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内観療法、やってみた(5)

【48】5日目の朝。面接者と話す。ただの報告となっている。面接者に気に入られようとしている報告となっている。上部だけの内観になっている。私も自覚ありありだったので、率直に同意する。

心理学、宗教、それらを学んだ人は、頭では分かっているが、感情まで落とし込めていない人が多い。感情に落とし込む。嫌なことをみて、自分の核をみる。今までのやり方では、それが難しいけど、どうすればいいのか。

そこを知りたいけど「自分で気づくこと」
それが、内観の大事にしていること。

過去のカウンセリング、交通事故体験、仕事での経験は「関係ない」と言われた。今は、改善、治ったのではなく「蓋をしてる状態」だと言われた。そうなのかな?

実母に対する2回目の内観を開始する。


【49】自己観察法としての内観(本山先生)。

機械も止めてから点検する。人間も止めて点検する。外からの刺激を止める。視野を止める。視覚からの情報を止める。屏風は守る役割。目隠しをしたら、周りが見えず、緊張を伴ってしまうから、屏風で仕切る。楽な姿勢で座る。内観は、自分で気づく力に重きを置いている。


【50】素直にやろうと思うんだけど、どうやればいいんだろう。「報告は関係なく、報告者(面接者)はいなくてもいい。自分のなかに落とし込むことが大切」と言われたけど、わからん。私が見ているのはうわべなんだろうなと私も思うけど、見ないことで自分を守っているから、そこが壊れないんだろうな。そこを開ける訓練。私の感情や私が見えないと言われるのは、フタをするのが上手だからだし、そこに課題があるんだと思うけど、開けたら恐いから、見ない生き方を上手になってきたんだろうと思う。私のうわべだけの感謝、気づいているし、それでも言わないより言った方がいいと思ってきたけど、それが内観でも出ている。


【51】不幸になる人の特徴。
1.被害者意識。悪いことに反応して、自分で不幸を集めている。
2.自己中心的。
3.依存が強い。責任を取らない。人のせいにする。


【52】お母さんにごはんを作ってもらった回数。数えたこと、ありますか?

365日×1日◯回×◯歳=「  」回。

+献立や好き嫌いを考える、買い物、片付け。

お母さんにごはんを作ってもらうこと。
当然だと思っているのは、先入観。

事実をありのままにみる。視野を広く持つ。世界的な視野でみる。歴史的にみる。日本だって平和な時代の方が少ない。たまたま今、平和なだけ。いつまた平和じゃなくなるか分からない。

母親が死んでいたら、どうだろう。
と考えてみる。記憶を探すことに意味がある。
思い出そうとすると脳が活性化する。

自分の言い分。これは充分に分かっている。
相手の言い分。こちらを考える。こちらを調べる。
両方の言い分を、公平にみて、判断する。

内観は、道徳的なものではない。
ただ事実をみること。全部自分で決める。

内観は、知るものではなく、するもの。

内観は、知識ではなく、体験するもの。


【53】内観は、他人を、相手を、ひとりの人としてみる訓練なんだな。


【54】5日目の朝食後、ごはんの量を半分にしてもらう。


【55】うわべだけ合わせて、その場を切り抜ける小賢しさはどこで身につけた?それで済むから、結局そんなもんだと人をバカにしている。見下している。それが伝わるから、うーん、というか、それが伝わらないようにするから、感情や私が見えないと言われるのかも。処世術をどう変化させるか。無くすことはない。便利だし。でも、他の技も身につけよう。40歳だし。ちょっと変える為に内観に来たんでしょう、きっと。全とっかえしたら、今の生活できなくなるかな?元の生活に戻ったら、またいつものこれまでの自分に戻るだけでは嫌だ。自分が至らない人間と気づき、それでも一緒に居てくれた人達。もうすでにバレてるからこそ、一緒に居てくれてるともいえる。バレても大丈夫ってことに気づけってことかも。もう、充分失礼な奴ってバレてるよって。認めて欲しいって寂しい気持ちは、お母さんの大変さや、苦労してきてくれたことを思ったら、クソくらえだと思う。お母さんは、誰にも認めてもらえなくても39年間育ててくれたんだから。人を見下して、相手に対する敬意が不足していて、だからものをはっきり言う事を良しとしていたのかな。言い過ぎたり、キツイ突っ込みをしたり。私は気持ちよくても、相手はどう思うのか配慮に欠ける。そのバランスを取ろうとして、人の目を気にするようになったのか?でも、それは配慮や相手への思いやりではなくて、自分が損をしないため。自分を守るため。だから、失礼なことに変わりない。自分本位な人間です。また開き直り。開き直れば終わると思っている。ホントそれ。内観でその先に行けたらいいな(5日目午前中のメモより)。


