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内観療法、やってみた(2)

【2】内観は、本来ひとりで行うもの。集中内観は、内観の訓練。内観のやり方を練習して、日常でも、いつでも、ひとりで内観できるように練習をするのが、集中内観。この1週間で完了ではない。

内観は、自己啓発であり、自己治療。

内観の目的は「どんな状況でも幸せだとかんじて暮らせること」。

そして、自分は恩知らずで、何も返してない、ぼったくりだと気づくこと。その為に、自分を調べる。

自分の記憶を辿り、事実を調べる。

「3つの質問」に答える。
 1.お世話になったこと
 2.して返したこと
 3.ご迷惑をかけたこと

この質問に答えるべく、ひたすら記憶を辿り、事実を調べる。集中内観は、練習だから、まずは身近な人について調べる。私は7日間で、実母(1回目)、実父(1回目)、妹(1回目)、実母(2回目)、実父(2回目)の順で調べた。

「実母、実父、祖父母、姉妹、伯父、叔母、兄弟、配偶者、その親、恩師、友人、勤務先の上司、部下、嘘と盗、先輩、後輩、取引先、子、隣近所の人、不仲のお方、その他周囲の人々に対する自己を年令順に何回もくり返しお調べ下さい。」と、吉元伊信氏はいう。

1日、15時間。

屏風で仕切られた畳半畳の空間で。

3つの質問について、事実を調べる。

朝5時起床。掃除をして、5時半に屏風の中に着席。夜9時就寝。座り方は安座でオッケー。屏風から出入りできるのは、トイレと入浴の時のみ。食事も屏風の中で食べる。視界は屏風で覆われ、7日間、情報は制限される。携帯電話は、預ける。

話す人は、1〜2時間おきに面接に来る面接者のみ。話す内容は、3つの質問について調べたことを報告するのと、質問のみ。

一緒に参加していた方とは、自己紹介も挨拶もしない。誰とも話さないのとほぼ同じ。ひたすら、外部の刺激を断ち、自分を調べる。

こんな時間、私の人生になかった。

おもしろい体験してるなーと思った。だけど、最初の4日間は、内観のことがさっぱりつかめなくて、訳わかんないまま過ごす。

それでも、

何がなんでも7日は、いる。

何がなんでも最後まで、やる。

それだけを心に決める。

7日いたって、何が分かるのか、何を得るのか、まったく分からないし、何も得ないまま、終わる可能性だってある。不安もあったけど、このまま終われない。そう思いながら、毎日、あと何日、あと何日と残りの日数を数えてた。

5日目の夜、やっと「あ、そういうことなんだ!」と腑に落ちる。

だけど、6日目もまた迷走。もう飽きたー、もう内観に来ることはないなーと、やさぐれつつ、最終日。7日目の朝、とにかく残りの約4時間。集中すると決める。

そこで、自分の思考の癖を思う。

内観は、その癖を止めることができると気づく。

ひとつ気づくと、これまでの教えがひとつにつながる。内観を自分の人生に活かす方法が分かる。そしたら、「また内観に来るのかもなー」と一瞬思う。ぎゃー。そんな自分に引く。

7日目の朝8時。残り1時間というところで、私にとっての内観について、収穫があった。何も得ずに帰ることにならなくて、本当にほっとした。

7日間。本当に長い。

けど、私には7日が必要だった。

思考では理解しても、本当には腑に落ちていない。そんなことばかりの私にとって、ひたすら事実を調べ、積み上げ、言い逃れできない事実を突きつけられる内観は、とてもインパクトの強い体験だった。

今回、7日間のうち、腑に落ちる体験は、ひとつだけ。でも、そのひとつだけでも、私の偏った望みとわがままに気づけた。そのひとつだけで、とても満たされた。それは、私の人生にとって、とても大きな気づきだ。

集中内観を体験した意味があった。

このために、内観に導かれたのかも、と思った。

思考だけで考えていた答えと、内観によって得た答え。
たとえ答えは同じでも、深さが異なる。

あー、やっぱ長くなる。

毎日いろんなことがあった。食事の時に聞く音声テープの内容も、濃かった。屏風内に持ち込み可のノートとペン。7日分のメモは膨大です。いろんな気づきや、言葉たち。まだまだたくさん。

屏風で仕切られた畳半畳の空間で。

考えたこと。思い浮かんだこと。気づいたこと。

それらを書いていく。

ちなみに、内観することで、自分を責めすぎるとすれば、それはうまく内観できていない状態。とにかく事実を調べて、集めて、検証する作業が内観。

自分を省みる時に、過度な自責感は必要なくて、事実を見る。

それが、私が内観で得た収穫のひとつ。


【3】集中内観で、養育費の計算をした。目安になる表を貰って使って計算したので、実際の金額とは異なると思うけど、養育費、約二千五百万円。

がーん…!

