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「幻想の√5」を読みました

この本を読む前に、この本の帯に書かれている受刑者の名前を検索してみた。オウム真理教の事件は、私が中学1年生の頃、起きた。記事や画像を検索してみると、当時ニュースで流れていた映像を、朧げに思い出す。

知らない事ばかりだった。浅間山荘事件の事を思い出した。暴力や恐怖による支配構造は、どれも同じだ。なんとも嫌な気持ちになった。

そして、ひやりとした。

今の私にも共通する部分があったからだ。

思考停止。

スピリチュアルも、その危険を孕んでいる。

何か疑問を感じたり、うまくいかない事があっても、お試しだと思ったり、自分がうまくできていないからだと思ったりして、疑わずに、その理論に従う。

宗教やスピリチュアルには、過剰な不安や恐怖から身を守る効果もあるし、思考を停止させる効果もある。

絶対はない。

鵜呑みにしない。

それは、先日読んだ本にも同じような事が書かれていた。
めちゃドスピリチュアルな本だけど笑

「幻想の√5」という題名。

√5(ルート5)の語呂合わせ。

「富士山麓 オウム鳴く」

教団を指す隠語として√5を使用している。

そして、別の意味も含む。

√5 ≒ 2.2360679774998…

√5は、永遠に小数が続く無理数らしい。数学が苦手な私にとっては、Wikipediaの説明を読んでも、さっぱりわからないけれど、そういう事らしい。

割り切れない。

良いも悪いも決めつけない。

人の数だけ、解がある。

そんな想いも込められているみたい。

手紙と面会。
著者の感想。

著者というひとりのひとの感想。

それらで構成されている。

だからなのか、読んでいて、なんか、ずっと違和感があった。中村受刑者と中村君。同じ段落中に2つの敬称が登場したりする。落ち着かなかった。

それは、読者である私の視点を、ひとつに固定しない為の策でもあり、著者が、中村氏を、受刑者ではなく、ひとりの友人として紹介したい気持ちからの表現なのかもしれない。

中村受刑者は、グルからしてもらった事として「インドで体調不良になった時に、約10時間、背中をさすってくれた事」を話している。教団にいた19歳から逮捕される27歳まで、約9年間(1986年〜1995年)も一緒に過ごしていて、その話ばかりが繰り返される。もちろん、実子と分け隔てなく子どものように優しく可愛がってもらった時期の事も話しているし、その他にも話されていない事はあるのだろうけれど。

私は、読みながらDV被害者やストックホルム症候群のことを思い出していた。

DV被害を受けると、暴力や恐怖による支配下におかれ、加害者からの優しさや愛情が極端に少なくても、少ないからこそ、少しでも優しくされると、その出来事の価値が大きくなり過ぎて、優しいところもあると、過大評価をしたりする。暴力被害を受けたり、犯罪に巻き込まれた人が陥るひとつの反応だ。

ストックホルム症候群について、Wikipediaで紹介されていた例は、こちら↓。

人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。

Wikipediaより引用。

Wikipediaを読んでいたら、ストックホルム症候群は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に分類されると、今ごろ知る。勉強になります(勉強不足)。

どんな症状(ストレス障害も、マインドコントロールも、病気なども)も自分を守るために、自分の生命を守るために、起こる。

それが、生命を脅かすことになっても。

そのせいで、危険から逃れられなくなっても。

不調や違和感は、生命の危険に気づいて、
というサインだ。

今の自分を、見て。

自分を観察して。

自分の望みに気づいて!

そのサインだ。

この本の目的は、再犯防止や、マインドコントロールに陥る人を、被害者と加害者になる人を、少しでも減らしたいという思いから出版されているから、紹介されているのは、中村受刑者の一部分でしかない。

その選別された情報から、必要なことを受け取ればいいだけ。

だけど、選別された情報だからこそ、そこにもコントロールが働いているようで、居心地が悪いのかもしれない。

元幹部たちの素顔を知ってほしいという意図と願いもある本だからこそ、マスコミが偏った報道をしたように、この本にも、偏った意図があるようにも疑ってしまう。

でも。

それでいいのかもしれない。
それも狙いなのかもしれない。

自分で考えること。

それが、大事であると訴える本でもあるから。

限られた情報で、判断はできない。

私は直接受刑者に面会に行く訳でもなく、
被害者や遺族の方の話を聞いた訳でもなく、
限られた情報しか知らない。

まずは、それを自覚する事だ。

偉そうに何かを言う事は、できない。

だからといって、無関心になるのも違う。

偉そうに何も言えない、という事を、
自分で考えることを放棄する言い訳にしない。

情報を鵜呑みにしない。
自分を観察する。
自分で考える。

違和感の理由を、自分に問う。

違和感を、誤魔化さない。

強い怒りは、相手との結びつきを強める。
だから、許すことは、自分を救う事なんだ。

ずっと怒り、恨み続けることは、ずっとその相手と一緒にいることになる。そう思うと、気持ち悪くて嫌だ。相手を許す事で、その人との縁を手放そう。

だけど、それが加害者からの提案だと思うと、違う感情がわく。中村受刑者は、自分が許されたくて、その話をしている訳じゃない。中村受刑者は、加害者であり、被害者でもある。被害者としての自分とグルの関係についての考えを手紙に綴っているだけ。

それでも、立場が変われば、
同じ文面も、違ってみえる。

批判や、反論や、叱責もあるだろう。
私にも拒否反応がないといえば、嘘だ。

だからこそ、実名での発表を躊躇う気持ちがあったのだと思う。

それでも、実名での発表を決めた中村受刑者。同じような被害者と加害者を生まないようにという再犯防止や、贖罪の思いからの決断だと思う。

それでも、読んだ人に与える影響は、コントロールできない。私も、過去に起こした交通事故のトラウマの話や、妹弟への謝罪について書いたけれど、読んだひとを不快にさせてしまったかもしれない。自分の気持ちや人生の整理の為に、誰かを不快にさせることは、本意ではない。でも、起こりうる。

批判するのは、簡単だ。

この本にまとめられた情報は、たとえ選別された情報であったとしても、貴重である事は確かだ。

それぞれの受刑者の、ほんの一側面であっても、実際に体験した経験は、貴重だ。

それは、非人道的であるからこそ、通常なら試せない人体実験を、実際に経験した被害者の声でもあるからだ。

人体実験の結果を見せてもらっているからだ。

安全な場所から、この実験結果を見ていると思っている私達だって、いつ、その人体実験の被験者になるか、分からない。実は、もう、なっているかもしれない。

正しさは、立場で変化する。

自分の判断基準を、観察する。
自分を観察し、考え続ける。

それは、くたびれることもある。
だからといって、お手軽な神秘体験や悟りに自分の生命を委ねない。自戒を込めて。

誰だって、被害者にも、加害者にも、
なる可能性がある。

その危機感を忘れない。
絶対は、ない。
他人事じゃない。

そう思って読むと、
また異なる解が出るかもしれません。

「幻想の√5 なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか(著:中谷友香/KKベストセラーズ/2019年)」

ちなみに、KKベストセラーズで書籍検索すると「お探しの書籍はありません」と表示される。なんでー?!

【追記(2024年4月17日)】
KKベストセラーズにて「幻想の√5」の書籍検索が可能となっています。

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