【56】「内観」
・お世話になったこと(2割)
・して返したこと(2割)
・ご迷惑をかけたこと(6割)

この割合で調べる。


【57】
・基本として世話になった全てのことに感謝があって、でも情動を伴う感謝と、そうでない感謝(当たり前と思っているということ?)について。全て深い感謝に至らなければ、内観しているとは言えないのか?

ひとつの出来事について考えていき、

・迷惑をかけたと思っていたが、こちらも迷惑をかけられていて、気づかずに申し訳ないと思っていた場合、そのことはそこで考えるのをやめて次に行く方がよいのか?それとも、どちらの迷惑についても割合を出すように整理するのがいいのか。迷惑0%ということはないし。でも、自分の迷惑のみを調べるんじゃない?

・心が動かず、深まらない場合も同様か?また別の機械に取り組む?でも、全て感謝や懺悔する必要はないし、今の段階では相手の愛や想いに気づけない、受け取れていないということなのか。

・気持ちが伴わず、思考のみで、報告の為の報告となっていないか。

・思考では迷惑をかけたことが分かるけど、気持ちが伴わない場合、そこにまだ抵抗がある。納得できない何かがあるはず。その抵抗を取る事実を探す、調べる、ということ?

これらの疑問に対する回答は、こちら。

・事実のみを報告すればいい。
・報告した時に、何か感じるものがあれば、それを大切にする。
・感情は伴わなくて良い。

そして、
・より具体的な事実を調べる。
(例)表情、発言、具体的な状況など。


【58】5日目午後。ふと、屏風の中に着席している自分を思いながら、39歳にもなって何やってんだろう…と我に返る。お母さんが39歳の時、私は中2。妹、小6。弟、5歳。今、私は自己啓発?内観が悪いとかじゃなくて、1人で好き勝手に生きて、何してんだろう…ってかんじ。勉強も行動力も足りてない。自分が何したいかも分かってない。だから内観に来たのもある。内観で何が見えてくるのか。私には合わないのか。別に上手くやれなくても生活はできるし、変わらなくてもいいと言われた。ほんとそう。悟らなくても、幸せに暮らせる。でも、参加したからには、今、ここでしかできないことをする。こうやってサボって脱線してるけど。屏風に入って、半畳の空間で、家族と自分について振り返るなんて、もう一生しないはず。ここに来ることもないはず。今、ここでしかできないことに集中する。その訓練でもある。何してんだろーとは思うけど、おもしろい体験であるし、変な、かなり特殊な体験だ。これが心理療法、精神療法なのかは、正直分からない。何か意識を変える手段ではある。けど、個人差がある。やり方も簡単なのに、わけが分からなくもある。素直にやってるつもりでも深まらない。それは、私が強情で頑固だからかもしれないけど。「つもり」がこわい。やってるつもりで満足して、「効果なし」とか判断したくない。ただ座って7日過ごす事も凄いこと。だけど、ただ座るだけなら案外平気なのかもしれない。ただ、やることがよく分からなくて混乱する。素直にやればいいだけのはずが、きっとご機嫌取りの報告になってたんだろう。あれはあれで本当にそう思ったんだけど。正解がある訳じゃないけど、大まかな流れや望ましい変化はあるんだろうと思う。それから外れてるとダメなのかな。内観を誤解されて広められる危険もあるもんね。内観というものを、本来の良さ、効果を感じ、受け止められるようにしてくれているんだろうから。私も素直に、言われたように取り組む。出来てないみたいだけど。

