員の啓蒙が日本全国…

日中戦争の勃発を「天祐」と呼んだ財界人の小林一三

当時の日本で『中央公論』と並び、月刊誌総合雑誌の一角を占めていた『文藝春秋』は、1937…

甲子園球場で開催された全国中等学校野球大会

日中戦争の長期化が濃厚になった初月下旬、中国では北平以外でも日本人居留民の帰国が本格化し、初月七日付大朝夕刊の一面トップは「在支全邦人続々引き上げ」「いよいよ最悪の事態へ 南京も官民総引き揚げ」と伝えました。 「【南京特電七日発】日支開戦の声に怯えて南京市内は避難民続出、騒然たるものあり。形勢が日ごとに険悪化していることにかんがみ、我が居留民も過般来一部引き揚げを行いつつああったが、七日朝に至り、我が大使館、総領事館、陸、海軍出先当局の協議の結果、居留民全部に対し南京を引き