信田さよ子さんの退職記念講義を、視聴しました
お会いしたことはないけれど、
とても尊敬している信田さよ子さん。
原宿カウンセリングセンターの所長を、
2021年5月に退職されていたことを知る。
退職記念講義のことをSさんに教えて頂き、
動画を視聴した。
当事者の体験談を聴き、そのおかげで回復や改善の方法が蓄積されていったことへの謙虚さ。グループのちからを重視し、支援者ではあるけれど、ひとりの人として、その場に参加する姿勢。
医者にできないことをする。少数派に羅針盤を向けてきた信田さよ子さんを、私は尊敬しています。
私は、信田さんの書籍に支えられた。この動画を視聴して、信田さんのポリシー(原則、方針)に強く影響を受けていると思った。そして、間接的には上野千鶴子さんの影響も受けていたのだと知った。
信田さんの方針。
・本人より家族
・診断名は無関係
・困っていればクライエント
・自助グループとのつながり
・当事者から学ぶ
・援助(ケア)は、時として有害である
これらを、私のなかに刻む。
次の話も大切だと思った。
自分が被害者であると自覚し、当事者であると言う事で、その被害(DVや虐待、性被害など)は姿を現す。だけど、自分が被害者であると自己定義することの難しさから、被害はあるのに、なかったことにされてしまう。
自分が被害者であると定義することは、
すでにレジスタンス(加害者への抵抗、反対)である。
自分の力を取り戻す、第一歩である。
だからこそ、被害者(当事者)であると思えたことを大切にしなければならない。
加害者は、自分の加害行為の問題を理解できないことがある。問題が分からないから、説明もできない。
被害者が望むものは、加害者がなぜそんなことをするのかといった加害者の説明や理解である。だけど、それが加害者に望めない場合、説明責任をとらない加害者に代わって、被害者が加害者の説明を行う。加害者研究を行い、理解を望む。
加害者研究は、「得体の知れない食べ物をガリガリと噛み砕く」作業。自分が消化できるように噛み砕く。飲み込まなくてもいい。吐き出してもいい。得体の知れなかった物の正体を細かくみることが目的。
被害者であると自覚することから始まり、加害者に対して、赦しでもなく、復讐でもなく、研究することで、加害者を超え、最後は、被害者から脱する。
それが、回復。
支援者が行うこと。
それは、どのように聞き、聞いたことをどう咀嚼するか。咀嚼するには言葉(概念、知識、構造化、文脈化)が必要。グループのちからを借りながら、語るひとたちの「味方」であること。
そして、代弁者、証言者として、
言葉を使って、伝えていくこと。
まず「当事者に向けて」書くこと。
できるだけわかりやすく書くこと。
メッセージ性を大切にすること。
安心・安全とは、「批判されない」ということだけで十分。対話ではなく「批判しない」「批判されない」だけで十分。
「誰に向けて書くのか」という問いを忘れないこと。
私は、信田さよ子さんの本に支えられたひとり。たくさんの学びを得て、日常や支援の場面で、学びに助けられた。
その信田さんの経験は、たくさんの当事者の方の経験のおかげであることを、改めて知る事ができた。もちろん、わかりやすく本に書き、代弁者として知識を広めて下さった信田さんの力でもあります。
これまでに私が得た経験値や知識も、私がこれまでに縁のあったたくさんの当事者の方たちのおかげでもある。それらの知識や方法や経験を、代弁し、伝えていくこと。たくさんの人の人生がより良くなる為に、使っていくこと。
それが、私にできること。
書籍「家族と国家は共謀する」も、読みたい。
最後に、信田さよ子さんの本を、
3冊紹介して終わります。
(1)「依存症(信田さよ子:著/文藝春秋/2000年)」
依存症とは、よりよく生きようとする姿勢の延長線上にある自己治療。本人にとっては問題解決の手段であり、一種の救済である。
叱責や非難、説教などは、本人の自責感を強め、嗜癖行動を誘発する。
なぜなら、自責感が、次の嗜癖行動の快をより高めるから。禁止が強ければ強いほど、快感は強まる。いけないと思うけど、やってしまうほうが、気持ちいい。
「依存症は病気です」と、疾病として扱うことは、本人の意思の弱さが原因なのではなくて、病気のせいだったんだ、と思えることで、本人が免責される。自責感が減ることで、嗜癖行動の快が減り、快を得られるはずの嗜癖行動を減らすことにつながる、とガッテン!
(2)「夫婦の関係を見て子は育つ 親として、これだけは知っておきたいこと(信田さよ子:著/梧桐書院/2004年)」
誰かを自分の思い通りにできたら、心地よい。でも、それは支配。支配には快感が伴う。暴力は一番わかりやすい支配だけど、理解や期待、アドバイスも支配。共感は理解、だけど、危険も孕むということ。
親子は、子は親から養育されなければ生きていけないという点で、一種の支配関係。でも、こどもは親の作品では、ない。こどもに、親の期待に添えという無言の支配を行うのではなく、親自身が『とにかく楽しく生きる事』を、信田さんは勧めている。それは、どんな人にも。自らのエネルギーは、自分を生きる事に注ぐ。自分を救わない常識は、無視する。好きな事や、やりたい事が分からない時は、「何がいやか」からスタートする。「いやなことは、やらない」からやってみる。
親子に限らず、共にいて不幸なら、離れるしかない。嫌いにならなくてもいい。今より、ちょっとましな生活を考える。
どんな嗜癖も、逃避ではなく、その人が生き延びる為に身につけた方法で、必ず積極的な意味がある、とする信田さんの文章は、一貫して「あなたは悪くない。あなたに責任はない。」と伝えている。
「癒し」という言葉に対する嫌悪感も、おもしろかった。「癒しの◯◯」などのお手軽な救済は危険だ、といった毒舌も好きです。
(3)「カウンセリングで何ができるか(信田さよ子:著/大月書店/2007年)」
信田さよ子さんの言葉は、明確で、好きだ。
大事な部分をしっかりとつかんでいる人の言葉は、安心を生む。“被害者支援にみられる責任の扱い方は、歴史的にみるとまったく新しいもの”という部分を読めただけで、この本を読んでよかった。カウンセリングの一番のポイントは、聴くことよりも、質問にある。河合隼雄先生の“共感は理解”という言葉とつながる。理解する為に質問をする。なにを、どのように聴くかで、流れが変わる。質問は難しい。理解する為に聴く、けど、理解がずれていたら、質問もずれる。肝となる部分をしっかりとつかみ、細部をはっきりさせる質問をすることは、理解してもらえているという安心感を生む。質問は難しい…!
2020年に、改訂新版が出版されています。
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