元首相の二千万円問題発言を思い出す。

私がいなければ、両親の老後は安泰だったじゃないかー!そして、かなりの金額を投資してもらったのに、私のこの仕上がり。残念過ぎる。何もお返しできない。金額が膨大すぎて、あっけにとられて、屏風の中でひとり呆然とする。

集中内観終了後、両親とオンライン通話。集中内観の報告と、改めて、これまで育ててもらった感謝を伝える。養育費の額も伝える。

すると、父がひと言。

「そんなに稼いでない。」

ええー?!そんなことないでしょ。私も、妹も、弟も、養育してくれたのだから。そんな父の優しさと、両親への感謝や、養育費の話をざっくばらんに話せることが、とても嬉しくて、幸せだ。

私の人生で、大きな出来事が3つあるんだけど。その出来事が起きたことで、それからはずっと何気ない普通の日常が、とても幸せで尊くて嬉しいなと思って暮らしてきたんだけど、この集中内観中の気づきによって、それがより確信になった。ありがとうございます。


【4】通常なら、10畳の部屋に3人。集中内観者を受け入れるそう。今、コロナの影響で、10畳の部屋にひとり。10畳の部屋の一角に、ひとつの屏風。10畳の部屋のすみっこ、半畳の空間にひとり。ここに7日間ひとり。部屋に案内されて、屏風を見たとき。

うわー、本当に屏風の中でやるんだ。

うわー、本当にこんな狭いとこに、入るの?

うえー、本当に7日もここに入ってるの?

と、正直ぎょっとした。
いざ、屏風の中に入り、着席する。

あれ、案外平気かも。狭いけど、平気だった。
なんだったら、落ち着くくらいだった。

内観について、まったくつかめなくて、訳わからない最初の4日間も、3つの質問を考えずに、別のこと考えたりして、寛いでた。そんな風にサボってたから、4日も内観のことを理解できなかったともいえる…。

狭いとこ、好きなんだよなー。
端っことか、すみっことか。

でも、屏風で仕切られた半畳の空間で寛いでる自分は、何かが欠落した欠陥人間なのでは…と不安にもなる。ま、仕方ないけど。

んで。帰宅して、トイレに入る。

あ。

トイレ、屏風の中と同じくらいの広さだ。

寛ぐ理由に、納得。


【5】集中内観から帰ってきてから、ずっと眠い。集中内観中に得たこと、感じたこと、気づいたことを言葉にしたいのに、溜め込んでて、もやもや。とにかく、書き起こす。


【6】内観して、聖人になりたい訳じゃない。


【7】沖縄内観研修所まで、バスで移動する。うるま市から那覇バスターミナルへ行き、乗り換えて、那覇バスターミナルから斎場御嶽まで。観光で訪れた斎場御嶽のすぐそばにある沖縄内観研修所。人と人の縁、場所との縁、いろんなことが結びついて、今回、内観にたどり着く。不思議。バス移動の道中、アジアサンライズを聴く。選んだということは、選ばれたということだ。選ばれたということは、選んだということだ。Byアジアさん。


【8】食事の時に聴く音声テープ。内観体験者の涙ながらの懺悔や後悔の音声に嫌悪感。洗脳されまい、と強い抵抗感がわく。それが、私の内観を深めることを阻んだのは事実。

情報を制限され、視界も制限されて、限られた情報が、洗脳テープのように感じて、染まるもんか、と拒否感を強める。

屏風内にいるけれど、トイレには自由に行ける。その緩い束縛と、制限された自由。食事の時間には、あたたかい食事を届けてくれる。

洗脳しやすい条件が整ってる…!

