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久高島イザイホーと祭祀

沖縄県久高島へ行った時、安座真港の売店で購入した「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」。この本を探していたから、売店で見つけた時は、思わずお店の人に喜びを伝えてしまったほどだ。

1.久高島の祭祀

15世紀以降、琉球王朝がノロ制度を導入する前から、久高島の祭祀は存在していた。有名なイザイホーだけでなく、久高島では旧暦に従い豊富な祭祀が行われる。祭祀の名称も、ノロなどの役職も、耳慣れない言葉ばかりで混乱してしまうけれど、どれも興味深い。久高島や宮古、八重山では、女性(母)を守護神とし、祭祀を行う主体は女性とのこと。久高島には2千年以上前から人が住んでいたと言われているし、沖縄の離島には、卑弥呼の生きていた時代の祭祀の原型が遺っているのかもしれない。

2.イザイホーとは

イザイホーは、12年ごとに午年(うま)に行われる4日間に及ぶ神女就任儀式。30歳~41歳の女性が対象。イザイホーを経て神女となり、家族の守護と島の祭祀を行う。神女は70歳までつとめる。祖母霊を孫娘が継承する事がイザイホーの核心である。

著者が久高島を訪れていた時期は、1980年前後。すでに40年以上過ぎている。当時でさえ、久高島の祭祀の歴史は途切れようとしていた。実際、12年に1度行われてきたイザイホーは、1978年(昭和53年)を最後に行われていない。この本では、その最後となってしまったイザイホーの様子がまとめられている。おそらく最後になるだろうと当時から言われていたけれど、残念ながら、それは本当になってしまった。

3.エーファイ

イザイホーで、何度も出てくる「エーファイ」という掛け声。どんな声なのか動画を視聴する。穏やかな声の時は平気だけど、だんだん甲高くなっていくと、正直ちょっとだけ怖かった(ごめんなさい)。エーファイと掛け声を出しながら動き続ける事で、トランス状態(変性意識状態)に導く効果もあるのかもしれない。エーファイは、集団をひとつにまとめる役目を果たしている。

科学映像館の「沖縄 久高島のイザイホー(第一部・第二部)」は、映像と音声で丁寧に説明されていて、とても分かりやすい。うちなーぐちでの会話や、なにより神歌(ティルル)を聞ける。文章だけでは分かりにくかった久高島の雰囲気が伝わってきて、貴重な資料だ。イザイホーは儀式なのだ、という生々しさを感じる。そして、イザイホーが終わった後のカチャーシーは喜びに溢れている。久高島で生きる人達の生命の姿が記録されている。

4.女は神人(カミンチュ)、男は海人(ウミンチュ)

久高島では子どもが生まれ、名付けをする時の願い詞に「あまりえらくなってはいけない、普通であってほしい」と唱えられていた。海に囲まれた小さな島で生きていくには、島の価値観にそって成長し、はみ出すと不幸になると考えられていたからだそう。女は子を産み、家族を守り、島を守る神人になる。男は、海人。生まれた時から、人生は決まっていた。それが、島で生き延びていく為の形なのだ。

夫が島外へ出漁し、出漁先で旅妻(愛人)との間にできた子どもを久高島で我が子同様に育てたケースも多いそう。妻にとっては複雑な心境だったかもしれないけれど、そのおかげで島は途絶えずに済んだとも言える。狭い島のなかで近親婚のような状況が続けば、ハプスブルク家のように遺伝子疾患が増える可能性もあるから。

久高島では魂(マブイ)は不滅で回帰し、祖父母の生まれ変わりとして孫が生まれると考えられていた。外から来る子どもたちの魂はどこから来て、どこへ行くとされたのだろう。父親の祖父母の生まれ変わりとされたのかな。孫に変わりないもんね。

5.兄と妹、逃げる花嫁

久高島の神話では、
島創りは、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が行った。
人創りは、始祖神のシラタル(兄)とファガナシー(妹)が行った。

その為、久高島では兄と妹は特別な関係(聖なる関係)とされる。兄と妹が、鳥の交尾を見て夫婦になり、子どもを産んだとされる。妹は木につかまって拒んだけど、兄が木の根っこごと引き抜いて妻にした事から、結婚を「根引き(ニービチ)」と言うようになったと伝承されている。兄よ、強引だ。

戦前の久高島の結婚も、なかなかに強引だ。両親が決めた相手と縁談が組まれ、結婚の儀式後、夜になると嫁は婿から逃げ続ける風習があった。

昭和の初めのころ、ムラで協議し、嫁が逃げる期間を五日に定めた。それ以後は五日内で嫁は婿につかまった。昔は一ヵ月でも二ヵ月でも、一番長い人は一年も逃げた例がある。あまり長く逃げつづけて婿が出漁してしまい、破談になった例もある。

「第八章 誕生・結婚、そして死」より引用

婿に見つかると、有無を言わさず力ずくで捕まえられ、寝室に入れる。婿ひとりで連れてこれない場合は、友人たちも手伝う。強引だ。

この結婚の伝統は、戦前まで続き、離婚も多かったそう。でも、離婚できたと知り、少しほっとした。始祖神の兄が妹を「根引き」した伝統は、現代に受け継がれなくて良かった。