思わずトイレの洗面台で、鏡を見てたら、

「ぷふぁー!」

と、口から音と息を出してしまった。反省。ちょっと笑える。この5日間、ほとんど大きい声を出してないし、雑談もしてないし、思わず出た音かと思うと、おもしろい。

「内観とは、相手との関係性を通して、自分がどんな人間だったのかを調べる。」

トイレの張り紙に書いてあった。自分がしたこと、言動、態度などの事実を報告する。余計な前置きはいらない。


【59】屏風の模様が、カレーパンマンに見える。


【60】5日目夕食後。実母について、大学1年〜4年の自分について、調べていたら。

突然。腑に落ちる。
事実が積み重なって、腑に落ちる。

内観を終えた今、メモを読み返しても、どこでどうなって腑に落ちたのか、分からない。けど、はっきりと「愛されていた」と自覚する。もちろん、今も愛されている。すんごい、嬉しかった。気づけた自分も、嬉しかった。

大学4年の時に、交通事故を起こした。相手の運転手さんは入院。同乗していた友達も軽い怪我。車は廃車。こんな迷惑な私は、死んだ方がいい。事故を起こした夜、そう思った。でも、死んだら、葬式などで余計に迷惑をかける。そう思って、死ななかった。もちろん、自己中な私のことだから、理由をつけて死ななかったと思うけど。でも、その時のことを振り返って。本当に死んでたら、本当にお母さんを悲しませることになる。本当に迷惑をかけることになっていた。それが、思考じゃなくて、本当に実感として感じられた。そして、友達のご両親にも、本当に申し訳ないことをしたと、最悪の場合、謝っても取り返しのつかないことをするところだったと、今さら実感した。遅いよ、まじで。

「死んじゃいけない。」「自殺しちゃいけない。」その理由が分かったような気もするし、やっぱまだ分からない気もする。自殺は選択肢のひとつで、禁止はできないと思っていたし、まだどこかで思っているけど。自殺しちゃダメの理由は、理由なんてなくてもいいけど、ひとつは「そこまで育ててくれた人がいるから」。そこに気づいたら、死にたい本人も考えが変わるかも。それが100%の説得にはならないし、正解ではないかもしれないけど。正しさは人を救わない、という自戒。

・ひとつの事実だけで心が動かなくても、事実が重なることで、実感が伴う、ということか。私の場合は、「お母さんが、私を大切に育ててくれたこと」という「事実」のポイントが貯まって、実感に到達した。

圧倒的な事実が、自分の認識を変える。深める。その為にも、より具体的、詳細な情報が集まると良い。表情、発言、行動が、その事実の雰囲気というか、ニュアンスを教えてくれる。そうすると、より実感を伴いやすい。

・だから、事実をたくさん集める。

長くなったけど、この腑に落ちる体験が内観だと感じた。7日間で、腑に落ちる体験は、このひとつだけ。だけど、実感を伴って体感できて、本当に良かった。そして、とにかくほっとした。

5日目の就寝前に書いたメモには、『内観について「分かった!」というほどの理解は出来てないけど、「あ、なるほど!こういうことか!」と、ちょっとだけど理屈が腑に落ちた。よかった。何も分からないまま7日間が終わるかと思ったけど、内観がどういうものか人に伝えられるくらいには体験して帰れるかな。明日1日と半日。どのくらい自分が出来るかな。また曖昧な表現にしてしまうかな?でも、やっていることは私がいつもやってる事と結局一緒だ。私は自分の問題の種はコントロール欲や自己中心的な思考だと分かっているし、対人関係で何かあれば整理してる。内観とは異なるけど、見たくない自分をみるのは好きだし、やってる。内観の手法によって、今までみてこなかった部分と両親と妹の凄さと優しさと愛を再確認できたのは良かった。音声テープの内容が感情的過ぎて、あんな風にしなきゃいけないのかと思うと引く人多いと思う。もっと平穏にフラットに報告します。泣く時もあると思うけど。とにかくほっとしたー!おやすみ。』と、ある。ちょいちょい「もとから自分はやってる感」が滲んでて、なんだかなーって感じだけど、それが私ということだ。内観で人格は変わらない、ということだ。だけど、思考だけの答えとは異なる納得感。それが内観によってもたらされる。内観の効果は、それなんだ、と実感した5日目でした。

つづく

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