警戒心が強まる。

でも、内観研修所の人が私を洗脳して、なんの得がある??そう思って、少し冷静さも取り戻す。半信半疑。騙されまい。染まるまい。そんな葛藤が、5日目まで何もつかめなかった理由かな。

集中内観後に、洗脳について、話題になる。
面接者によると、洗脳しない条件が整ってる、とのこと。

ええー?

面接者は、内観者の依存を引き出さないように、必要以上の声かけをしない。心理的にも寄り添わない。

ふーむ。本当かなーと、いまだに半信半疑。洗脳できるからこそ、洗脳しない対応をしているんだろうな。内観で導かれる気づきは、自分で出すけれど、それでも、どこか洗脳のにおいはある気がするなー。

私が滞在した部屋に掲示してあったことば。

「内観は魂の大手術。」

急に変わるもの。大きな変化。それは、一過性のものになる危険もあると思っている。急に変わったものは、また急に変わる。大手術によって、変わること。それはこわいことでもある。もともとの自分を失うのは嫌だ。

結果から言えば、内観で自分を失うことはない。

内観によって腑に落ちた気づきは、
思考だけで導いた答えよりも、自分になる。

これ、洗脳されたのかな。


【9】初日のみ、15:15頃、前方頭頂部に頭痛。16時の入浴後は回復。残りの7日間は、健康状態は特に問題なし。


【10】面接者は、面接時に視線を合わせない。


【11】両親に、お金のことでグチグチ言われたことがない。やりたいことは、やらせてもらえた。これって凄いことじゃないか。と、初日の気づき。ただ、この段階では、思考での気づきにとどまる。


【12】「どんな状況でも 幸せだと感じて暮らせること」

それが、内観の目的。おこがましいけど、初日のノートに以下のメモあり。"内観していないのに、内観者の目指す生き方をしているのは、どうしてだろう。どこでこの思考を身につけた?スピ?カウンセリング?事故体験?仕事での経験?これ(仕事での経験)は大きい。"

この思考も、私の内観を阻んだ要因のひとつ。4日目まで、私は内観に来るべきではなかったのかな、軽い気持ちで体験したいからって参加するものじゃなかったのかな、って思ってた。自分の問題は、過去にもうすでに取り組んで、答えが出ているし。それによって、私の問題は改善し、家族のことも改善したし。そして、なにより幸せだし。

そんな思考が、私の内観を阻んだ。

5日目の朝、面接者に「音声テープの人達のように、あなたの内観は進んでいると思いますか。」と問われる。

進んでいないと思う。

正直に、伝える。だって、本当になにをすればいいのか、まったくヒントが掴めなかったから。洗脳されたくない。けど、なにもつかめないまま7日を終えるのは嫌。

だから、面接時には、3つの質問の答えとして、懺悔まではしなくても、反省してみたり、感謝してみたり、面接者の気にいる答えを探してた。だから、嘘くさいし、ぜんぜん納得できないし、不完全燃焼だし、気持ち悪かった。過去に自分の思考や捉え方を変えた出来事や、内観についての疑問を話す。面接者からの返答は、これだった。

「そんなこと、関係ないんです。」

ええー、そうなの??

混乱。もう、混乱。

面接者との、そのやり取りの後、とにかく、もう一度、内観を素直にやってみよう。と、取り組む。そのおかげで、5日目の夜に、納得体験ができたんだけど。それまでは、もう、疑心暗鬼。

面接者の足音や、溜め息や、表情におびえる。

面接者の足音や、溜め息や、言葉尻に苛立つ。

だけど、内観について、自分のなかで納得したあとは、それまで気になっていた面接者の動向が気にならなくなる。おもしろいね。

問題は外にない。

問題は内にある。

それを実感した。
納得すると、それまで繰り返し説明されていた言葉たちがつながる。

ああ、そういうことか。

何度も言われていたのに。
自分が納得しないと、理解できない。

ほんとに、言葉の通りなんだ。

内観は、事実を調べる。

懺悔も感謝も必要ない。

事実を調べ、事実が集まることで、

事実が見える。

その事実が、私に気づきをもたらす。

その事実が、言い逃れできない証拠となる。

その事実が、納得と実感をもたらす。

内観は、感情に訴える怪しい宗教の方法かと疑っていたけど、実は、とても理にかなっていて、裁判に近い。

事実を調べる。

内観後半は、これが私のマイブームになった。

つづく

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