余談だけど、根引き(ニービチ)や、根神(ニーガン)、根人(ニーチユ)、根屋(ニーヤー)など、久高島には「根」の文字を使用した言葉が多い。黄泉の国や死者の国を指す「根の国」を連想するけれど、関係あるのかな?ちなみに、久高島では、魂が帰る場所はニラーハラーとされている。

伊敷浜からニラーハラーを眺める

6.風葬と岡本太郎

久高島では風葬が行われていた。葬所(通称グゥソー)と呼ばれる島西側の岩場に、死体を入れた木棺を置き、自然の風化にゆだねる弔い方。現在は、風葬は行わず、墓におさめられている。それは、ある出来事が原因だ。

久高島が太古から連綿と続けてきた風葬がとだえたのは、イザイホーの年、六六年に、心ない外来者が風葬途中の木棺を開けて、シマ人にはまだその死体が判別可能な状態のところを写真撮影し、しかもこの写真を雑誌に発表する(一九六七年)という、シマ人にとっては予想もしない事件がおきたことが原因である。この事件のせいで風葬をやめたのかと、シマ人から直接聞くことははばかられたが、衝撃であったと思われる。ともかくシマ中で協議をした結果やめた、とだけ聞いた。

「第一章 魂の発見」より引用

これを読んで、思い浮かんだのは、岡本太郎さんの事だ。太郎さんが久高島のイザイホーを見たのも1966年だ。そして、グゥソーを訪れて非難されたのもその時だ。

岡本太郎の著書「沖縄文化論」には、那覇の新聞記者の案内でグゥソーを訪れた時の様子が書かれているけれど、木棺を開けて、死者の写真を撮った事は記されていない。恐る恐るネット検索をしてみる。それは「後生(グソー)事件」と言われていると知った。太郎さんが木棺を開けて死者の写真を撮り、週刊誌に写真を掲載したとされ、非難された事件だ。

好奇心の強い岡本太郎さんとはいえ、死者の木棺を開けて写真を撮るなんて失礼な事をするとは思いたくない。後生事件について、太郎さんを擁護する意見や、パートナーの岡本敏子さんがその件を否定したという話もあった。映画「岡本太郎の沖縄」は、その「後生事件」の真相にも迫る内容だという事も知った。

木棺を開けて死者の写真を撮った。それが、岡本太郎なのか、他の誰かなのか。誰がやったとしても、死者と遺族への冒涜である。久高島の人たちの衝撃を思うと、とても苦しい。風葬が無くなった事は、時代の流れでもあるかもしれないけれど、久高島の人たちが進んで変化させたのではなく、外的な要因で変化せざるを得なかった事が、二重の苦しみとなったのではないかと想像する。岡本太郎さんの「沖縄文化論」の内容に、とても刺激をもらったけれど、私を満たしたその知識欲は、久高島の人達の悲しみと苦しみを経たものだと思うと、複雑な思いだ。

7.トイレの神様

久高島では、生活の神として、火の神、水の神、屋敷の神、そして、便所の神を総称して「御恩(グウン)」と呼ぶ。すべて感謝すべきものだから。

便所の神様〈フルヌハミサマ・フルヌウシジガナシー〉は、人間の健康を司る。便所を大切にしないと神様が怒り、病気になる。マンブカネー(※本島では魂込め(マブイグウミ)等と呼ばれる)の時に戻りにくい魂も、便所の神様に願うと必ず戻るといわれるほど力がある。

トイレの神様は、どの地域でも大切で強力で尊いのだと知り、今後もトイレ掃除に励もうと思った。

8.祭祀は、人が生きてきた証

この大自然の中、ただひたすら豊漁を願う神女たちの真剣な姿は神そのものであった。ノロたちが草束を振り下ろす仕草はまだ外洋に出る船のない時代、イノーでの海面を叩いて魚を追い込んだ漁のやり方のバンタタキャーを再現したものであるといわれている。

「第六章 久高島祭祀の風景」より引用

祭祀の動作には、生活の歴史が刻まれ、祭祀自体が、島の歴史を伝承している。信仰の神聖さもあるけれど、共同体が生き延びる為に、統制を取る目的もあったのだろう。継承されてきた祭祀の意味を考えると、複雑な気持ちになるけれど、すべての人に役割を与えるという意味もあったのだろう。祭祀は、祈願だけでなく、人が生きてきた証であり、文化的財産。私が無形民俗文化財に心を惹かれるのは、それが理由なのだと思う。

豊漁の祈願〈ヒータチ〉が行われるカベール

9.知ると、見える

2023年に久高島を訪れた時には、知らなかった事ばかり。改めて、久高島の地図を見返してみる。あの時、探しても辿り着けなかった外間殿。でも、実はそばを通っていたのだ。唯一、辿り着けたあの庭は、御殿庭(うどぅんみゃー)だった。何もないように感じられたあの庭が、久高殿があった場所であり、イザイホーの祭場だったのだ。

知る事で、見えなかったものが、見えてくる。

知る事で、つながっていく。

知りたくなかった出来事(後生事件)もあったけれど、知る事で、物事の見え方は深まる。それが、おもしろい。久高島の祭祀について、文章や映像で記録してくれた皆さんに感謝します。

そして、何も知らなくても、久高島の自然の美しさは、素晴らしい。


「日本人の魂の原郷 沖縄久高島(著者:比嘉康雄/集英社新書/2000年)」

【久高島公式サイト】

おわり

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